Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。日蓮正宗とは一切関係なく私個人の見解です。

韓国について

2017年07月07日 06時22分57秒 | 政治政党・左右政党・国際情勢・時代論・護憲改憲憲法論・日蓮正宗から見た政治論
韓国・朝鮮は、お隣の国だが、私にとっては余りに遠い。
 この場合、精神的に遠いという意味である。
 必ず日本を標的にして、デモや焼き討ち等、日本をやり玉に挙げる体質。
 しかし、個人的には、一人一人の韓国人は、そうではなく、ちゃんとして、そんな素振りは見せることは余り珍しいという事を何かで聞いたが、彼らの生みだす文化、映像、音楽等は、目を見張り、感動的であり、私も注目している。
 やはり、私にとって、韓国と言って一番に思い出すのは、ドラマ「冬のソナタ」、孔子様の儒教の国、キムチ(朝鮮漬け)、ビビンバ、焼き肉、という、一般風俗だ。
 冬のソナタを生まれて初めて視聴した時、その美しい映像と美しい音楽、何といっても主役のペヨンジュンの日本人のような寸分違わぬ顔立ち、仕草、雰囲気に魅了された。冬のソナタと言うと、古いと読者の方は言うかもしれないが、あの作品が、今の私にとっては韓国ドラマでは至上であり、最高の作品であり、他の作品は私は余り感心しない。
 NHKの海外ドラマ、韓国ドラマでは、その後、イビョンホンの美しき日々、同じくイビョンホンのオールイン~運命の愛、韓国王朝ドラマのチャングムの誓い等が引き続いて放映されたが、全部見たが、回を追う毎に作風が劣化して行ったのを覚えている。
 やはり、最初の「冬のソナタ」で完全に私はノックアウト、あれが最高であり、感動した。あんなに外国ドラマで泣いた事は今までになかったし、これからもないだろう。作品の全編が全て、一貫して美しさ、はかなさで満たされていて、あんなに素晴らしいドラマは見た事がなかった。
 日本人には到底作れない、韓国人たちの底力、真心を感じた。音楽も素晴らしく、私はその放映された当時、早速輸入盤のサウンドトラックのCDを買い求めた。
 ペヨンジュンは、眼鏡を掛けていて、若い眼鏡を掛けた俳優は、当時としては珍しかった。私も眼鏡を掛けているが、昔から私は、がり勉、近視眼的、遠目の利かない、と、眼鏡に対して非常に劣等感を抱いていた。高校から眼鏡を掛け始めたが、ずっとコンプレックスがあった。
 しかし、ペヨンジュンさんは、臆面もなく、堂々と眼鏡を掛けていて、それが寧ろ魅力というか個性にもなっていて、当時、お笑いでペヨンジュンさんの物真似をする時は、必ず皆、同じ眼鏡を掛けていて、とても微笑ましかった。
 私は、自分のコンプレックスは、取るに足らない、現に、ああやって、眼鏡を掛けていても、ちゃんと俳優業をなさっている方もおられるんだから、と、逆に非常に自信をもつようになった。私にとって眼鏡は、今では完全な、私の外面を繕う武器、小道具、気の利いた日常生活作品の一部となっている。
 その点では、ペヨンジュン氏には非常に感謝してもし尽くせない位、高校生時代からの負い目、コンプレックス、劣等感の解消を果たしてくれた俳優として、私の記憶の中では彼の功績として心に留め残っている。
 親孝行の国、韓国。孔子の論語は私も大好きだ。日本では、儒教は今では宗教と言うより学問、道徳の範疇である。韓国は知らぬが、今も孔子の教えは韓国社会の隅々まで息づいている。孔子を学ぶ人に、悪人は余りいない。論語読みの論語知らずというが、一度でも論語の世界、孔子様の教えの一端に触れたならば、大体の輪郭、素晴らしさは解っている筈で、字を文上で、上っ面でばかり読むからそうなる。日蓮大聖人様の仰るように、文の底、文底(もんてい)から読まないと、つまり、よく言う、行間を読むというやつだ。それも繰り返し、繰り返し、自分の血や肉になる程に読み込む。身で読むのだ。
 韓国は、一度は憧れの国だったが、今は余り違う。少し残念だが、韓国語を学ぶ程ではないが、韓国文化は少しは知ってかじって置いても損はない。韓国のCDにもう一度恋をしてみるか。