こんばんわ 鈴木有機農園です。
夕方次男坊の同級生のお母さんと1歳過ぎの可愛いお嬢さんがトマトを買いに来ました。 よくよく聞くと、子供がトマト嫌いで食べなかったのが、鈴木有機農園のを食べたと言ってお母さんが嬉しそうでした。 栽培法と手作りのEMボカシ肥料をお母さんに香りを嗅がせました。 おどけてお子さんにも鼻の所に持って行ったら納得行ったような顔で・・・ その仕草にトマト代はなしになりました。
午後、コンテナに貯蔵していたササニシキを籾摺り機のそばに運び込みました。 樹脂袋に玄米にして300から330kg入っています。 9個有りますので収穫まではまにあいそうです。
明日、場実行組合全員で堀払いです。 堀の両側を草刈り機雑草を刈るのが主たる作業です。 用水の流れを良くするのと、環境美化に貢献している農家の堀払いです。 農家が一堂に集まっての作業ですので、後継者には農業技術の習得の場にもなっています。
普通は遅くて播けない時期の人参の播種です。 去年、雪の中から掘り出して販売して喜ばれたのて、今年は1週間早めい播種しました。 秋の1週間が植物にとってどうなのかも比較できるので楽しみです。
こんばんわ 鈴木有機農園です。
午後、安斎さんと小林さんの3人で、ダンプカーに乗って安斎さんの実家へ向かいました。 絆の井戸の建屋に掲げる、絆の井戸のいわれ等を書いて貰った長い板をひきとりに行ってきました。 3.5mの長い板全部を使い綺麗に書かれて、それはそれは感動ものです。 安斎さんのお父さんが丹精込めて書いてくれました。 こんな長文は初めてというほどで、お母さんとで書きあげてくれました。 8畳間1室を占領して鎮座している板が、書かれたことで息を吹きかえったように輝いて見えました。 小雨の中帰るのに、緩衝材を巻き、毛布・青シートで三重に保護して重要文化財扱いで帰りました。 後は大内建業にお願いして掲げます。
加藤智一さんは寡黙な方で帰りしなに記念にと「絆」と彫られた寸角の印と、フルネームで彫られた角印、それも切布で作った印は袴付きです。 またまた私の宝物が増えました。 原稿はは小林康雄さんが、小林さん・加藤さんは末代まで残る絆の井戸の建屋で、100年先200年先に津波の恐ろしさが消え失せないように、警鐘を呼び掛け指針になってくれると思います。 周りの協力者にただただ感謝有るのみです。 。
こんばんわ 鈴木有機農園です。
今日は一日事務職でした。 絆の井戸石碑除幕式案内の名簿拾いです。 手分けして皆さんにお世話になっています。 100人ほど用紙に書き込んで出来た順からFAXして郵送して貰っています。 ボランテァに来て頂いた皆さんと支援戴いた企業・個人も大勢いますので後数10名に郵送です。 今回はEM開発者の比嘉照夫教授・碑文を作詞した出口俊一氏もご臨席されます。
2年6か月前の震災の様子を知っている方々に案内ですので、復興を確認して貰うのと「絆の井戸」を永久保存して後世に津波の恐ろしさ、復興に携わってくれた全国の暖かいご支援で復興できたことを伝える石碑と建屋内部に記述を掲げ、末代までも事実を伝えるためです。 取りこぼしの無いように頑張っています。
こんばんわ 鈴木有機農園です。
今日は一日葬儀でした。 葬儀会場を選ぶのにも駐車場のスペースがとうの、会場が狭すぎると二転三転決めただけあって広々としています。 土・日でないので通夜が断然多く、葬儀は通夜の7割位の参列者でした。 92歳と長い人生の中での付き合いが良く判る葬儀でした。 生花・供物など会場一杯で、故人も其れなりの交際をしていたと生前中の生活信条が垣間見られました。 百ケ日の法要まで済ませ、故人の冥福を祈ってきました。 葬儀まで五日間、ご家族も心身ともに疲れたことと思います。 今夜はぐっすり休まれますように・・・