日蓮正宗総本山富士大石寺、御本仏宗祖日蓮大聖人様(一二二二年~一二八二年)の御言葉、御金言集。
「愚人にほめられたるは第一のはぢなり。」(開目抄下、五七七頁)
「仏法は時によるべし。日蓮が流罪は今生の小苦なれば、なげかしからず。後生には大楽をうくべければ、大いに悦ばし。」(開目抄下、五七八頁)
「実相と云ふは妙法蓮華経の異名なり。諸法は妙法蓮華経と云ふ事なり。」(諸法実相抄、文永一〇年五月一七日五二歳、六六五頁)
「嬉(うれ)しきにも涙、辛(つら)きにも涙なり。涙は善悪に通ずるものなり。」(諸法実相抄六六七頁)
「剰(あまつさ)へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし。ともかくも法華経に名を立て身をまかせ給ふべし。」(諸法実相抄、六六七頁)
「現在の大難を思ひつゞくるにも涙、未来の成仏を思ひて喜ぶにも涙せきあへず、鳥と虫とは鳴けども涙をちず、日蓮は泣かねども涙ひまなし。此のなみだ世間の事には非(あら)ず、但偏(ただひとえ)に法華経の故(ゆえ)なり。若(も)ししからば甘露(かんろ)の涙とも云ひつべし。」(諸法実相抄、六六七頁)
「師子王は前三後一(ぜんさんごいち)と申して、蟻の子を取らんとするにも、又猛(たけ)きものを取らんとする時も、勢(いきを)ひを出だす事はたゞ同じき事なり。」(経王殿御返事、文永十年八月一五日五二歳、六八五頁)
「夫(それ)仏法を学せん法は必ず先(ま)ず時をならうべし。」(撰時抄、建治元年六月一〇日五四歳、八三四頁)
「人、路(みち)をつくる、路に迷ふ者あり、作る者の罪となるべしや。良医(ろうい)薬を病人にあたう、病人嫌ひて服せずして死せば、良医の失(とが)となるか。」(撰時抄、八三五頁)
「法華経を信ずる人は冬の如し、冬は必ず春となる。いまだ昔より聞かず見ず、冬の秋とかへれる事を。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫となる事を。経文には『若有聞法者無一不成仏』ととかれて候。」(妙一尼御前御消息、八三二頁)
「約束と申す事は違(たが)へぬ事にて候。」(上野殿御返事、八二四頁)
「後悔先にたゝず」(法蓮抄、八一七頁)
「近き現証を引いて遠き信を取るべし。」(法蓮抄、八一四頁)
「大事には小瑞なし、大悪興(をこ)れば大善きたる。すでに大謗法(ほうぼう)国にあり、大正法必ずひろまるべし。各々なにをかなげかせ給ふべき。迦葉尊者にあらずとも、舞を舞いぬべし。舎利弗にあらねども、立ちて踊りぬべし。上行(じょうぎょう)菩薩の大地より出で給ひしには、踊(をど)りてこそ出で給ひしか。普賢菩薩の来たるには、大地を六種に動かせり。事多しといへども、繁きゆへにとゞめ候。又々申すべし。」(全文。大悪大善御書、文永一二年、五四歳、七九六頁)
「心の師とはなるとも心を師とせざれ。」(曾谷入道殿御返事、七九四頁)
「月は山よりいでて、山をてらす、わざわいは口より出でて身をやぶる。さいわいは心よりいでて我をかざる。」(十字[むしもち]御書、一五五一頁)
「なにの兵法(ひょうほう)よりも法華経の兵法を用ひ給ふべし。諸余怨敵皆悉摧滅(しょよおんてきかいしつさめつ)の金言むなしかるべからず。兵法剣形(ひょうほうけんぎょう)の大事も此の妙法より出でたり。ふかく信心をとり給へ。あへて臆病にては叶うべからず候。恐々謹言(きょうきょうきんげん)。」(四条金吾殿御返事、弘安二年一〇年二三日、五六歳、一四〇七頁)
「夫(それ)運きはまりぬれば兵法(ひょうほう)もいらず。果報つきぬれば所従(しょじゅう)もしたがはず。」(四条金吾殿御返事、一四〇七頁)
「今謗法の酔ひさめてみれば、酒に酔へる者父母を打ちて悦びしが、酔ひさめて後歎きしが如し。歎けども甲斐なし。此の罪消えがたし。何(いか)に況(いわ)んや過去の謗法の心中に染みけんをや。」(佐渡御書、文永九年三月二〇日、五一歳、五八一頁)
「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思ひ合はせて、南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ。これあに自受法楽にあらずや。 建治二年丙子(ひのえねえ)六月二十七日、日蓮 花押」(四条金吾殿御返事、御書、九九一頁)
「今末法に入りぬれば余経も法華経も詮なし。但(ただ)南無妙法蓮華経なるべし。」(上野殿御返事、弘安元年四月一日、日蓮大聖人御書新編・大石寺、一二一九頁)
「此の南無妙法蓮華経に余事を交(まじ)へば、ゆゝしき僻(ひが)事なり。」(同上)
「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたまへり。」(開目抄上、五二六頁)
「実には釈迦・多宝・十方の諸仏、寿量品の肝要たる南無妙法蓮華経の五字を信ぜしめんが為なり。」(下山御消息、御書、一一五四頁)
「過去の因を知らんと欲せば、其の現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲せば、其の現在の因を見よ。」(開目抄下、文永九年二月、五一歳、五七一頁)
「詮(せん)ずるところは天もすて給へ、諸難にもあえ、身命を期(ご)とせん。身子(しんじ)が六十劫の菩薩の行を退せし、乞眼(こつげん)の婆羅門(ばらもん)の責めを堪へざるゆへ。久遠大通の者の三五の塵(じん)をふる、悪知識に値ふゆへなり。善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし。大願を立てん。日本国の位をゆづらむ、法華経をすてゝ観経等について後生を期(ご)せよ。父母の首を刎(は)ねん、念仏申さずば、なんどの種々の大難出来すとも、智者に我が義やぶられずば用ひじとなり。其の外の大難、風の前の塵(ちり)なるべし。我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむとちかいし願やぶるべからず。(主師親三徳の御言葉)」(同上、開目抄下、五七二頁)
「我並びに我が弟子、諸難ありとも疑ふ心なくば、自然(じねん)に仏界にいたるべし。天の加護なき事を疑はざれ。現世の安穏ならざるをなげかざれ。我が弟子朝夕(ちょうせき)教へしかども、疑ひををこして皆すてけん。拙(つた)なき者のならひは、約束せし事をまことの時はわするゝなるべし。」(同上、開目抄下、五七四頁)
「法華経の行者は信心に退転無く身に詐親(さしん)無く、一切法華経に其の身を任せて金言の如く修行せば、慥(たし)かに後生は申すに及ばず、今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布の大願をも成就すべきなり。」(最蓮房御返事、文永一〇年一月二八日、五二歳、六四二頁)
「上行菩薩末法の今の時此の法門を弘めんが為に御出現之有るべき由、経文には見え候へども如何が候やらん、上行菩薩出現すとやせん、出現すとやせん。日蓮先(ま)づ粗(ほぼ)弘め候なり。相構(あいかま)え相構えて強盛(ごうじょう)の大信力を致して、南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ。生死一大事(しょうじいちだいじ)の血脈(けちみゃく)此れより外(ほか)に求むることなかれ。煩悩即菩提、生死即涅槃とは是なり。信心の血脈なくんば法華経を持(たも)つとも無益(むやく)なり。」(生死一大事血脈抄、文永九年二月一一日、五一歳、五一四頁)
「総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく、水魚の思ひを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱へ奉る処を、生死一大事とは云ふなり。然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり。若し然らば広宣流布の大願も叶ふべき者か。」(同上、生死一大事血脈抄、五一四頁)
「末法には一乗の強敵(ごうてき)充満すべし、不軽菩薩の利益(りやく)此なり。各々我が弟子等はげませ給へ、はげませ給へ。」(諌暁八幡抄、一五四三頁)
『四箇の格言』、
「大難の来たれるは、真言は国をほろぼす、念仏は無間地獄、禅は天魔の所為、律僧は国賊との給ふゆへなり。」(諌暁八幡抄、一五四〇頁)
「かゝる日蓮を用ひぬるともあしく敬はゞ国亡ぶべし。」(種々御振舞御書、一〇六六頁)
「所謂(いわゆる)南無妙法蓮華経は大歓喜の中の大歓喜なり。」(「就註法華経口伝 下 廿八品に一文充の大事」御義口伝下、「五百品」、御書一八〇一頁)
「南無妙法蓮華経は師子吼の如し。いかなる病障(さは)りをなすべきや。」(経王殿御返事、文永一〇年八月一五日、五二歳、六八五頁)
「いかなる処にて遊び戯(たわ)はぶるとも恙(つゝが)あるべからず。遊行して畏れ無きこと師子王の如くなるべし。十羅刹女の中にも皐諦女(こうたいにょ)の守護ふかゝるべきなり。」(同上)
「但し御信心によるべし。剣(つるぎ)なんども、進(すゝ)まざる人のためには用ふる事なし。法華経の剣は信心の健気(けなげ)なる人こそ用ふる事なれ。鬼に鉄棒(かなぼう)たるべし。」(同上)
「わざわひも転じて幸ひとなるべし。」(同)
「日蓮が魂(たましひ)を墨(すみ)にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御心(みこころ)は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。」(同)
「あひかまへて御信心を出だし此の御本尊に祈念せしめ給へ。何事か成就せざるべき。『充満其願、如清涼地』『現世安穏、後生善処』疑ひなからん。」(同、六八五頁~六八六頁)
「書は言(ことば)を尽くさず。言は心を尽くさず。恐々謹言。」(『建長寺道隆への御状』文永五年一〇月一一日 四七歳、御書三七六頁)
大聖人様の御金言は、何時(いつ)の時代にあっても、真実極まりない。この御教えは、永遠に廃れる事無く、永遠に語り継がれ、日本一国広宣流布、世界広布へと続いてゆく事であろう。永い旅路となるだろうが、我々、日蓮正宗法華講僧俗一同は、大邁進(だいまいしん)し、大驀進(だいばくしん)する一心で、この私の人生の途上の中での、私は、護法への不自惜身命を誓い、この大法をより多くの人々へと教え伝え導き、邪宗邪教の誤りは誤り、間違いは間違いと見破り見抜き、邪師による、邪義邪説邪道邪法邪智邪行邪業邪淫邪見邪難を構える相手をも、相手の間違いを慈悲をもって指摘してやり、勇気をもって破権門理、折伏・破折し捨て去り打ち捨ていつかは必ずやこちら側の味方に付け、一大勢力と成し遂げ、大仏法哲学、大仏教実践実学思想、獨一本門の三大秘法の戒壇の大御本尊様を有する、日蓮正宗を世界宗教にまで必ず持ってゆく。要するに、折伏こそが、大慈悲なのだ。この真実の御教えにひたぶるにひたすら、ひとえに、すこぶる健気(けなげ)に、あまねく、これ一筋に信じて生きてゆこうと、これが、日蓮正宗こそが私の信ずる至高最高最上最大甚深の、世界中のどこを探しても、これしか、これ以外には他に全く求めるには及ばない、大日本国、中部東海地方、静岡県富士宮市上条、霊峰富士山の麓、日蓮正宗総本山富士大石寺こそが、世界最大の大宗教、私自身の宗教信条、天下の大法なんだと、私は思い、考えている。
以上。よしなに。wainai