Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

日野原重明先生を悼む

2017年07月18日 19時47分18秒 | ブログ論。私の本音。一人語り。物故録。恋愛論。恋話。大いなる自分の好み、嗜み。
 今日、医師で、聖路加国際病院の理事長であり、名誉院長の、日野原重明先生が亡くなられた一報を聞いた。
 我が家にも、日野原重明先生の本があった。
 日野原先生のラジオ放送は、短波放送の、ラジオ日経にて、平日水曜日の夕方五時十五分過ぎに、「日野原重明の輝く顔と輝く心」という番組が放送されていた。

 私は、その番組を聴ける時は聴いていた。先生のお話は、誰が聴いても納得する、皆為になるような、有難いお話ばかりだった。聴いているこちらが、最後は自信が持てるような、自信をもって生きて行けるような、正に、人生の応援歌だった。
 百五歳。長命な方だろう。けれども、もっと生き続けて下さるような気がしていた。最近は先生の話を余りラジオで聴かず、番組を聴くのをだいぶ御無沙汰していたが、まさか、今日訃報を聞くとは…。
 テレビでもそのお元気なお姿を拝見する度、心から、私自身が応援されているような、励まされているような、暖かな気持ちになれた。
 今は、あの温和で暖かな日野原先生の言葉を再び噛み締め、先生のご冥福をお祈り致したい。南無妙法蓮華経。合掌。

あの、女が、―居た……。

2017年07月18日 18時11分01秒 | ブログ論。私の本音。一人語り。物故録。恋愛論。恋話。大いなる自分の好み、嗜み。
先週、病院に行って、いつものように、座席で診察やリハビリの順番を待っていた。
 私は病院備え付けの、雑誌、週刊文春を、これもいつものように、眺め、読んでいた。

 次の時、前の順番の段階で、診察室から、或る女が出て来た。

 その女は、どこかで、見覚えのある女だった。

 私は、記憶の隅を辿り、漸く思い出した。忘れもしない、
 十七、八年位前に、確かに別れた、向こうから別れを切り出して来た女だった。

 その女は、自分の記憶が無くなりやすいのか、何なのか、舌の根も乾かぬ内に、
 別れて半年後の正月に、腐れ縁の私に年賀状やら手紙を寄越した。
 記憶がないのか、自分の手持ちのカードとして、
 最後まで私を利用する、したいつもりだったのか?。

 私は無視した。一切連絡を絶った。それ以来、その女からは、何も来なくなった。

 あれから十数年。あの女は、だいぶ変わり果て、情けなくも、
 気持ちの悪い程に、まるで、怪物が化けて出て来たようだった。

 時間の経過は、諸行無常で、非情だ。情け容赦がない。

 まるで、あの当時からそうであったが、化粧っ気のない顔。

 変わったのは、ざんばら髪の、狂った女のような滅茶苦茶に引っ掻き回したような汚い髪の毛。

 昔からぽっちゃりはしていたが、より肥え太り、肥満した人用のサイズのジーパンズボンに、
 それを覆うように、革バンド一つで無理に支えたような、  
 胴回りが私の二倍も三倍も何倍もありそうなぶっとい大太りの腰回り。

 顔色も、以前は白くて、化粧しなくてもそれ程目立たなかったが、
 今では黄色いような薄茶色いような、黄疸気味の表情。

 病院の看護師と話す時の声も、
 かすれ気味の、発音もどぎつく、何を言っているのかわからない、
 夢遊病者のような、正確な発音じゃない、粘っこい粘口の喋り方。

 あの頃も、そんなに大した美人と言う程の娘ではなく、平凡な感じが取り柄の娘だったが、
 今のあの姿は、人を幻滅させるに格好の哀れを誘うみすぼらしさだった。

 私は、ショックから、見てはいけないものを見た、と思ったが、しかし、

 よく見て置け、これがあの時、自分が一時ででも好きになった人の、

 成れの果ての姿なのだ、と自分に言い聞かせるように、

 心に刻み付ける如くに、あの女を凝視した。

 あの女は、次の瞬間、病院の受付で名前が呼ばれて、私の考えはその時確信に変わった。

 確かに、あの女の名前が、読み上げられた。私の名前も診察室から呼ばれたが、
 一向にあの女は気が付かなかった。

 それ程に、私も忘れ去られ、私の顔を一瞬あの女も見たが、
 人違いと思わせる程、時の経過を物語っていた。

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 昔に付き合った人間と出っくわす。それは他面、
 いい事もあるし、悪い事もある。自分をふと、省みる。

 私は、自分は、あの頃よりも進歩しているだろうか。
 少しでも良い人間、有為なる人間、頼もしい人材として
 胸を張って生きているだろうか。

 叩けば埃の立つような人間だろうが、それでも、
 毎日を感謝して、満足して、人間らしく生きているだろうか。
 人様、世間様に後ろ指差されるような人間ではいないだろうか。

 人に慈悲の心を、慈悲の行動を起こし、慈悲の眼で、
 人様へ慈悲を差し伸べて与えているか。人様に感謝される人間となれるか。

 努力を、あの頃よりも心掛けて、精魂傾けて、人一倍努力し続けているか。
 人生を、自分で恥ずかしくなく、自分なりに、自分の道を、
 大道を、大手を振って、堂々と、歩いているか。

 一日に、何度も何度も反省を加えて、明日の糧にしているか。
 今日、この今の時を、精一杯、悔いなく生き切っているか。生き切ったか。

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 今日その日の出来事は、別段、悲しくもない、ただ遣り切れない、
 虚しい感じのした一日だった。
 それらの事を、一つ合わせて、考え、思った。そんな一日だった。

 南無妙法蓮華経。合掌。
 以上。

自分語り、今日はラジオの話をしましょうか―あり得ない会話体、BARアヴァンティー風に…

2017年07月18日 11時31分16秒 | ラジオ・テレビ・新聞雑誌ネット等マスコミ。ラジオ機器オーディオビジュアル製品
 私の家にある、ICF-SW11という、国際ラジオ、ワールドバンドラジオ、短波ラジオ。これが今、問題だ。

 何故問題か、と言うと、あのラジオメーカーと自分の中では認識している電機メーカー、ソニーが、このSW11の生産を取り止めてしまったのだ。

 私の家には、この他に、短波ラジオが、ソニー他数台あるが、この製品は比較的安価であり、その日本メーカー製の安心感たるや、綺羅星の如くの、ソニーと言うメーカーには、そのラジオ製作にかける情熱を、私は高く買っていたのだ。それが、いとも簡単に、容易く、何で次から次へと、ラジオ機器を生産停止にするの?と言う疑問符を投げ掛けざるを得ない。日本企業・国産メーカーのソニーって、ラジオの生産に命を懸け、ラジオの会社として出発した会社・企業の筈だったんじゃなかったの?

 ラジオを始め短波を軽視するソニー。これらラジオ機器には、他にも、五千円台で売っていたが今ではヤフーオークション等で高値で取引されている、AM単機能の、ちょっと小ぶりだが少し大きな、可愛かったICR-S71、だとか、カセットテープのケースサイズの小さいのに重厚で手にずっしり重く、一杯機能の詰まった、一万円ちょっとで売っていた国際短波ラジオICF-SW22、他、多くの人気機種を、ラインナップを、削りに削った。

 パナソニックは、とうに平成の何年かから、とっくに短波ラジオは見限り、生産撤退、中止停止に追い込まれている。それに愚かにも、「ラジオのソニー」が乗っかって続こうとするのか、愚の骨頂、はっきり言ってバカだ。その内、それじゃあ、今だって、否それ以前からも、短波ラジオは国産は割高だからと、国外海外、特に中華ラジオに注目が集まる。ソニーも堕ちる所まで堕ちた。

 正に、自分の手で自分の首を絞める、現経営陣の大バカ息子達。もしや、創業者の盛田昭夫・井深大、両氏が現代に蘇り現状を見ていたら、「この愚か者め!獅子身中の虫どもめ!」と以前は碌に業績も残せず赤字の山を築いた前職ストリンガーなる外人雇われスパイ経営者もどきをかつては飼い、今の現経営者で社長の鬼畜「平井」以下を大いに嘆き、罵倒せしめ、正に正義の鉄槌、肘鉄を食らわして、怒号の一喝を賜る程の、情けない、庶民や何を置いてもソニーの会社自身の体面を傷付け、ないがしろにして、辱めている現状は嘆かわしいの一語に尽きる。

 ソニーに、ラジオを作る職人魂、クラフトマンシップ、仕事の鬼のような企業精神、体質を期待していたのに、最近のソニーにはその期待を裏切られ、ガッカリばっかりさせられている。もっと日本の消費者たちは、ソニーの横暴に対して、おかしい、と怒りを露わにしても良い、と信ずる。

 世の中の人は、と言えば、ラジオなどには気にも留めずに、ラジオなんて、と通り過ぎる人大多数(苦笑)。

  

 ラジオに少々詳しい人でも、ラジオ好きな、ラジオに一家言のある人達が語っています。以下に述べる、こんな事を、今日も街中の一角のあるレストランバーでは、お話ししていたそうな。それでは、じっくりと、話に聴き耳そば耳を傾けてみましょうか。(往年の名作ラジオ番組。TOKYO-FM、「サントリー・サタデー・ウェイティング・バー・アヴァンティ―」風にラジオ司会者を気取って。(苦笑))。

(或る人はこう言う)
―「ソニー?、昔の栄華に酔っ払ったような、古い体質の、現代では時代遅れの企業?駄目駄目!今じゃ保険屋が本業の、社長以下、皆、素人で技術者なんて皆無。技術屋で持っていたあのソニーも、今じゃゲームやテレビ位しか売る物もなくて、保険屋が主力だもんねえ、立ち行かない訳よ、ラジオ?古いよねえ、短波放送、何それ。」

(別の人は~) 
 「短波放送?ああ、子供の頃、大人になるまで、確かに昔、BCL遠距離受信で、短波ラジオで世界の放送を聴くのが流行ったさ。当時はソニーのスカイセンサーやナショナルのクーガーだったけかな、他のメーカーも、沢山の高価で高感度な短波ラジオが出回っていて、子供ながら憧れの的だったよ。学校から帰ると、真っ先に自分ちにある高級ラジオ、スカイセンサーのスイッチに手を伸ばして、ずっと世界から電波で送られてくる国際放送の受信に余念がなかったナ。しかし、それも昭和の頃が最盛期で、その後は下火だったね。高校生の頃、一度、日本の深夜放送が大ブームになってて、自分もよく聞いた口だけど、今じゃあラジオは滅多に聴かないねえ。車で聴く位だよ。家では聴かないよお。家ではテレビやネットがあるし。何たってスマホの時代だヨ。テレビも今では衛星放送だCS放送だと色々あるからね。わざわざラジオなんか聴かないよ。」

 「でも、おいらも時々、あの小中学生のBCLブームや、高校生以降の深夜放送ブームの頃を懐かしく思い出す事がよくあるんだ。あの頃は、あんなラジオなんて、音だけが頼りの、本当に細々としたメディアであり、自宅のラジオも小さなトランジスターラジオの箱の中の世界なのに、あの頃は本当に輝いて見えて聴こえたなア。ほんと楽しかったよ、ラジオの中のお喋りや音楽が。間違いなく輝いていた。今の衛星放送テレビなんてびっくり仰天の、面白さだったねえ。あの頃に戻りたいよ。」

 「でもさー、今は風の便りに聞くと、だいぶ短波放送の日本語放送が減ったって聞いたね。あの頃は、アメリカ、ドイツ、フランス、イギリスBBC、バチカン、オーストラリア、ロシア、ほか等々と、沢山の国々が短波放送やっていたからね。今は、近隣の、アジア諸国の放送ばかりなんだろうね。聞く気も起きないよ。」

 「もっと、日本を取り巻く、ラジオ放送の環境が、一度、ビッグバン、起爆剤を起こして、カオス、混沌の中に、全部の全国の既存の放送局がかき回されて、淘汰されて、玉石混交の中から、しっかりと、一、二を争うような、立派な放送局が、日本各地に現れて来れば大したものだ。一度、既成の放送局が死に、犠牲にならないと駄目だろうな。」

 「そうそう。それよ。既得権益に今まで守られて来た放送局も、規制のタガが外されて、放送局大倒産時代、大合併大合従連衡時代がその内来るんじゃないの。そう遠くない未来に。法律は何だか変わったとかって、以前、新聞かネットで読んだよ。日本の放送各局は、政府関係省庁に甘やかされて来て、自助努力を怠って、正に怠けて、今の今まで、補助金だの何だのって、国におんぶに抱っこの状態だったのが、今度は、国も借金財政で身に染みて、そんな余裕はなくなった。民間放送局が潰れても、構わない、その代わり、儲かっている放送局がそれらを赤字弱小放送局を買い取る。局同士の合併を認めて、都道府県をまたいでも良い。そうやってそれを乗り切る方針。今までが異常だったんだよ。」

 「国の税金をそんな所につぎ込んでいたなんて。健全じゃなかったんだよ。在野の民間の放送局の独立自治の精神にももとる。僕の地域の民放ラジオ局なんて酷いもんだよ、CM、宣伝なんか何も流れない。ただ自局のラジオ番組の制作宣伝を垂れ流し。」

 「ああ、うちの所も、そう言えば、時々、過払い金の弁護士司法書士事務所や、宝くじにパチンコスロット、競馬や競輪、競艇のギャンブルの宣伝、カニやエビなどや健康食品などの通信販売の宣伝、創価学会や幸福の科学、生長の家、天理教、日蓮宗身延派、浄土宗、立正佼成会に霊友会等のいかがわしい怪しげな宗教宣伝や番組のPR、それらのえげつない、下世話な、露骨でいやらしい、ハイエナのように人々の生活を狙い脅かす宣伝群が流れては消えて行っていたっけ。無視したくとも、そうした悪徳宣伝CMばかりはスポンサー企業様の意向に逆らえずに流す。果たしてこれが民主主義の世の中の民意を反映した、民衆一般大衆が本当に望む、あるべきラジオの姿なのかねぇ。」

 「だからね、僕は、民放ラジオがそんなだから、とうとう、ラジオは宣伝CMのないNHKラジオ第一・第二・FM放送一択に代えたよ。正確には三つのNHKの電波だから三択だね。NHKだけでも、三つもチャンネルの選択肢があれば、いいよね。何かしら、面白い事やってる。これ、ラジオはNHKしかないね、今は。民間放送はギャンギャンうるさくって。仕事にならないよ。」

 「小沢昭一さん、お笑いの、早稲田中退三人トリオなんてあるんだかないんだか、あの小沢昭一さんの『小沢昭一の小沢昭一的こころ』というラジオ番組、あれは面白かったな。学校帰りの、確か夕方の時間帯にうちの地方ではやってた。下手な落語よりも面白かったよ。あの頃がTBSラジオ本局の最高傑作、だったなありゃ。今は小沢さん、惜しくも亡くなっちゃったけど、今でも生きていたら…。そう考えると、今のラジオ界って、何にもしない人ばかりが浮き上がっちゃっていて、ちっとも面白くないねえ。昭和時代には戻れないけどさ、あの頃の、少なくとも平成二十年代までは小沢昭一さんのような番組続いてたんだから、また後をバトンタッチして、後続が続いていかないと…。何も昔が懐かしくって言うんじゃないが、昭和は遠くなりにけり、だねえ、やっぱり。」

 「永六輔さんも生前言っていたね、『自分がラジオを聴くならばNHK!出演し出るんならば民間放送のTBS。そういうもんだ』ってね。昔っからそうなんだよ。永さんも良く言ったもんだ。民放ラジオは聞くに堪えないね。今となっては、庶民の敵!のようなもんだよ。聴きたい話などは何もないし。こうやってあたしら一般庶民だってグチグチ話すけど、民放ラジオはほーんと、愚痴だらけの愚痴まみれの、後は怪しげなコマーシャリズムに毒された、正に理不尽な、逆立ちラジオだね!毒にも薬にもならねえ。止めとき止めとき!。あたしゃ言っとくけど、民放ラジオ、御免だね。聞いたって一文の得にもなりゃあしないよォ!。」

 「俺も地方の人間で、詰まらないけど、無理して地元の民間ラジオ放送聞いてた。FM、AM問わずにね。その話聞いてて、合点がいった。俺も今日から民放ラジオ辞めて、NHKラジオにするわ。まあ、当分は、俺、学生時代からずっと音楽好きだったベエ。だからクラシックの掛かるNHK-FMから入門する事にするよ。後、演歌や歌謡ポップスも好きだから、今日たまたま聴いたら昼の時間にJ-POP、FMでやってんのね。そして夕方も昨日や土日になるとこれ又好みの曲をやっていたのを、たまーに車なんか乗ると聴こえる訳。しかし、今までの習慣って怖ろしいね。民放ラジオに図らずも回しちゃった。もう、そんな悪い習慣は辞めて、きっぱり、CMのないNHKラジオにする事に決めたっちゃ。うん、そうするヨ。」

 一同「賛成。賛成。さーて、帰りの電車は何時発かなあ。会計は割り勘だナ。さあ、急がないと電車に乗り遅れちゃうぞ!そらっ、急げっ!」
 一同「急がば廻れって言葉、知らないのかい?まあ、皆歩いてきたから、ポケットラジオでも皆聴いて、今だったら丁度、七時前だから、時報と共に、NHKのラジオニュースが聴ける。途中まででも各々、ゆっくりと歩こうよ。幸い、都会の電車は便数が多いから、乗り遅れるって事はないよ。」
 一同「(唄って)♪おお手々つないで皆帰ろう、カラスと一緒に帰りましょー♪。」
 一同「もう酔っぱらってるなー」
 一同「そんな事、うん、あるかな(笑)。」
 一同「さあ、もう帰る支度して、さっさと引き上げましょ」
 一同「おうー!」

 こうして、街のレストランバーでは夜ごとひねもす、お客の皆様のラジオ談議が、続いていました。なーるほど。勉強に、為になりましたよ。チャンチャン。おしまい。
~(サントリー・サタデー・ウェイティング・バー・アヴァンティ―<<~のもどき番組>>これにて終了!)完。