郡山駅から東北線で黒磯に南下し、乗り換えて西那須野駅へ向かう。
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黒磯駅構内。
西那須野駅構内。
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西那須野駅の外、西口へ出る。
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いよいよ、高野悦子女史の眠る菩提寺、曹洞宗宗源寺へ。
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お墓は境内から少し離れた、住宅街を抜けた小道をゆく飛び地にあった。人が余りいない(苦笑)。
ここで少し前に墓前で参拝し終わり帰ろうとする親子か夫婦と思われる二人の方々が居られた。手には高野悦子著「二十歳の原点」をしっかり握られていた。私もその同じ本をカバンに忍ばせて携帯しており、行きの車中でしばし読み耽っていた。巻末の、今は亡きおん父、後に西那須野町長にまでなった高野三郎氏の「失格者の弁」が涙を誘う。娘を不意に失った親の悲しみは如何ばかりか。もう少し、悦子さんも親思いの、親孝行の一つでもしてやってから亡くなってもよかったのに、というより、亡くなる理由などは何一つもなかった。この本をたとえ読めなくたっても、悦子さんにはたとえ平凡でも、立派に結婚して子供たちを育てるまでに自身も成長して、立派に今頃は孫までいるような御生涯を辿って欲しかった。そう思う高野さんの著書を読んだ読者の方々も多い事だろう。余りにも悲しい今生の別れの時は、私の生まれる数年前の、昭和四十四年六月二十四日、京都に於いて、鉄道自死にて迎える羽目になってしまった。なんともやりきれない。これだけの日記の文章を綴れる方であれば、将来は物書きの仕事を、そうでなくても、平凡でもいいから、一主婦としてでも、立派に元気にやって行けたろうにと、本当に残念でならない。
事前に、数日前に、福島県郡山市の寿海寺に願い出て、以前、西那須野に私が住んでいて、高野悦子さんの家にも程近く、且つ、彼女の本も全て読み、感動したことをご住職様に言い、私は高野悦子女史名義の寿海寺への卒塔婆をお願いして奉納していた。ご住職様も高野悦子女史の事はよくご存じであった。
しばし佇み、家から持ってきたおシキミを飾り、法華経寿量品第十六自我偈とお題目をその場で暗唱して唱え、邪宗の寺だが、一応懇ろに祈りを捧げて来た。
日本曹洞宗の祖、道元も、一時期、というか晩年、自身の生死に迷い、遂に法華経の真理に目覚め救われ、一応法華経も所為の経典にしているらしい。しかし、元々が禅宗の、日蓮大聖人様があれ程、「禅天魔」と言って戒められた教えに凝り固まった邪師道元などに、そのお教えの真髄の一端などが判るものかと、思いつつ、寺の敷地を通って来た時の、日蓮正宗寺院では考えられない、粗末に卒塔婆が外の境内脇に無造作に一緒くたに並べられ、その卒塔婆も安く上げたのか、短く御利益もないような卒塔婆だなアと半ば呆れ顔でその隣を通って来た。おまけに水子供養の地蔵まである。何でもありの寺らしく、水子の地蔵の前で風車がグルグルと悲しみをあざ笑うかの如くに虚しく風に吹かれて廻っていた。
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「二十歳の原点」小中高校生徒・大学生時代のあだ名は「カッコ」こと、高野悦子女史、ここに眠る。何とも悲しくやりきれない、不可思議な気分に包まれ、この寺を後にした。天気は晴れ、微風そよぐ、初夏の、梅雨入りしたにしては幸い雨も降らずに馬鹿に暑い、陽だまりの中を、この私といえば、黒ネクタイを締めて喪服の礼服、背広に身を包み、一応の礼儀、義理は果たした?!と思いつつ、栃木県は、那須塩原市、西那須野駅を後にした。以上。
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黒磯駅構内。
西那須野駅構内。
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西那須野駅の外、西口へ出る。
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いよいよ、高野悦子女史の眠る菩提寺、曹洞宗宗源寺へ。
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お墓は境内から少し離れた、住宅街を抜けた小道をゆく飛び地にあった。人が余りいない(苦笑)。
ここで少し前に墓前で参拝し終わり帰ろうとする親子か夫婦と思われる二人の方々が居られた。手には高野悦子著「二十歳の原点」をしっかり握られていた。私もその同じ本をカバンに忍ばせて携帯しており、行きの車中でしばし読み耽っていた。巻末の、今は亡きおん父、後に西那須野町長にまでなった高野三郎氏の「失格者の弁」が涙を誘う。娘を不意に失った親の悲しみは如何ばかりか。もう少し、悦子さんも親思いの、親孝行の一つでもしてやってから亡くなってもよかったのに、というより、亡くなる理由などは何一つもなかった。この本をたとえ読めなくたっても、悦子さんにはたとえ平凡でも、立派に結婚して子供たちを育てるまでに自身も成長して、立派に今頃は孫までいるような御生涯を辿って欲しかった。そう思う高野さんの著書を読んだ読者の方々も多い事だろう。余りにも悲しい今生の別れの時は、私の生まれる数年前の、昭和四十四年六月二十四日、京都に於いて、鉄道自死にて迎える羽目になってしまった。なんともやりきれない。これだけの日記の文章を綴れる方であれば、将来は物書きの仕事を、そうでなくても、平凡でもいいから、一主婦としてでも、立派に元気にやって行けたろうにと、本当に残念でならない。
事前に、数日前に、福島県郡山市の寿海寺に願い出て、以前、西那須野に私が住んでいて、高野悦子さんの家にも程近く、且つ、彼女の本も全て読み、感動したことをご住職様に言い、私は高野悦子女史名義の寿海寺への卒塔婆をお願いして奉納していた。ご住職様も高野悦子女史の事はよくご存じであった。
しばし佇み、家から持ってきたおシキミを飾り、法華経寿量品第十六自我偈とお題目をその場で暗唱して唱え、邪宗の寺だが、一応懇ろに祈りを捧げて来た。
日本曹洞宗の祖、道元も、一時期、というか晩年、自身の生死に迷い、遂に法華経の真理に目覚め救われ、一応法華経も所為の経典にしているらしい。しかし、元々が禅宗の、日蓮大聖人様があれ程、「禅天魔」と言って戒められた教えに凝り固まった邪師道元などに、そのお教えの真髄の一端などが判るものかと、思いつつ、寺の敷地を通って来た時の、日蓮正宗寺院では考えられない、粗末に卒塔婆が外の境内脇に無造作に一緒くたに並べられ、その卒塔婆も安く上げたのか、短く御利益もないような卒塔婆だなアと半ば呆れ顔でその隣を通って来た。おまけに水子供養の地蔵まである。何でもありの寺らしく、水子の地蔵の前で風車がグルグルと悲しみをあざ笑うかの如くに虚しく風に吹かれて廻っていた。
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「二十歳の原点」小中高校生徒・大学生時代のあだ名は「カッコ」こと、高野悦子女史、ここに眠る。何とも悲しくやりきれない、不可思議な気分に包まれ、この寺を後にした。天気は晴れ、微風そよぐ、初夏の、梅雨入りしたにしては幸い雨も降らずに馬鹿に暑い、陽だまりの中を、この私といえば、黒ネクタイを締めて喪服の礼服、背広に身を包み、一応の礼儀、義理は果たした?!と思いつつ、栃木県は、那須塩原市、西那須野駅を後にした。以上。