「人間失格」(太宰治)
カスタマーレビュー
福島のあまっこ、wainai123753
5つ星のうち1.0 「富嶽百景・走れメロス」で一時キラリと見せた太宰の文学の真骨頂がこの作品で台無しに…!2017年6月9日に日本でレビュー済み 短編小説集の「富嶽百景・走れメロス」の一冊の岩波文庫は大変に感動でき、作品も良く出来ていて、本当に泣けた。個人的にもこの二書は良いと思うし、太宰の真骨頂であり、この作品の書籍は大切に自分の書棚に取って置いてあり、この四月に旅で山梨・静岡を訪れ、富士山を見て仰ぎ見た時に旅の終わりに富士山の雄姿を思い出して、家に帰り着くと思わずすぐ思いついて、つい学生時代に読んだこれら二書を再び読んで、太宰はこの作品、富嶽とメロス、ここまではまだ何とか良かったのに、と思いつつ、後の彼の人生・生活が自堕落に、落ちぶれたのだと。俗に言う「文学崩れ」の負け犬の人生をこの人も歩まざるを得なかったのだと。この人は、短編の名手ではあるが、長編になると、冗長な文体が災いしてか、愚にも付かぬ、駄作に陥るきらいがある。
この小説、「ー失格」は高校生の頃読んだ記憶があるが、読後感は、只疲れた、意味がさっぱり分からない、駄弁が過ぎる、気味が悪い。最初と最後に一応、紹介文的な挿話を挟み、文学書の体裁を整えた積もりなんだろうが、中身の部分の赤裸々というか、どうでも良い、ノンポリ青年と言うか、デカダンスを気取り、チンピラ崩れ、自堕落で不潔でだらしなく下らない、汚らしい、自己を卑下し過ぎて、自分を大事にしないで、こう言うことを書いて自分を辱め、本当の馬鹿・馬鹿者の極み。
底意地が悪くなった作者太宰の愚痴蒙昧気味オンパレードの神経症、精神錯乱、異常者の独白告白体の文章は、本当に売文駄文であり、これを書いた太宰治自身は、この作品、人間失格で彼の全生涯のライフワーク、全仕事を台無しにして傷つけ無に帰せしめ、堕ちるところまで堕ちて最期の心中自死を迎える伏線を演ずる兆候を示し、作中人物に言わせているのは、本当の愚か者の、酒とタバコと女と薬物等に溺れた人間の成れの果ての壮絶な修羅・地獄界を現じ演じ、わたしはこの世の果てを見たような、読了後、本を閉じた瞬間、読むに値しなかった、こんな本を読んだことを改めて後悔した。
せめてもの救いは、これが夏休みの学校の図書館で借りた本であり、本屋から買わないで損しないで本当によかった事。何故かならば、お金の損得ばかりじゃなく、買った本は捨てない限り、家の書庫書棚に半永久的に眠り残り、その本の存在が、背表紙が目に触れて一生不快な思いをしなければいけない。わたしだったら、こういう気色悪い気持ちの悪い本、悪書は、買ったんならば尚更、即刻、絶対ゴミ箱に捨てると思うし、後々まで残るので(その本が物体としても印象としても)誤って間違えて読んでしまった記憶すら自身の脳裏から抹殺し消し去りたい気持ちだ。こういうのを害悪を撒き散らす「悪書」と言い、決して戦後左翼連中が賛美した名作傑作というふうなような「人間失格」という本は、即ち悪書以外の何物でもないのだ。健全な青少年を迷妄・苦悩・悩乱、悲惨の底に突き落とす、子供達には決して読ませたくはない、不快で後味の悪い書物でしかない。言論自由、人権尊重の恵まれた現憲法ではあり得ないが、これ程の悪書は、世が世ならいっそ「禁書」の類として国家の管理下に置かれても仕方あるまい。
これが太宰の代表作、傑作とまでは言わないし言いたくないし、言っているのは戦後の左巻きの思想的に偏った連中か、自堕落を地で行くデカダンス愛好者(そんな人は仮にいてもそんな団体は多分ないと思うが)的な変な人種以外にはいないし、中学高校の教科書に載ったのも何かの一時の間違い、日本文学の貧困、他に取り上げるべき作家もいるとは思うが(昨今の相田みつをや金子みすずの隆盛も何か腑に落ちず、特に金子は最期はこれも無残悲惨に自死して家庭を全てを捨てて放棄した金子という無配慮無責任の極致の今まで無名だった人間を今更再評価し仰ぎ奉っている最近の日本のマスコミ、文壇・文学界、教育界、文科省にはわたし個人としては疑問を呈したい。)、個人的には、作家ならば、歴史小説、歴史物で日本史の勉強にもなる人間としても人間的で人情味に富み、尊敬できる剛毅な人間観、骨太な歴史に残る人物群・人物像の小説・随筆を多く描く司馬遼太郎氏などをもっと検定の教科書の採用の際には重視して若者の世代には読みこなした方が良いと心から思う。
脱線したが、この書は、太宰の傑作などでは決してなく、それは戦後昭和の間違った教育、流行、風潮が生んだ、昭和の仇花だ。
この人のもう一つの書に「斜陽」というのがあり、これも暗いが、戦後「斜陽族」なる流行語を生んだ。しかし、今は、平成二十九年現在、小池百合子現東京都知事との確執を生み出した石原慎太郎氏の都知事時代の放漫財政が、舛添元都知事時代のそれより酷かったと一報が報じられたが、それを抜きにして、石原氏の出世作、芥川賞受賞文学作品「太陽の季節」も同じく「太陽族」なる流行語を生んだ。若者の世間を席巻する程の、小説はセンセーショナル問題作でベストセラーとなる。戦後世代の反倫理的性質を描いてはいるが、若者青年青春の息吹を謳っていてドライに清冽に真摯に現代若者事情を描き、「弟」石原裕次郎の映画初作品にもなり、その後の裕次郎の日活映画快進撃の端緒ともなる。
私は、「芥川賞」を望みに望んでも得られず、その稚拙さと強引さ狡さに於いての落選の報を告げてその理由を縷々述べていた当時の選者の川端康成に苦言を呈された太宰治の小説により生まれた流行語「斜陽族」に対して、それよりも遥かに影響力では上回り、当時「慎太郎刈り」髪型カット法も言葉としても流行し、若者文化の隆盛、与えた影響、青春の挫折・蹉跌と若さに溢れた若者特有の大らか朗らかで底抜けの明るさ、石原家の過ごした逗子海岸「湘南」のお洒落さと広大な海への憧れ、ボート・ヨッチングの文化、それら昭和の世相に於いて、断然当然わたしは石原慎太郎の太陽族を支持したい。太宰の斜陽族など、没してゆく没落してゆく貴族の話などに耳を傾けているいとまはないし、マイナス思考の悲劇惨劇以外の何物でもない。
「人間失格」。ジメジメとした、お天道様に背を向けた後期の小説群を生んだ太宰は、彼の生き方死に様共々、何度も言うが、晩節を汚してしまったね、残念だったね、と言う他はなく、読むだけ時間の無駄だった、張本人の作者も世評も各界も何の意図、トリックか多くのおもに日本人青年男女を迷わし騙し続けた、この一書に限り腐りきった陳腐な日本昭和文学の、戦後最大最悪の暗黒史、世相史、汚点、駄作とさえ言える。
この小説、「ー失格」は高校生の頃読んだ記憶があるが、読後感は、只疲れた、意味がさっぱり分からない、駄弁が過ぎる、気味が悪い。最初と最後に一応、紹介文的な挿話を挟み、文学書の体裁を整えた積もりなんだろうが、中身の部分の赤裸々というか、どうでも良い、ノンポリ青年と言うか、デカダンスを気取り、チンピラ崩れ、自堕落で不潔でだらしなく下らない、汚らしい、自己を卑下し過ぎて、自分を大事にしないで、こう言うことを書いて自分を辱め、本当の馬鹿・馬鹿者の極み。
底意地が悪くなった作者太宰の愚痴蒙昧気味オンパレードの神経症、精神錯乱、異常者の独白告白体の文章は、本当に売文駄文であり、これを書いた太宰治自身は、この作品、人間失格で彼の全生涯のライフワーク、全仕事を台無しにして傷つけ無に帰せしめ、堕ちるところまで堕ちて最期の心中自死を迎える伏線を演ずる兆候を示し、作中人物に言わせているのは、本当の愚か者の、酒とタバコと女と薬物等に溺れた人間の成れの果ての壮絶な修羅・地獄界を現じ演じ、わたしはこの世の果てを見たような、読了後、本を閉じた瞬間、読むに値しなかった、こんな本を読んだことを改めて後悔した。
せめてもの救いは、これが夏休みの学校の図書館で借りた本であり、本屋から買わないで損しないで本当によかった事。何故かならば、お金の損得ばかりじゃなく、買った本は捨てない限り、家の書庫書棚に半永久的に眠り残り、その本の存在が、背表紙が目に触れて一生不快な思いをしなければいけない。わたしだったら、こういう気色悪い気持ちの悪い本、悪書は、買ったんならば尚更、即刻、絶対ゴミ箱に捨てると思うし、後々まで残るので(その本が物体としても印象としても)誤って間違えて読んでしまった記憶すら自身の脳裏から抹殺し消し去りたい気持ちだ。こういうのを害悪を撒き散らす「悪書」と言い、決して戦後左翼連中が賛美した名作傑作というふうなような「人間失格」という本は、即ち悪書以外の何物でもないのだ。健全な青少年を迷妄・苦悩・悩乱、悲惨の底に突き落とす、子供達には決して読ませたくはない、不快で後味の悪い書物でしかない。言論自由、人権尊重の恵まれた現憲法ではあり得ないが、これ程の悪書は、世が世ならいっそ「禁書」の類として国家の管理下に置かれても仕方あるまい。
これが太宰の代表作、傑作とまでは言わないし言いたくないし、言っているのは戦後の左巻きの思想的に偏った連中か、自堕落を地で行くデカダンス愛好者(そんな人は仮にいてもそんな団体は多分ないと思うが)的な変な人種以外にはいないし、中学高校の教科書に載ったのも何かの一時の間違い、日本文学の貧困、他に取り上げるべき作家もいるとは思うが(昨今の相田みつをや金子みすずの隆盛も何か腑に落ちず、特に金子は最期はこれも無残悲惨に自死して家庭を全てを捨てて放棄した金子という無配慮無責任の極致の今まで無名だった人間を今更再評価し仰ぎ奉っている最近の日本のマスコミ、文壇・文学界、教育界、文科省にはわたし個人としては疑問を呈したい。)、個人的には、作家ならば、歴史小説、歴史物で日本史の勉強にもなる人間としても人間的で人情味に富み、尊敬できる剛毅な人間観、骨太な歴史に残る人物群・人物像の小説・随筆を多く描く司馬遼太郎氏などをもっと検定の教科書の採用の際には重視して若者の世代には読みこなした方が良いと心から思う。
脱線したが、この書は、太宰の傑作などでは決してなく、それは戦後昭和の間違った教育、流行、風潮が生んだ、昭和の仇花だ。
この人のもう一つの書に「斜陽」というのがあり、これも暗いが、戦後「斜陽族」なる流行語を生んだ。しかし、今は、平成二十九年現在、小池百合子現東京都知事との確執を生み出した石原慎太郎氏の都知事時代の放漫財政が、舛添元都知事時代のそれより酷かったと一報が報じられたが、それを抜きにして、石原氏の出世作、芥川賞受賞文学作品「太陽の季節」も同じく「太陽族」なる流行語を生んだ。若者の世間を席巻する程の、小説はセンセーショナル問題作でベストセラーとなる。戦後世代の反倫理的性質を描いてはいるが、若者青年青春の息吹を謳っていてドライに清冽に真摯に現代若者事情を描き、「弟」石原裕次郎の映画初作品にもなり、その後の裕次郎の日活映画快進撃の端緒ともなる。
私は、「芥川賞」を望みに望んでも得られず、その稚拙さと強引さ狡さに於いての落選の報を告げてその理由を縷々述べていた当時の選者の川端康成に苦言を呈された太宰治の小説により生まれた流行語「斜陽族」に対して、それよりも遥かに影響力では上回り、当時「慎太郎刈り」髪型カット法も言葉としても流行し、若者文化の隆盛、与えた影響、青春の挫折・蹉跌と若さに溢れた若者特有の大らか朗らかで底抜けの明るさ、石原家の過ごした逗子海岸「湘南」のお洒落さと広大な海への憧れ、ボート・ヨッチングの文化、それら昭和の世相に於いて、断然当然わたしは石原慎太郎の太陽族を支持したい。太宰の斜陽族など、没してゆく没落してゆく貴族の話などに耳を傾けているいとまはないし、マイナス思考の悲劇惨劇以外の何物でもない。
「人間失格」。ジメジメとした、お天道様に背を向けた後期の小説群を生んだ太宰は、彼の生き方死に様共々、何度も言うが、晩節を汚してしまったね、残念だったね、と言う他はなく、読むだけ時間の無駄だった、張本人の作者も世評も各界も何の意図、トリックか多くのおもに日本人青年男女を迷わし騙し続けた、この一書に限り腐りきった陳腐な日本昭和文学の、戦後最大最悪の暗黒史、世相史、汚点、駄作とさえ言える。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
以上。よしなに。wainai