Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。日蓮正宗とは一切関係なく私個人の見解です。

創価学会は日蓮正宗の派生団体、それ以下でも以上でも無い

2018年06月25日 20時39分47秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
創価学会は、まるごと、日蓮正宗の外護団体として出発した。だから、正宗とは本来、一体であり、独立を企てるとは何事か、不遜な存在が現在の創価だ。
 誰が何と言おうと、創価は独立しては教義上、やってはいけない。だから、日蓮大聖人を軽しめ、池田大作を本仏とする、「池田教」を演ずるのだろう。
 このフラストレーションは、やがては必ずや、日蓮大聖人という金看板を外して、本当は池田を主人公とした「池田宗」を実現したくて闇に紛れて画策しているのだろう。
 この間、たまたまラジオで聖教新聞のコラムを読むラジオを聴いていると、彼らの最近の日蓮大聖人の呼び方が、「大聖人」の冠の字を外された、「日蓮」と、まるで歴史の授業での扱いの如くの、敬称抜きの、冷たい扱いをしている事が多い事に気付いた。
 これは、彼らも御本尊をその上人のものは認める日達上人さえ、「日達」「日達法主」と呼び、やがては日達上人さえ、歴史の闇に葬り去り、創価は裏切り、見捨てて、見解を代えて、日顕上人同様、呪い始めるのも時間の問題の気がする。(創価の昭和五十二年路線の経緯から、そう考える)。
 やはり、創価の企てた独立は、間違いであった。
 創価学会は日蓮正宗の派生団体であり、それ以下でも以上でも無い。元々さしたる教義すら創価は持ち合わせてはいなかった。日蓮正宗とは一蓮托生、日蓮正宗なしではあり得ない宗教が創価学会であった。
 それが独立するとは、開いた口が塞がらない。悪いジョーク、何度も言うが、中身のない餃子を食べさせられているような悪夢を見た。もう、救われない新興宗教団体、創価は、その巨体を引っ提げ、どこへ行こうとするのか?誰にも見えず、どうしようとしているのかも、誰にもわからない。

どの学問が人を、人生を救うのか?私の高校時代の恩師の思索

2018年06月25日 19時12分36秒 | 学校・教育への提言特集、注文・恩師への感謝・学生生徒時代の想い出
私は余りそういう考え方を学問に対して持った事は少ないのだが、私の高校時代の女性担任教師のS先生という方は、先生が学生時代、大学進学に当たって、どの学問が実際、人を人生を救い、助けるのか、と思いつめ、かなり悩んで、やがてその先生は文学部を選び、国語教師となった。
 しかし、今となっては、文学で人は救われるのか、救えないんじゃないか、と逡巡し、迷いの最中であると言う。
 その時は、確か国語科で森鴎外の舞姫の時間で、法学(法律学)でも、決まりきった杓子定規の法律じゃ、法の裁きは冷たいばかりで人は救えない、主人公からそう学び、じゃあ、一体、何が人を救うのか、と話が広がった。
 私の母などは、その時の話をすると、青臭いと言うか、その先生も真面目でお人好しだねえ、今時、学問で人が救えるかなんて考えるなんて、純粋なんだねえ、と言っていた。
 私は、医学は、人の命も体も心も救うのではないか、とも思うが、今の医学は対症療法に特化し過ぎて、どうなのか。医療過誤、医師による殺人とも言える医学による事故事件など起こると、それも虚しい。薬学もある一面、薬で人を救えるが、時々蔓延する薬害事件・事故の問題もある。
 工学部の建築学科なども、建物で人は救われるのか。救われるかもしれないが、一部の人が享受して、家庭内のホルムアルデヒドなどは救われない。
 やはり、今、若い学生にも人気の、福祉の学問なども、その仕事をしている人が救われているばかりで、肝心の患者、障害者、高齢者が食い物にされていても困る。しかし、尊いお仕事だが。
 経済学なんて、つぶしは効くが、所詮金儲けの学問。ただ、株のやり方は大学では教われない。
 文学。文学が、精神の安定には効くかもしれないが、人間を果たして文学の活字で全面的に救えるのか。読書なら、個人で、一人静かに読んでもらって、何も大学で迄習う手間ひまが勿体ない。私は文学では人は救えないと思う。
 やはり、実学、実際に役に立つ学問、特に理系に多いが、そういうものが人を救う気がする。福祉学部なども、障害者、高齢者、患者との垣根が取っ払われた時、差別が払しょくされた時、そこにエルドラド(黄金郷)が誕生する、と思う。
 何が、どんな学問が人を救うのか?それは多分にそれを志向する一人一人に希求するものがどこに帰結するかで、千変万化、変わるものなのであろう。答えは百通り以上あり、答えは自分の中だけにあり、或いは答えはないのかもしれない。