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創価学会からの脱出 連載 第79回 機関紙 『慧妙』

2022年08月18日 07時56分29秒 | 邪教創価学会・邪政治団体公明党・邪顕正会・邪正信会、の邪義を構える異流義共
学会には陰口と愚痴が渦巻いていた
破門後の学会に入会して見た現状
総本山塔中・理境坊所属妙観講 星 紀子(東京都青梅市在住)

邪宗遍歴を経て、破門後の学会に
サークル活動の様な入会の手順

 私は、邪宗まみれの家に生まれ育ちました。代々の宗旨は真言宗で、家の中には大日如来と神棚があり、庭には稲荷と金毘羅が祀られ、その上、祖母が立正佼成会を熱心に信仰していたのです。
 当然のように邪宗の害毒は私の人生を蝕み、若い頃からずっと、常に精神的に張り詰めたようなストレスを感じ、また、タチの悪い男性と付き合った事で一日中、働き詰めの生活を十五年も続けなくてはならなかったり、さらにまた、他人に騙される事も少なくありませんでした。
 そのような心身共に疲れ果てた生活の中、今から二十年前の四十二歳の時、乳がんのステージ3と診断されて手術を受けました。その十年後に腋窩(えきか)リンパ節に転移が見つかり、放射線治療をしたのですが、その後遺症で右腕の神経がマヒし、更には、鎖骨にもガンが転移してしまいました。
 当時は、不幸の根本原因が邪宗にあるなどと思いもよらなかった私は、日本神霊学研究会や、大山ねずの命(みこと)神示教会、更には統一教会と、次々と邪宗に関わって、重い罪業を積み重ねてしまいました。
 そして、現在の青梅市に引っ越して間もなく、内縁の夫が病気で急死した事で傷心し、家に引き籠っていた平成二十六年四月、高校時代からの友人の妹の強い勧めで、創価学会に入会してしまったのです。
 入会の時の事は今も覚えていますが、学会の会館のロビーで入会の用紙に記入した後、仏壇のある広間に連れて行かれました。その広間には学会員が二十人位待ち受けていて、手作りの「入会おめでとう」と書かれたポスターみたいなものと花束で歓迎され、仏壇に向かって唱題しました。まるで何かサークルにでも入ったかのような賑やかさで、それが創価学会の入会の儀式だったのです。
 その際、学会版の本尊(ニセ本尊)を渡されて青梅市の自宅に持ち帰った所、地元青梅市の幹部が来て、唱題しながら御厨子(おずし)に”入仏“し、どういう意味かは知りませんが、「これで、仏様の命が入りました」と言われました。
 その後、学会でいう私の「育成担当」になった人から学会のあれこれをおしえてもらったのですが、勤行は一度も教えてもらったことはなく、別の幹部が一度だけ一緒に勤行してくれたのみで、あとは自分で唱題会等に行きました。

会合のほとんどが過去の録画の上映
学会員同士の陰口やうわさ話にうんざり

 入会後は、誘われるままに、まじめに会合に参加しました。
 まず、月に一度、地域の大きな会館で大きな会合がありました。その時にはビデオ上映のような事が行われ、世界各国の学会員によるスピーチやら歌やら踊りやら……過去の催し物か何かを流すのですが、新しいものは少なくて、二〇〇〇年代前半のものが多かったように記憶しています。
 また、地域の中心者の家で行われる、小さな会合にも行きました。そこでは、やはり過去のDVDを見せられたりして、「池田センセーはすごい!」とか「センセーが歩いている姿を見て、感動して動けなくなった」とか、「車に乗っているお姿を見て、涙が止まらなかった」(編集室註=池田が表舞台から姿を消してすでに一〇数年、これらの話はそれ以前の思い出話と思われる)など、とにかく「池田センセー」という名称が頻繁に出てきました。
 また、個人宅での会合で印象に残っているのは、とにかく愚痴や学会員同士の悪口・陰口が多かった事と、イジメのような事もあって、とても正しい宗教団体とは思えない姿だった、という事です。
 たとえば「○○さんは、また仕事を辞めて、お金を借りに来た」とか、「△△さんは不倫をしている」というような話で盛り上がり、個人情報などダダ漏れ状態です。中でも、「◇◇サンは毎日五時間も唱題しているそうだけど、それだけ唱題してもアレじゃねえ……」という話が出た時は、創価学会の信心ってそんなものなのか、と驚いてしまいました。
 その他にも、「聖教新聞を一人で何部もとって、その支払いが大変だ」と愚痴をこぼす人もいました。
 また、イジメという事ですが、中心者にとって気に食わない人が参加していると、座る場所を何度も移動させて隅っこに追いやったり、会合の終わりに一人だけお茶菓子を配らないといった、じつにくだらない、それでいて明らかに悪意とわかるイジメが、常にありました。
 私は、前述したように、ガン治療の後遺症で、右腕の神経がマヒして不自由になったのですが、それを見て、「あんた、手が悪いんだ、カタワ、か」「障害者は障害者同士で話が合うだろうから、紹介してやるよ」などと心無い事を言われて、傷ついたりしていました。 
 私は、こうした学会員同士の醜(みにく)い人間関係や、人間性を疑うような行動・言動を見聞きするたびに疑惑を感じ、だんだん気持ちが冷めていくのがわかりました。
 また、ガンの病状も変化がないばかりか、新たに直腸ガンが見つかって手術になったり、家の中で急に気を失って倒れ、ろっ骨を二本も骨折するなど、次々と不幸な現証が顕れてきました。今にして思えば、謗法団体の創価学会にいてニセ本尊に手を合わせていたのですから、幸せになる道理などなかったのです。
 しかし、学会では、私のガンが緩やかに進行するタイプだった事で、表面上は元気に見える事に目を付け、大小様々な会合に私を連れまわしては、”学会の功徳だ“として発表させられました。
 
法華講員の訪問折伏を受け、劇的展開へ
初めての登山で実感した功徳

 やがて、学会の異常な体質に嫌気が差して、会合から足が遠のき、徐々に学会と距離を置いていた頃、訪問折伏で回っていた法華講員の佐々木啓子さんが、私のアパートにも来てくれたのです。
 宗教にうんざりしていた私は、最初はまじめに取り合わず、世間話でかわしてはお帰り願っていました。
 ところが、そんな私の所に、佐々木さんは二年間、何度も何度も足を運んで来て折伏してくれたのです。そして私は、令和元年十一月、ついに日蓮正宗に入信いたしました。
 過去に関わった宗教が全て邪宗だった、ということは、理屈では理解しての入信でしたが、それでも宗教に関わってイヤな思いをしてきたトラウマから、余り入り込みたくない気持ちがあり、入信後一年位は、朝夕の勤行もやったり、やらなかったりが続きました。そして、令和三年の一月には、完全に勤行をやめてしまったのです。
 すると、その直後の令和三年の二月、ガンが急激に進行し、家族が主治医に呼ばれる事態となってしまいました。
 その状況を佐々木さんに伝えた所、佐々木さんは、遠方からすぐに駆け付けてくれました。医療関係の仕事をしている佐々木さんは、「厳しい事を言うけど、今回の検査の結果は良くないと思います」と指摘したうえで、「勤行をやめてしまえば、御本尊様から御力を頂けなくなって生命力がしぼみ、自然治癒力もしぼんでしまうのですよ。今度こそ真剣に信心をしていきましょう」と言われました。
 私は内心、たかをくくっていたのですが、佐々木さんから言われた通り、検査の結果は最悪のものでした。超音波とCT検査で肝臓と肺に多発転移が見つかり、いずれも変異した進行の速いガンで、遺伝子治療もホルモン治療も新薬も、何一つ効かないガンに変貌していたのです。
 今まで二十年間、このガンと付き合ってきましたが、こんな最悪の事態は初めてでした。医師は、「とりあえず既存の抗ガン剤を飲んで下さい」と、気休め的に言うばかりで、完全に手の施しようがない状態でした。
 しかし、佐々木さんは、「過去に邪宗に関わった事と、これまでの不真面目な信仰姿勢を御本尊様にお詫び申し上げ、『何としても助けて下さい』と真剣に祈っていきましょう。一緒に頑張りましょう」と言って下さり、四月には日蓮正宗総本山富士大石寺に連れて行ってくれて、初めて登山し大御本尊様を拝する事ができました。
 すると、登山させて頂いた直後から、明らかに体調が良くなったのです。倦怠感が薄れ、薬の副作用も軽くなった事を感じるようになりました。
 私は御本尊様の功徳を実感した事で、やっと、「素直に信心していこう」と決意する事が出来ました。そして、朝夕の勤行を欠かさず実践し、これまでは後ろ向きだった会合参加も前向きになり、五月には御本尊様をわが家にお迎えする事が叶いました。
 さらには、苦手だと思っていた折伏も、積極的にやってみようと思い、家族、友人、知り合いの学会員と連絡を取り、佐々木さんに手伝って頂きながら折伏を進めていきました。
 まず大切な家族からと思い、母を折伏した所、母は入信決定には至りませんでしたが、謗法が不幸をもたらすことは理解したようで、後で、「家にある謗法物を全て処分した」と自分から話してくれました。家族の折伏を継続し、必ず救っていきたいと思います。

医師も驚いた、肝臓のガン消失!
正法に巡り合えた喜びをかみしめて

 そのように、今までの信仰姿勢を改めて前向きに仏道修行をさせて頂く中で、崖っぷちであったガンの状況が好転してきました。
 令和三年三月の時点では、ガンの指標となる腫瘍マーカーの三項目が基準値を大きく上回っていましたが、同年六月には二項目が正常値となり、残りの一項目(NCC|ST|439)はまだ高いものの959から153と、驚異的に下がったのです。つらい倦怠感などの抗ガン剤の副作用もほとんどなくなり、これが何より嬉しい事でした。
 こうした功徳の体験を通し、私は心から御本尊様の御力を実感できるようになり、更に唱題の時間も増やしていきました。また、有難い事に、御住職様の御計らいで御秘符を頂戴する事もできました。
 そして迎えた、令和三年八月の定期検査では、予想もできない事が起こりました。なんと、多発転移していた肝臓のガンが全て消えてしまったのです。肺のガンも、数個を残しただけで消えており、医師も首を傾(かし)げて何度も画像を見直す程でした。
 講中の会合で、「あったはずのガンが消えた」という体験を聞いた事がありましたが、私は自分の身にそれが起こった事に驚き、本当に心から御本尊様に感謝申し上げました。
 そして、この御本尊様の有難さを教えてあげたいと強く思い、周囲の友人・知人を折伏した所、今では七名の眷属と共に仏道修行に励むようになり、充実した毎日を送っています。
 振り返って、学会は、愚痴と悪口だらけで、功徳など何もない、本当に変な所でしたが、今、本当に正しく仏道を行ずる日蓮正宗法華講にめぐり逢い、正しい御本尊様を拝ませて頂ける事を心から感謝しています。
 かつての私のように、創価学会で苦悩している多くの方に、謗法の怖さと正しい仏法の功徳を伝えていきたいと思います。
(令和4年2022年 8月16日 火曜日 毎月1・16日発行 1部55円 『慧妙』第711号 )より転載。


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