気が重いよ…伊那篇

落ちるところまで落ちた男の日記

金融機関営業最終日

2024-12-30 20:23:28 | 昭和レトロ
今日は、金融機関の営業最終日。
昔は、31日まで仕事したんですよ。
私も郵便局の窓口に23年間いましたからね。
31日って、月の最終日でもありますから、日報(日締め)と月報(月締め)両方やらなきゃいけなくて、残業してたら除夜の鐘がゴーンと聞こえて来たことがありましたね。
そして、休みは正月3ヶ日だけ。
1月4日に出勤したら、お年玉貯金と貯めに貯めた小銭貯金ですよ。
年賀はがきも売れに売れた頃、待ってましたとばかりに追加購入で人が途切れることは無かったですね。
今は、小銭貯金に手数料を取る時代。
きっと、随分、貯金者って少なくなったんだろうなぁ。
昔は、年末に貯金箱を割るという習慣がありましたからね。
年賀はがきも、今や風前の灯火---。
正月休業中もコンビニで買えますしね。
時代は変わりました。



今日は、午前中、信用金庫・銀行・郵便局の金融機関回り。
相撲振興会の11月の郵便料金(後納)を払わなくてはいけません。
カレンダーの送料だけで82,640円也。
ゆうパックで送った分は現金で即納していますから、カレンダーの送料だけで10万円以上の出費です。
年末、会の残高はそこまでは無く、泣く泣く半分私費で支払い。
初場所で会期更新の会員さんの送金に賭けていましたが、間に合いませんでした。(27日金曜日に会報&番付表到着では所詮無理な話)
あと、国民年金保険料と国民健康保険税の支払いも済ませました。
皆さん、私、今回の支払いをもって、公的年金の保険料を完納いたしました。
郵政省郵便局時代は共済年金保険料、生命保険会社営業社員時代は厚生年金保険料、そして11年前からは国民年金保険料。
やっと、40数年間の公的年金保険料から解放されました~!





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ALWAYS三丁目の夕日'64 BSで見てるよ

2024-12-29 19:30:09 | 昭和レトロ
12月29日です。
平成23年(2011年)12月29日から連続投稿記録は始まりました。
今日で、丸13年(4,749日)+1日達成です。
また、お陰様で今年の5月にはブログ開設15周年を迎えました。
めでたしめでたし!



年末年始のテレビ番組、特にバラエティー、嫌いなんですよ。
なので、見ません。
録画しておいた好きな番組や、YouTubeを見ています。
でも今年は、年末にBS日テレで「ALWAYS三丁目の夕日」シリーズを放映しています。
今日は、ALWAYS三丁目の夕日'64。
私が生まれた年の物語です。
ALWAYS三丁目の夕日シリーズ、大好きです。
18時から21時近くまで、噛り付いて見ていますよ。
13年近く前、このブログでリアルタイムで見たことを書いているので、最後に転載して終わりにします。



ALWAYS三丁目の夕日'64見たよ
2012年2月25日

「ALWAYS三丁目の夕日'64」やっと見ました。
映画のクレジットにも記載されていますが、今作は、なんと伊那市でロケを行っているのです。
そう、小説家・茶川竜之介(吉岡秀隆)の実家に伊那市高遠町の旧馬島家住宅を使っているのであります。
そして、あの葬儀風景には、伊那市のエキストラの方々も多数出演しています。
何より、伊那市の老舗葬儀店「フジサワ造花」さんが、祭壇とか葬儀の設営を担当したということです。
エンディングのクレジットにも、フジサワ造花さんと「フジサワセレモニー西町会館」さんの記載がありましたもんね。
まぁ、映画の設定では茶川の実家は松本市にあるということですが、ロケ地は伊那ということで…。


旭座というレトロチックな映画館に午後1時半からの回を見に行きました。
なんと、観客…たったの3人です。
暖房費・人件費大丈夫でしょうか…。
その代わり、思いっきり泣きました。
父親の葬儀で帰省中の茶川が、子供の頃使っていた自室で父親(米倉斉加年)の暖かさに触れたシーン、人目をはばからず大泣き出来ましたからね。
ガラーンとした映画観も良いものです。



茶川のライバルとなる人気小説家の正体もビックリしました。
六ちゃん(堀北真希)も今作で結婚しました。
こんな男と結婚して良いのか…といらぬ心配をしましたが、結果素晴らしい男性でした。
堀北真希は、東京都清瀬市の出身。
私も清瀬には、家を建てて10年間住んでいましたから、なんだか愛着がある女優さんです。



旭座は、2D上映。
もし機会があれば、3Dでも見てみたい作品です。
山崎貴監督・堤真一・薬師丸ひろ子・温水洋一、そして私(関係ないけど)が生まれた年、1964年。
感動しました。




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北の富士さんご逝去

2024-11-21 19:45:54 | 昭和レトロ
北の富士さんの訃報には大変驚きました。
今朝、信濃毎日新聞の社会面を見ると、北の富士さんの訃報が載っていました。
それが初見。
全然知りませんでしたよ。
もう、NHKの大相撲中継の解説を休まれて2年近く経つと思います。
いつかきっと復帰して頂けるものと信じて疑いませんでしたが、ついに叶わなかったですね。
残念です。 
私が相撲を見始めた頃、そう昭和47年(1972年)、北の富士さんは一人横綱で頑張っておられました。
前年に、ライバルの横綱玉の海が現役死してから、ちょっと元気が無くなったのが気掛かりではありましたが---。 





北の富士さんと言ったら、貴ノ花との付き手かかばい手かで物議をかもした一戦が思い出されます。 
いわゆる生き体・死に体の論議に行きつくルーツの取組。
結果は、かばい手となり北の富士さんが外掛けで勝ちました。
この一番を、貴ノ花の生き体を主張し、貴ノ花に軍配を挙げた25代木村庄之助は、翌日から謹慎。
場所後に辞任いたしました。
それだけ、凄い相撲だったのです。
子供心に、覚えていますもの。



九重親方としても、千代の富士と北勝海2人の横綱を育てました。
将来の理事長候補だったのですよ。
しかし、高砂一門は規模が小さい一門、そのため理事を2人擁立することが難しくなり、理事候補から外される不運に。
元々、当時の先代九重親方(横綱千代の山)と北の富士さんは出羽海部屋所属で、九重親方が出羽海一門を破門(当時は分家独立を許さず)されながらも北の富士さんを連れ独立。
高砂一門に拾って貰う形に。言ってみれば外様扱い。
そんな肩身の狭さもあった訳です。
その後、相撲協会を退職しました。
このときも、随分驚きましたね。
以降は、NHKの専属解説者になり、皆さんご存知の人気者になりました。
あー、でももう1回、北の富士さんの解説を聞きたかったですね。
向正面解説の舞の海さんとの掛け合いトークを聞きたかったです。
心からご冥福をお祈り申し上げます。

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DeNAを大洋って言っちゃった

2024-11-03 20:00:16 | 昭和レトロ
日本シリーズ、熱戦続きで痺れますね。
今、特別、好きな球団は無いのですが、長野県出身の牧秀悟選手が活躍しているので、DeNAを応援しています。
そう言えば、先月26日(土)に浅草・東洋館でお笑いライブを見た際に、娘の元のお笑いコンビ・ワンドールのファンだった方も客席にいらして、ご挨拶したのです。
その方、DeNAベイスターズの大ファンだということも知っていたので、「大洋、いや横浜、違うDeNA、日本シリーズ出場おめでとうございます!」と信じられない噛み噛みでご挨拶。
情けないですね~。
DeNAを大洋と言ってしまうとは---。
じじいを実感した瞬間でありました。



私が子供の頃は、大洋ホエールズという球団名でした。
川崎球場を本拠地としていましたね。
昭和48年の3月だったかな?
伊那市にプロ野球のオープン戦が来たのです。
ロッテオリオンズ対大洋ホエールズ。
ロッテは、金田正一監督の1年目、大洋は青田昇監督でしたね。
試合内容はまったく覚えていませんが、試合前にロッテ球団から親会社のお菓子が来場者に配られたことは鮮明に覚えています。
そして、ロッテの弘田澄男選手、大洋の長崎慶一選手からサインを書いて貰いましたね。
奇しくも、両選手は後に阪神タイガースでチームメイトになって、阪神の日本一(昭和60年)に貢献しました。



それから、大洋と言ったら、堀場秀孝選手ですよ。
丸子実業高校ー慶應義塾大学ープリンスホテルで常に中軸を打ったスラッガーでした。
ポジションは捕手。
プロ入りは拒否していたのに、27歳で広島東洋カープに入団したのには驚きました。
でもねー、広島には同い年のライバル東洋大学出身の達川光男捕手がいたのですよ。
堀場選手は、入団から4シーズンで自由契約となり、大洋に移籍。
そして、昭和62年、大洋でブレイクするのです。
ゴールデンウイークあたりが一番活躍していたような記憶があります。
そして、阪神・御子柴進投手(松本工業高校出身)との対戦は、TVK(テレビ神奈川)の実況中継を見ながら、涙しました。
そんな思い出があるだけに、思わず「大洋」って言っちゃうんでしょうね。

今、横浜DeNAベイスターズが、セリーグ3位からの下剋上で日本一になろうとしています。




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キンモクセイ

2024-10-15 20:14:11 | 昭和レトロ
最近、戸外を歩くと甘くて良い香りがしますよね。
今年もこの季節がやって来ましたね。
そう、キンモクセイ(金木犀)の花の季節です。
この香り、大好きです。
1年間、戸外を歩くとき感じる香りの中で一番好きかも。
歌謡曲でも、幾つかキンモクセイを題材にした歌がありますよね。
結構、記憶に残っているのが「モクセイの歌」という曲。
♪ ニッセイのおばちゃん自転車で笑顔をはこぶ ふるさとよ ♬
私と同年代の人たちは、想い出すでしょう!?
日本生命のCMソング。
一番最初に♪ モクセイの花咲く頃は ふるさとの顔思い出す ♬
で始まるんですよ。
懐かしのデューク・エイセスが歌っていました。
奇しくも、私も会社は違いますが、3社で生保の営業マンを務めた男。
ニッセイのおばちゃんと同じ、昔ながらの自転車営業中心で---。



あと、「君のひとみは10000ボルト 」。
堀内孝雄の名曲です。
♪ 鳶色のひとみに 誘惑のかげり 金木犀の 咲く道を 銀色の翼の馬で 駈けてくる ♬
昭和53年(1978年)の発売。
中学2年生のときですね。
結構、ノリノリで聴いていた記憶があります。

いずれにしても、気候も良く、キンモクセイの花の香りを楽しむことの出来るこの季節、大いに満喫しましょう!






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