去年のクリスマスイブの土曜日、うちに来てくれている社協のヘルパーさんが、わざわざクリスマスケーキを持ってうちに来た。
私は断った。自分はキリスト教徒じゃないし、第一、我が信奉する、日蓮正宗では、そんな邪教のお祝いは全くやらないし寧ろ、禁止だ、というと、そうですか、と残念そうにそれを又、今来た車に戻って積み直していた。
私は、そういった、日本人特有の、寛容と称する、実際は、自身の信念もへったくれも無き、俗信でもなんでも、それこそ、鰯の頭も信心から、の、イワシの頭も信じかねない、その危うさが大嫌いである。何の信念も全く無い。これは救いようが無い。全く無い。
ヘルパーさんには悪かったかも知れぬが、これは私の、信念・信条、信じる宗教が違うのだから、これはしょうがない。と言って、ヘルパーさんは御多聞に漏れず、神社も邪宗の寺も出入りする、そんな邪な人ではある。これも、その内に、破折・折伏しておかないと、自分、私が謗法与同となってしまう。コワい。
宗教は、色々と、どこの国でも、特に日本では、難しい話なのである。
以上。よしなに。wainai