今から、三、四年前、今頃、というか、夏盛り本番の暑い頃、私は、近くのコンビニへ、何か、食べ物でも買おうと、自転車で、乗りつけた。
そこへ、ちょうど、運悪く、というか、警官を乗せたパトカーが、通りかかった。
私は、ギョッとして、ちょうど今は、夏休みだから、結構この辺りも、警戒区域に入ってるんだなあ、程度に、そのパトカーを振り向きざまに見送った。
すると、そのパトカーが、私がコンビニに自転車を停めてる隙に、「ウー」と警戒音を鳴らして、私の前に現れた。
そうして、物々しく、私の前に、それら、二人の警官が現れ、ポケットに何を持っているか、バッグの中は、等々、調べ出した。
私は、これが世にいう、職務質問、という奴だと一人合点して、その捜査に協力はしてやった。
そうして、私の仕事先を聞き、私に、異常性がない事を聞きつけた上で、やっと、解放された。
その事を、うちに当時来ていた、ヘルパーさんに言うと、その警官はおかしい。○○さん(私)が、疑われるなんて、よっぽど仕事がなかったのかねえ、と言った。
うちの、元講頭を務めた、女性も、それは可笑しい、と断定した上で、その時に、「折伏」はしなかったのかい?、その、私のカバンには、御経本や、御数珠、お寺で使っている御本、等々は無かったのかい?と私に聞いた。
私は、「しまった。しくじった!」と思った。折伏のチャンスをみすみす逃した事を自身、恥じた。その時の、カバンには、カバンの影に隠れて、それら、モミの木クリニックの院長先生が、私には「仏教セット」と呼び習わしているのだが、その、仏教セット、詰まり、お寺で使う全ての、折伏道具が、その時現在、カバンがパンパンになる位、わざわざ持ち運び、全て揃っていたのだ。
みすみす、敵前逃亡、折伏対象が逃げて行ってしまった事になる。
私は、女性元講頭さんに、「あ、そうでした。すっかり、忘れていました。」という他はなかった。
この事は、先日の、私の交通事故まがいの、事故の時の、警官たちとの語らいでも、利用、折伏が、出来た筈なのだ。
それさえできていれば、今回、こんなに、事故後の後遺症の痛みで悩まされる事共も無かった筈だと思い致す。何と勿体ない事であるかと。
私は権威や権力に弱い。そのくせ、それらに逆らおうとする、汚ならしい根性も持っている。あの、警察官だって、おんなじ人間なのだ。人に言えない、悩み苦しみも、人一倍、持っているに違いない。
日蓮正宗の大仏法大仏教哲学を、相手を選ばず、言って、聞かせねばなるまい。宗祖日蓮大聖人様の仰る「一文一句なりとも、語らせ給ふべし」であり、下種仏法の本義本流たる、日蓮正宗法華講が、この世にお出ましになる契機、きっかけは、無限に眠っていたのだ。
私は、本当に、相手の身分や、地位、権力等々に弱い。しかし、警察官だろうとなんだろうと、うちの母方の祖父、おじいちゃんは、元警察官僚で、弁護士の二足のわらじを履く、そういう、むしろ、警察の人達とは、仲間、というか、慣れ親しんでいる間柄であったのだ、数十年前までは。
だから、私が、自分自身が卑屈になって、怯えている必要も全く無い。むしろ、積極的に、日蓮正宗の正法正義を、大歓喜を、素晴らしさを、警察官であろうと、なんであろうと、創価学会の大幹部であろうと、公明党の議員であろうと、何でも一手に引き受けて、自身を卑下せずに、むしろ堂々として、それら、邪宗の塗炭の苦しみにあえぎにあえ、災難に遭い、苦しんでいる方々人達を、それらの人達に、一人残らずに、折伏に打って出たって、何にも問題じゃあない。むしろ、末法に於ける御本仏の、大聖人様は、大歓迎されるであろう。
であるからして、これからの私は、それら、相手の身分・地位に捉われず、積極的に下種、種を下し、折伏してゆく事共を、ここ、このブログに於いて永遠に固く誓うものとする。
以上。よしなに。wainai