先日藤沢の姉宅に行ったとき、車庫の中には車はなく、代わりに新しい自転車が入っていました。
電動自転車を購入したのだそうです。坂道もあるしお買い物にとても便利だそうです。
遊びに来た時のために大ちゃんの自転車もありました。
大ちゃんも、その自転車に乗って遊ぶことももうなくなるのでしょうね。
去年あたりまでは、孫世代の遊びに来た子たちの賑やかな子どもの声もきこえましたが、とても静かです。
同じ頃、同じような世代の家を建てた人たちが、みんな同じようにリタイアし高齢者になってきたのです。
ご近所付き合いも ゴミ出しの日に出てきたオジサンたちがちょっと会話を交わすぐらいだとか。
(姉宅の庭になっていたシークヮーサーの実と甘夏)
伊豆高原に行ったとき山の上の方までずっとたくさんの住宅が立ち並んでいたのが見えました。
バブルの頃に建てた別荘の住民は、老いて坂道を上り庭の手入れや維持管理に大変な思いをされているのでは・・・
若い時は、自分の老後というものを現実的には考えれないものなんですよね。
自分が年老いたら息子や次世代に継がせるつもりだったという人もおありでしょうが
そんなもの要らないとばかりに、さっさと別の場所に自分好みの新しい住宅を建てたとか・・・
だから今、「どうする親の残した古い家」という問題があちらこちらで・・・困ったことでございます
私たち団塊の世代が高齢者となり、医療や介護などあらゆる社会問題として取りざたされています。
今年、わが家は町内会の班長が輪番制であたり 町内会費の集金で ご近所を回りいろいろと思うものがありました。
14軒の班ですが次回の14年後は、はたして我が家を始めどうなっているのかと・・・・
決して山の中の過疎地というわけではありませんし、便利な住宅街の中にあり
まず小中学生が、ひとりもいません。ほとんど高齢者世帯。
結婚しないで親と同居する若者とは言えない中年?が数名・・・
後期高齢者や男性の一人暮らしも。
10時頃行ったら新聞がまだポストに入ったまま・・チャイムを鳴らしても出てこないので
数時間後にまた行って何度もチャイムを鳴らし大きな声で呼び掛けたらやっと出てきて
「ここ数日、誰とも会話をしていないから声が出ないの」という。でも、お元気だったからよかったけど。
「何かあったら声をかけてください」と言う私も高齢者のうちでは若手で頼りにされるほうなのだと
悩ましき現代社会の縮図を見た思いでした。
ああ、人さまのことはさておき わが家も この先どうなることでしょう。。。
どうにかしなきゃと思いつつ日々は過ぎ 今とりあえず何とかなってるし
決断できるのは何かあったときなのでしょうね。。
せめて人さまに迷惑をかけないようにということだけは心に留めておきたいと思います。