昨日の、私の作った一首をめぐり、その場では、この作中、一首の中の「婦人」の言葉、人となり、及び、シチュエーション、関係性、等々を、皆様はじめ先生に問われ、私は、福島県は郡山市にある、日蓮正宗無量山寿海寺という、お寺で懇意にして頂いている、八十歳近い、或るご婦人に、私は、ハーモニカやら、そろばんやら、デジタルカメラ、ラジオ、特に短波ラジオやら、沢山の読書、音楽鑑賞・関係関連の趣味、このブログ等々の執筆、PC、等々を、余りに多趣味だ、それで時間がない位忙しくしているんだ、(それが、まるで、今どきの、何々女子、歴史女子の歴女だとか鉄道女子、鉄女だとか、何とか言われるような、多趣味の、趣味を持った女の子の様な、感じなんだ、と。)といわれた由をいうと、皆さん、一様に、そんな事は無い。女々しくなんかちっともないですよ、と仰る。
ここで、私も、その言い出しっぺの、ご婦人、O合さん、この人は、私の町の地区部長で、私の直属の上司、というか、お寺での重責に預かっている方なのだが、少し、言葉の伝言遊びのように、最初にO合さんが、私に伝えたかった事が、上手く伝わっていない事、それを、私は訂正もせずに、その場で、平気でそのままにしてしまった事共が、非常に悔やまれる。
つまり、O合さんは、ちっとも、一言たりとも、私に対する悪意は微塵もないのである。O合さんはむしろ、私の芸歴というか、その多趣味なのを、見事な生き方だ、他の人には真似できない、と最大限に持ち上げ、褒めていたのだ。そこが、私の言い出し不足、片手落ちの、中途半端な、言葉のあや、言葉の仇(あだ)となってしまったのだ。
O合さんは、私も知っているが、そんなに簡単に、私を憎んだり、蔑んだり、嫉んだり、恨んだりなど、決して私に対してはしない人だ。むしろ、最大限に、育成に励み、私を非常に子供か弟のように可愛がってくれている。それは判り切った事であり、私が一番、そこは判っている事だ。そこから、私が、呑気にそれを違った風に吹聴している間に、尾ひれがついてしまった。それがそこが真相、だろう。
だから、この場合、O合さんには、ちっとも、決して、絶対に、落ち度はなかったのである。むしろ、最大限に、私が多趣味なのを、女の子みたいと、まあ、今の時代では、男女差別ギリギリの発言だが、御高齢のO合さんの一流の時流に乗った捻(ひね)った発言であり、私を恨んで言った言葉ではない事等は、自明の理、である。
O合さんには、何と言って、お詫びをして、言い訳したらいいんだろうか。昨日の一件から、私はまた、深く、考え込んでしまった。
以上。よしなに。wainai