結局、2017年2月の私の自殺未遂の後の降って湧いた日蓮正宗帰伏、創価脱会。
母がその年の暮れかその次の年の正月過ぎに、詰まり2018年に腰痛カゼ気味の為、O田病院へ救急車で運ばれるも、とんぼ返り。うちへと帰る。すぐ治る。
その時の担当医師が、陰険な、自民おとし、下げ、野党推しの猛烈な影響をモロに受け、自民の長年の応援を止め、野党支援支持へ。
これが、去年2022年9月の、私の星ヶ丘病院任意入院一か月間に於いて、その時まで続く。その入院期間中に、本の多読、何冊ものノート等への書き込み等、インプット(入力)とアウトプット(出力)を上げて、最も自身謙虚になり、目が開かれて、又、自民支持に戻る。
しかし、2023年2月、自民の統一教会、池田創価学会率いる公明党との癒着、結び付きは、強固過ぎ、一朝一夕には改まらない、無理だと自分自身で気付き、思い直し、お寺の栃木のKさんの影響と、YouTube動画にて、神谷宗幣氏の、演説の立派さに感動感銘感服し、この党は信頼が置けると思い致し、入党(サポーター加入)を決意、決行した。(2023年令和五年二月十二日十三日両日。)(今は違う)
2023年令和五年十二月十日(日曜日)記す。
私は、しばらく、参政党を応援していたが、その余りに、金集めのえげつなく、汚い感じ、何でも「金」の世界。それを栃木のKさんに言うと、自民党の様に、バックに大企業がついている訳じゃないから仕方ない、と言うも、納得できず、決定的だったのは、準党首の神谷氏が、皇室を軽く見て、侮辱する発言をして、竹田恒泰氏が皇室の血統を継ぐ方として、批難、批判している動画ユーチューブを見て、参政党脱党退党を決意、実行した。
今は、保守系であれば、その人品、骨柄で選ぶ事を最大一として、私も、一応、浮動票の一分であると自覚するに至る。しかし、依然として、「自民党」この党一択である。
2025年令和七年二月六日木曜日、記す。
今は、竹田恒泰氏にも疑わしく思いだした。自身に利する姿勢にだ。
結局、一応は私は、真正保守、自民党一択かも知れないが、今の時勢を見て、ちゃんと見抜いた上で、政治の底の底、その時々で支持政党を変えるのも全然構わない。それで良し。
何も、自民党が、未来永劫、この日本国で続く保障などどこにもなく、それは野党も同じ。
私は「自由人」で「平和主義者」として生きてゆく事に決めた。
その大綱は、既におととし、二年前、2022年令和五年十一月、日蓮正宗総本山大石寺での御開扉の時、既に肚は決まっていた。
結果、私にとり、思想信条、特に政治思想は、固い信念など無い。それは「バランス感覚」が大事である。
かつて、自民党の中曾根康弘首相は「風見鶏」と言われ揶揄されたが、私はそれでいい、充分だと思う。
一見、定見がない様に見えるかも知れないが、実は「浮動票」の人の方が、実際に世の中の趨勢、成り立ち成り行きを良く見ているし、本当にそうなのだ。
だから私は、これからも「自由人」と「平和主義者」を貫いて生きてゆきたい。
以上。よしなに。wainai