私は、日蓮正宗の信心、信仰をしている。この信心は鬼に金棒である。
世の掟に反しない、つまりは、法律条例等や一般常識、それらを世法というが、それらに加味して、それらを全て覆い尽くす位の広範囲、全てをカバーするのが仏法である。
私の信心の先輩に、昭和の初期に近い、私の母よりは若干若いが、八十代の大先輩の日蓮正宗の女性信徒の方がいる。
その方が仰るには、姉妹で日蓮正宗信徒だったが、昭和世代だから兄弟姉妹が多く、他に全てではないが、創価学会信者もいると言う。
その創価信者は、その家庭で、一通り勤行をする時に、ちゃっかり、何故か、テレビやラジオのスイッチを入れて短い方便自我偈の読経唱題を同時に行うそうである。
これには、この話を聞いた栃木のKさんなど、電話口で吹き出してしまう程、我々日蓮正宗信徒にとっては非常識だし、御本尊に対しての畏れ、尊厳などがなく、これは謗法だろう、完全に。
それ程に、日々毎朝毎夕の自行化他にわたる勤行は大事なものと捉えられている。
しかし、これら、我が日蓮正宗信徒の女性の兄弟姉妹の創価信者が、特に、「ニセ本尊」を拝み祈っているにも関わらず、今現在も存命中なのである。ここが不可思議だ。
けれども、決して、生活状態が良い訳でもないらしく、不幸ではあるのだ。
それでもそんなにしぶとく生き続けているのが不思議だと私が言うと、大先輩の女性は、それが法華経の或る種の力なのか。或いは、それこそ「魔の通力」なのか。その女性も困った様に仰る。
謗法を犯している池田名誉会長になぜ罰が出ないのか
創価学会員の中には「あれほど猊下を罵っている池田名誉会長に、なぜ罰が出ないのか」と思っている人も多いようです。
日蓮大聖人は『開目抄』に、
「順次生(じゅんじしょう)に必ず地獄に堕つべき者は、重罪を造るとも現罰なし」(御書571)
「上品(じょうぼん)の一闡提人(いっせんだいにん)になりぬれば、順次生に必ず無間獄(むけんごく)に堕つべきゆへに現罰なし」(同)
と仰せられています。ここでいわれる「順次生」とは、今世を終えてのちの「次の世」「次の生」という意味です。
すなわち、死後かならず無間地獄に堕ちることが確定している大謗法者は、いかに重罪を繰り返しても、今世での厳罰は現れないとの御教示です。
これについて、第二十六世日寛上人は『開目抄文段』に、
「若し順次生に堕獄不定の者は、或(あるい)は現罰あり」(文段176)
と仰せられ、次の世で地獄に堕ちるか否か決定していない者は、現世での罰を受けることもあると、御指南されています。
このことからも、今世で受ける現罰は「順次生」に受ける厳罰に比べれば、まだ軽いものであることがわかります。
したがって、池田大作の罪の報いは、今世でうければすむというものではなく、未来永劫に無間地獄に堕ちて苦しみつづけるものなのです。
また、大聖人は謗法者に従っている者について『開目抄』に、
「悪師につかへては順次生に悪道に堕つ」(御書525)
と御教示されています。
現在、池田大作に従っている創価学会員の中には、今世で現罰を受けない人がいるかも知れませんが、次の世からは、間違いなく悪道に堕ちて苦しむのです。
なお、あなたは「池田大作に現罰がない」といいますが、頼りにしている側近が次々と亡くなる現実に、池田大作は自らの謗法の報いを感じているはずです。
事実、池田大作は、御法主日顕上人に対して瞋恚(しんに)の炎を燃やす地獄界、かぎりなく名聞名利(みょうもんみょうり)を貪る餓鬼界、怨念のとりこになって自分のゆくすえを見失った畜生界、さらには、憎悪に狂って敵対者を攻撃しつづける修羅界の、四悪道に堕ちていることはたしかです。
この姿こそ、無間地獄に堕ちる者の華報(けほう)というべきです。華報とは、未来世に受ける果報の前兆として、現世に受ける報いをいいます。
※引用文献
(創価学会員への折伏教本・各論、第4章 創価学会に疑問を感じている学会員にp195~198・日蓮正宗宗務院・KK 大日蓮出版)
以上。よしなに。wainai、長文失礼。