今朝、五時台に、朝のお勤め、日蓮正宗の勤行を致していた時、ムクドリか、ツグミなのか、あれは何鳥なのか、判らないが、私の外に置いてある、仏壇に近い、窓越しに、そこに私の自転車があり、そこのハンドルに、その、比較的中位の鳥さんが、しばらく、私の勤行の声に合わせて、さえずり、歌を歌いながら、私との声の競演となった。
私が、鈴(リン)を鳴らすと、その鳥は去って行ったが、あの鳥も、法華経を、大好き、法を求めているんだなあ、と、他人事ならぬ、鳥ごととして、気分も一新して、畜生界としての、彼(彼女)の鳥の境遇を思い致していた。
鳥ですら、法を求める。人間は?十界のうちの、人界は、真ん中の、第五番目にあり、平らかなるは人、と言われている。
人間界に生まれて来るのも、容易じゃない。前世で、余程の善徳を積まない限り、この世に人間として生まれ得ない。
けれども、この末法悪世に、我々が生まれて来たと言う事は、余程の、前世で成仏を遂げられずに、修行がてら、余程の悪党として、生まれて来た、とも、仏教では、矛盾するようだが、説いている。末法悪世の荒凡夫、と。
とにかく、前世からの、罪障消滅の為に、この世で善行を積み、自行化他行、自ら、ちゃんと、法華経、御本尊様に朝な夕な、勤行唱題に努め、その車の両輪の如くに、折伏化他行にもいそしむ。
これが、日蓮正宗信徒としての、矜持(きょうじ)、仁義、義務と権利、もっともやらなければならない、非常に大事なことである。
以上。よしなに。wainai