気が重いよ…伊那篇

落ちるところまで落ちた男の日記

キンモクセイ

2024-10-15 20:14:11 | 昭和レトロ
最近、戸外を歩くと甘くて良い香りがしますよね。
今年もこの季節がやって来ましたね。
そう、キンモクセイ(金木犀)の花の季節です。
この香り、大好きです。
1年間、戸外を歩くとき感じる香りの中で一番好きかも。
歌謡曲でも、幾つかキンモクセイを題材にした歌がありますよね。
結構、記憶に残っているのが「モクセイの歌」という曲。
♪ ニッセイのおばちゃん自転車で笑顔をはこぶ ふるさとよ ♬
私と同年代の人たちは、想い出すでしょう!?
日本生命のCMソング。
一番最初に♪ モクセイの花咲く頃は ふるさとの顔思い出す ♬
で始まるんですよ。
懐かしのデューク・エイセスが歌っていました。
奇しくも、私も会社は違いますが、3社で生保の営業マンを務めた男。
ニッセイのおばちゃんと同じ、昔ながらの自転車営業中心で---。



あと、「君のひとみは10000ボルト 」。
堀内孝雄の名曲です。
♪ 鳶色のひとみに 誘惑のかげり 金木犀の 咲く道を 銀色の翼の馬で 駈けてくる ♬
昭和53年(1978年)の発売。
中学2年生のときですね。
結構、ノリノリで聴いていた記憶があります。

いずれにしても、気候も良く、キンモクセイの花の香りを楽しむことの出来るこの季節、大いに満喫しましょう!






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長野県・野球の私立強豪校の校名変更

2024-10-02 19:47:52 | 昭和レトロ
9月29日(日)秋季北信越高校野球長野県大会決勝戦でしたね。 
優勝:松本第一
2位:松本国際
3位:長野商業
4位:上田西
上位3校が北信越本大会へ進みます。
久し振りに、長野県勢の春のセンバツ甲子園出場に期待したいものです。
さて、長野県の私立強豪校って、私が高校生だった40数年前から校名変更した高校ばかりで旧校名がさっぱり分からないのが現実です。
私が高校生の頃は無かった校名ばかり。
そこで調べてみましたよ。 

本郷→松本第一、塚原→松本国際、上田城南→上田西、佐久→佐久長聖、篠ノ井旭→長野俊英、東海大三→東海大諏訪、信州工業→都市大塩尻、長野中央→長野日大。 
校名変更して無い私立強豪校は、松商学園だけかもしれません。

特にややこしいのは、塚原→松本国際。
実は、校名変更は1回だけではありません。
塚原→青雲→塚原青雲→創造学園大附属 →創造学園→松本国際。
経営母体も2回替っていますからね。
塚原青雲時代、2001年夏の甲子園では部員17名で3回戦まで進み、テレビを見ながら感動した記憶があります。
2004年の夏の甲子園出場時は、生徒総数50名、内 野球部員45名で甲子園出場ですから---。
塚原青雲という高校はある意味、凄い高校でした。

私が中学生の頃までは、南信にも姉妹校の塚原天竜高校がありました。
1965年のセンバツ甲子園出場。
そして、翌年(1966年)の夏の甲子園長野県大会決勝は、塚原対塚原天竜の塚原学園同士の対戦。(塚原が勝ち甲子園出場)
この球史も凄過ぎる!
その後、塚原天竜→天竜光洋→組合立松川→県立松川と校名変更して現在に至ります。




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扇子の珍品発見!

2024-09-11 19:45:06 | 昭和レトロ
一昨日のブログで扇子の話をしました。
私の実家築55年超。
古さに加えて、タンスなど家具はもっと古い旧宅時代からある代物です。
金属供出で、取っ手の金具が無かったりします。
そんなタンスの引き出しを開けるのが好きです。
昭和初期から中期のレトロなものが入っているから。
そんな古いタンスや茶ダンスが沢山あります。
物置にも---。
試しに、今日、仏壇の下の引き出しを開けてみたら---
おー、古い扇子がゴロゴロ入ってました。
その内の2本を拝借。



1本は、描かれた模様が綺麗ですよね。
虹みたい。
縁には何気に漆加工が。
ちょっと、高級感があります。
2本目、これが珍品!
自動車会社の「マツダ」の扇子。
いったい、いつの頃の物でしょうか?
親父、昭和50年代にマツダのルーチェに乗っていましたが---。
いや、それより断然古いですよね。
見た感じ昭和30年代。
「輪跡の及ばざるなしマツダ号」って書いてあります。
ネットで調べましたがまったく作った経緯が分からず。
これは、もしかしたらお宝かも!










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扇子って便利

2024-09-09 20:45:08 | 昭和レトロ
3年くらい前から、出掛けるときはバッグに扇子を入れるようにしています。
もちろん、夏季限定ね。
使わないときは、棒状になり仕舞い易いし、暑いときはさっと取り出し拡げれば格好いいですよね。
実は、扇子、買ったことがありません。
私が持っているのは全部貰い物。
粗品として、今でも、配っているところがあるのですよ。
大助かりです。



昨年は、上京の際に、お笑いライブの会場で全然冷房が効かず、暑くてまいった時がありました。
そんなときも、扇子であおげば風が来ます。
温風ですが---。
先日、飯田市へお笑いライブに行った時も、開場まで戸外で待つシーンがあったのですが、ここでも扇子は大活躍でした。
そうだ、私が好きな大相撲や落語でも登場しますよね。
扇子の便利さ、見直しましょう!



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昭和35年赤穂高校甲子園初出場を振り返る

2024-07-17 22:23:03 | 昭和レトロ
赤穂高校(駒ヶ根市)の甲子園初出場時のネタです。
私の身内や、親戚縁者に赤穂出身者っていないのです。
なので、昭和42年刊行の「長野県高等学校野球大会史」を参考に書かせて貰います。
この年の県大会主会場(準々決勝から)は、なんと伊那市営球場でした。
(現在の市営球場は、スタンド無しの簡易球場と化しております)
しかし、ベスト8に残った上伊那勢は赤穂のみ。
なんとか、地元伊那での大会なので、決勝戦まで残ってくれ~!
と郡内の人たちは祈っておりました。
なんと、願いは通じ決勝戦は、赤穂VS長野。
この決勝戦、伊那市営球場始まって以来の大観衆を集めたみたいです。
画像を見ると、本当に立錐の余地もありませんね。
3万人くらい入ったのでしょうか?
いや、この観衆が外野スタンドまで埋まっていたら5万人規模かも。
赤穂・竹村投手が投球の度に、球場外に停めていたクルマがクラクションを鳴らして、試合を盛り上げた?ようです。
(伊那のオヤジらしいですね---)
また、市営球場隣(今の伊那スタジアムの場所)にあった伊那東中学校は、生徒たちが授業中落ち着かずに、午後休校にしたそうです。
そんな、大フィーバーの中、赤穂は3―1で優勝いたしました。



甲子園では、1回戦は不戦1勝。
2回戦は、なんと早稲田実業とですよ。
もう、王貞治選手などは卒業していませんでしたが、全国優勝経験のある強豪校です。
この早実相手に、1―2。
しかも、先取点は赤穂で、惜しくも1点差の逆転負けなのです。
強豪校相手に凄いですね~。
ちなみに、30年・31年・36年は伊那北が3回甲子園に出場しています。
とにかく、昭和30年代は、上伊那勢が強かったのであります。

※2016年7月16日ブログのリメイク版です。



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