今日は、栃木のKさんと、電話でお話しした。
そうして、Kさんは、本日のお寺の僧俗指導会に出席後、郡山市文学の森資料館に行き、そこで今、開催されている、郡山市出身・県立安積高校出身の文学者、久米正雄は俳人でもあり、俳号を三汀と名乗り、Kさんも俳句を志す関係から、それらを見て来たとの事。
その後、私との電話で、私が、年上の元講頭の高齢女性のGさんといまだに仲が悪く無視されて、これは許されるのがいつまでかかるか分からない、と言うと、いつもその事で御本尊様に祈っているの?と聞かれて、私は、あいまいな祈り、祈る時もあれば、祈らない事もある。祈らない事の方が多いかな、と言った。
まあ、Kさんも、それでは、それだけの関係だったのかな、と私を諭し、私も祈らない訳じゃないが、そこまでではないのだ、と私は打ち明けた。私の覚悟の浅さが浮き彫りと鮮明とになった。
私が思うのは、その時の電話で仲たがいした時のような、あんな、あっけなく人を傷つけるのでなく、今年は今年こそは、「平和主義者」で行きたい、生き抜きたい、との大きな望みがある。これを山をも動かせる程の、大きな志、待望の夢を懐き、今年は大いに乗り切り、頑張ろうと私は今、思い立っている。
以上。よしなに。wainai