本日は、秋季彼岸会でもあり、日蓮正宗無量山寿海寺でも御住職様の深甚の御説法を御拝聴賜り、気分は非常に高揚し、折伏精神がみなぎり、自身でもなんとしても抑えようがなかった。
そこで、私がいつも目につけている、近所の母の元同僚仕事仲間のIさんという旧態依然の創価学会員の家へと、日蓮正宗系列の一応、新聞でもある、大白法と慧妙とを携えて、その創価宅へと直行したのである。
すると、見るからに情けない、確かひげづらの夫が出てきて、開口一番、「何の用だ!」とな。
コイツが出てきて、今までろくに折伏の真面目な話し合い等出来た試しなど絶対ない。それ位にコヤツは鬼門の男なのだ。
それで私がにじり寄り、「折伏の用件で来た !」と言うと、「ああ、うちは公明党だから関係ない」の一言で済ませて「うちに来ないでくれないか」と言うので、「一人でも多くの創価学会員を救い切る義務が我々日蓮正宗法華講にはあるんですよ」と言うと正論?に聞こえるのか黙り込む。
そして私から、「お宅の奥方はどこへ行ったのですか ?」と聞くと「知らない」と。
私が、あんたの奥さん、得体の知れない、本当にどこ行ったか判らないの、マジで、と言うと、あっさりと先方は、もう帰ってくれ、これだ。
この男は、人の話を聞くと言う一貫性、堪え性も一切ない。しかも、宗教の話で折伏に来たのに、わざと政治団体の公明党等と、今は自民党が人気復活、自民公明で一蓮托生で選挙の勝ち馬、勝ち戦に乗ろうと必死の公明党。次期党首もほぼ、内部だけの秘密裏の人選で、内定で、既に決まっているのだろう。
あわよくば、何処までも付いて行きます下駄の雪、であり、そのバカな亭主も、新興宗教団体の邪教創価学会と今の時節柄名乗るのは、創価は統一教会と同じ穴のムジナかそれ以上のカルトセクトの悪徳団体だとバラすのを最も嫌って、得策じゃないと思い、そんな言辞も出るのであろう。
大体が、元を正せば、創価学会とは、平成三年以降、御宗門に破門されるに至るまで、それ以前から、だんだんと、ドンドンと、大吟醸の高級日本酒に、少しずつ「池田大作」という汚ならしい汚物のような水を他人に気付かれぬ内に足してゆき、とうとう別のおぞましい酒とも言えぬ代物へと代えて行ってしまった、偽の大吟醸酒、酒じゃない、汚物まみれ、汚物が沈殿した、理科化学で習ったチンダル現象そのままが、今の世間からも嫌われ者の創価学会の本質、ズバリ池田教、なのだ。
そんな単純な事すら分らず屋の創価学会は、いつかは公明も政権離脱してもらって、憲法違反で解散。
創価学会も、昭和の頃に、第二代会長戸田城聖先生が東京都に宗教法人格取得の時に総本山御宗門との御約束、
一、折伏した人は信徒として各寺院に所属させること
二、当山の教義を守ること
三、三宝(仏・法・僧)を守ること
これを守らない為に、解散してもらう。それが筋だ。
結果、昭和二十七年八月二十七日、東京都知事より宗教法人の認証を受けた創価。
この時の「創価学会規則」には、「この法人は、日蓮大聖人の一閻浮提総与の大漫荼羅を本尊とし、日蓮正宗の教義をひろめ…」(聖教新聞 昭和二十七年六月二十日付)
と、日蓮正宗の教義を広めるための団体ではあった。曲がりなりにも昭和の末までは。
途中にも、創価は、言論出版妨害事件、昭和五十二年路線等の過ちを何度も繰り返して来た。
その矛先を、今度は、五十二年路線の焼き直しで、日蓮正宗御宗門に、特に当時の御法主第六十七世日顕上人猊下様へと罵倒の限りを尽くした平成二年の暮れの池田大作による全国創価文化会館同時衛星中継による、謗法スピーチから端を発した創価学会による世も末のおぞましい宣戦布告が、その年の暮れから巻き起こった。
御宗門では、今まで任期が一切定められてはいなかった制度上の不備を改めるため、同年に宗規の一部改正による総講頭の「罷免」ではなく一時的な資格喪失だった。この時の対象者は池田大作一人ではなく、他にも創価学会幹部十二名、法華講幹部二名が資格を喪失している。
もしこのとき、池田大作が宗門からの教導に随順し、正しい信仰を貫く心に戻っていたならば、再び総講頭への道も開かれていたのです。
にもかかわらず、この時創価学会幹部は、全国の会員に向かって、「先生が総講頭を辞めさせられたのは猊下の嫉妬によるものだ」と大々的に宣伝しました。そして、聖教新聞の報道や各種会合において、「男の嫉妬は女以上」「坊主のやきもちは、まっ黒け」などの暴言を繰り返したのです。学会問題が起きて間もない時期、何が起きたのかよく分からなかった学会員には、この指導は強烈な印象を与えました。
しかし、「猊下の嫉妬…」の指導は、創価学会問題の原因が池田大作の驕慢謗法にあることを隠すために、創価学会が無理矢理に作り上げたデマなのです。
そもそも、御法主日顕上人が、池田大作や創価学会に対して「やきもち」を焼く理由がどこにあるのでしょうか。
僧侶が得度するとき髪をそり落としますが、これは、俗世間の名誉や地位・財産などへの執着を捨て去って、仏の教えに生きることを意味します。釈尊は、一国の王位に就くべき身を捨てて出家し、悟りを求めて修行の道へ入りました。
日蓮大聖人は、佐渡から帰られて間もない文永十一年四月八日、鎌倉幕府の権力者・平左衛門尉頼綱から鎌倉の地に堂舎を寄贈する替わりに幕府の安泰を祈念してほしいとの申し出がありましたが、これを断り、身延の山奥に隠棲されました。
日興上人以来、「釈尊五十年の説法」と「日蓮一期の弘法(ぐほう)」を継承される日顕上人は、世俗の名誉や地位など、はるかに越えた「御法主」という御境涯におられるのですから、称号や勲章にうつつを抜かす池田大作に対して嫉妬などするわけがないのです。
また創価学会では、「池田先生のほうが人間的に立派なので、日顕(上人)が嫉妬して先生の失脚をもくろんだ」などとも吹聴しているようですが、これは全くの誤解であり、浅はかな考えです。
御法主日顕上人は、毎朝の丑寅勤行において、一切衆生の幸福と広宣流布を御祈念され、正法流布のために我が身を顧(かえり)みず慈悲の御教導に専念されているのです。したがって、正法の信徒が社会的に高い評価を得、人間的に立派に成長することを、最もお喜びになるのは御法主上人なのです。
仮に、池田大作が清浄(しょうじょう)な信徒であり、社会的評価も高く、人間的にも立派な人物であったなら、それこそ御法主日顕上人は池田大作を信頼し、宗門発展と正法広布のために尽力するよう、さらに大きな使命と役割を与えられたに違いありません。誰が考えても、宗門発展に貢献する人はもちろん、いかなる人に対しても日顕上人や僧侶がやきもちで失脚をもくろむはずがないのです。
(この文章の中盤から後半に至るまで、「創価学会員への折伏教本」252~255頁から引用させて頂きました。発行、日蓮正宗宗務院。発行所、KK大日蓮出版)。