私は、自分のそそっかしさから、かなり、お寺では、浮いている(いた)部類の人間であった。
そうして、御住職様から、御注意、御訓示、御教示されたのが、
「相手を想って、相手の身になって、相手の立場を、想いなさい。相手あっての、じぶんなのだから」との御言葉を、以前、だいぶ前に、頂戴した。
それは、私の、それは、傍若無人の、人を人とも思わない、相手の都合など一切無視の、自分勝手の数々…。
それらは、これはあくまでも自己診断だが、私が、兄弟がいない、一人っ子の、我がまま放題、まるで、暴れん坊、常識知らずの、足らずの、兄弟たちに揉まれてこなかったのが原因なんじゃないか、とも思っている。
うちの家族は、皆、私を非常に大事にした。し過ぎた、と言っても良いかも知れぬ。
とにかく、結論としては、そうした、自分は、他人様に対して、非常識を戒め、自己改革に、これからも取り組んでゆきます、との、言葉が最後に来なければならない。
それが、うちのお寺、日蓮正宗無量山寿海寺の、御住職様への顔立てにもなろうというものだ。
とにかく、本日は、広布唱題会ということで、静岡県富士宮市の、総本山富士大石寺では日如御法主上人猊下様が、この唱題会を取り仕切り、全国の末寺に於いては、粛々と、唱題行が執り行われた。
私も、唱題中、様々な事共が頭を駆け巡った。
何としても、御命題の、折伏達成を実践実行せねばならぬ。これは至上命題だ。
とにもかくにも、今年、残りあと四か月。頑張って参りたい。
それから、今日は忙しく、本日午後一時半から、おおつきふれあいセンターにて、短歌の会、歌会があるので、そちらも参戦、参加となる運びである。
これだけ、縦横無尽に、動きに動けて、自身の健康、ひたむきさが、何とか、幸せへといざなわれないか、と、確信めいたものも併せ持ちつつ、棚からボタ餅は常に戒めねば、と自身を見詰め返す、とにかく、先にも申した通り、自己改革を成し遂げ、非常識を戒める事を結論とする、私なのである。
以上。よしなに。wainai