本日、我が菩提寺、日蓮正宗無量山寿海寺での、夕べの「御経日」にあたり、夕方六時前には既に、お寺に着いていた。
そこで、私は自前の、音楽のメトロノームを持って行き、事前にそれを儀式が始まる前に、自分でお題目を唱えていた。
最初は、H田講頭さんが珍し気に見に来たが、しばらくすると、私の所にまた来て、こう言った。
「それは、邪宗的なお題目の様だ。全然、言葉が一音一音、な・ん・みょう・ほう・れん・げ・きょう、との、言葉が貴方の場合、聞こえていない。それに、早口で言われたら分からない…。」
と言うので、そっかー。でも、総本山では、こんなもんじゃないよ。もっと早いよ。と言うと、講頭さんは、
「しかし、総本山の音声(おんじょう)の、発音は、バッチリ、しっかりとした音声であり、こんなに濁ったような、発音じゃない」と私に言われた。
成程、人様から御忠告を受けると、自分の至らなさが判る。そこは盲点だった。
それで、講頭さんは、早口でやる前に、御経文、御題目がハッキリ聞こえるようになってから、早くやるようにした方が良い、今のでは、何を言ってるのかがさっぱり分からない、と。
私にとっては、こういった、私の至らぬ点を指摘して下さる方は、大歓迎である。今の今まで、全く分からずに、井の中の蛙、であったからだ。
そうして、メトロノームを持って行ったのは良いが、余りに早い、一分間に168から180位のスピードでは、そう言われても当たり前だと思った。
今度からは、一分間、60前後で、御題目の声がハッキリしっかり発音するように、家でもお寺でも、従おう気を付けようと思い致した。
実際に、私のお寺の、或るお方がいた。その方は、朝の四時前に起きて、一時間をかけて、ゆっくりゆったりみっちりと、その一時間を、妙法蓮華経の、御経を唱える。それから、また時間をかけて、御題目の、唱題にとりかかる、と言う言葉を、総本山へ行った時の帰り道で、私は小耳に挟んだのであった。
それからしたら、私など、何と味も素っ気もない、短い特急電車のような勤行唱題であろうか。
総本山の読経唱題は、確かに速い。しかし、それも、前述の講頭さんの言う通り、音律に乱れは一切ない、むしろ小気味良い。自由闊達な、時間厳守の、戒律を重んじたが如くの、御題目だ。あれを目指すには、私はまだまだ、アマチュアであろう。
幸い、私のお寺の御住職様は、初心者にもやさしく、ゆっくりと勤行唱題を唱えて下さっている。
これを以前、栃木から来ているKさんに聞くと、これは、我が菩提寺の慣習であり、先代からも、ずっと引き継がれて来た伝統と言っても良いという。
しかし、そのKさんが仰るのは、Kさんが、墓前に弔い、御住職様も読経唱題された時の、御住職様の読経は、とても速かった、と言う。
とにかく、御住職様の御題目は、ちゃんと、対機説法になっており、その場の皆の経験に基づいた、かなりの熟達した、慈悲の行いなのである。
そうして、私は今日は、御先祖様、主に父親の卒塔婆を立てて、回向を願い祈った。今日は、本当に、お寺に来て良かった。
私は大変に有難いお寺にいるんだなあ、と思い致した一日であった。
その後、私はツタヤみどり書房へ行ったのだが、それは後の記事に続く。
以上。よしなに。wainai