Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。日蓮正宗とは一切関係なく私個人の見解です。

仏法のこの世の方程式、ブログ炎上について。講頭さんから罪障消滅のお話しを一人仰いで伺い聴く

2025年01月11日 21時57分48秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
 今日の御退夜御講の帰り際、講頭さんから実は私に対して特別にお話しがあった。
 それはこうだ。
 私は最近、去年末から今年初頭に至るまでの間、ずっと、影に潜む何者かにより、コメント欄にて炎上を果たして、この窮状を講頭さん、栃木のKさんなどに宛てて、メールで訴えていた。
 それに関して、今日、こんな返事を直に講頭さんの口から、御教え頂いた。
 私こと、wainai君は、ブログが炎上に遭ってるんだって。
 立派な事だ。
 ここで私は一気に疑問に思う。疑う。何で私が迫害に遭っているのに、それを講頭さんはそう立派なんていうのか。これが美談でもあるまいし。
 理由はこうだった。
 その、wainai君は立派に折伏活動を行って来たから、その過去の罪障が顕れて来て、今世で現在の憂き目、というか、それが現実的には、罪障消滅につながり、役に立つと。厄払いの様なもの。だから立派な事をしている証拠、定理、定石だと。
 そして、仏様の子、仏子をイジメた相手の奴らはてき面にその罪業悪業罪障の恐ろしい結果果報を受けて、そいつは時には最悪「死ぬ!」ことも辞さず逃れられずに、必ずや、悪果、果実を受け取らなければならないと仰る事実。
 気が付くと、そいつは、いつの間にか、いなくなっていた!!この世からも!!
 これは、脅しでもなんでもない。とんでもない。正に正宗信徒にとって正論、定石なんです。
 それが「法華経」「大聖人様」の御教えの凄さだと。
 実際に、講頭さんも既に経験済みで、大体の要領は判っている。それにしても凄い、と。
 その、私、wainai君の様な純粋に信心に打ち込む、仏子、仏様の子供をイジメたんだから、叩かれれば叩かれる程、それ相応の、それに見合った、似合った、相当な死に様、死に方、悪業、現罰の出方をそいつらは果たしてするだろう、悲惨な最期を遂げて迎えざるを得ない運命だと強調し訴え仰る。
 事実、そうだろう。おそれるに足らず。相手の自滅を待っていれば良い。
 それが仏法仏教の「諸行無常」「盛者必衰」の理ことわりだ。

 だけれども、wainai君。一つだけ約束がある。それは、この「方程式」は、真面目に信心に取り組んだ人だけに出て来るもの。
 大聖人様だって、あれだけの苦難、法難に遭われたのだって、皆、自身の強盛な信心が招き寄せたもの。結果、見事、自身の立派な正義の証明となった。
 だから、頑張って、wainai君も信心してゆこう。で講頭さんのお話しは終わった。
 それから、お寺の玄関フロアで、私は、他の場所でも、実は、YouTubeの方でもそういった、難というか、迫害というか、難癖付けられて、イジメられているんです、と訴えると、それも自業自得。自分が招いた、過去世からの罪障が出ている証拠。今、wainai君は、盛んに、過去の罪障をそうやって消していってるんだよ。
 その、難癖付けた奴らの最期、後生は、凄い事になる。ズバリ、堕地獄だ。この世でその罪障食らって、「死」すら最終的にはそいつらはまっしぐらに覚悟しなければならない。後は、永遠の、未来永劫の最悪の地獄の苦しみが待っているだけ。
 それくらい、凄い御教えが、日蓮正宗、日蓮大聖人様の教え、であり、その御弟子の一人に加えられている事は実に素晴らしく、凄い事なのだと。
 つまりは、私を口汚く罵り攻撃すればする程、その相手に可哀想な程の罪障罪業悪業因縁が積み上がり重ねられつつ降り掛かる寸法って訳だ。
 この場合、哀れみ等一切掛けてやる必要等ない。してあげるとすれば、相手を救う、相手の思った間違いを正す、真心からの慈悲の折伏行だ。事の一念三千だ。実践行だ。実行力だ。正に。
 しかして、今日の夜の御退夜御講にて、講頭さんからの実際に私自身に為になるお話し御教えの数々、信徒としての在り方、その振る舞い作法というものを教えて頂き、講頭さん、実に有益なお話し、誠に有難う御座いました。感謝に堪えません。

 私はこれからも、前を向いて、正々堂々と、不自惜身命でこの身を捧げて、燃焼し尽くして生きてゆきます。

以上。よしなに。wainai123753より

[朗読音楽練習]お笑い創価学会、信じる者は救われない。冒頭。エレキギター練習と合同版

2025年01月11日 17時26分14秒 | 朗読版・折伏破権門理邪教破折日蓮正宗御本読上げ勉強趣味(楽器演奏)動画特集
[朗読音楽練習]お笑い創価学会、信じる者は救われない。冒頭。エレキギター練習と合同版
以前と同じく、朗読と音楽演奏で二本立てで送る。佐高信さんとテリー伊藤さんの「お笑い創価学会」の冒頭部分を朗読。 エレキギター練習では、ヤマハのアンプTHR5、同じくエレキはパシフィカで練習する。教材はROLLYさんの教則本で。 以上。よしなに。wainai

自戒を込めて長文失礼。Re: これどう思いますか?!矢継ぎ早の質問コメント返答持ち去り疑惑嫌疑!!-同信の栃木のKさんの慈悲の御言葉に大感謝し打ち震える wainai(再掲)

2025年01月11日 12時15分23秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
以下は、同じ日蓮正宗無量山寿海寺を菩提寺とする栃木のKさんとの厳しくも温かで和やかなメールである。私は常日頃から、彼、栃木のKさんにはお世話になりっ放しであり、何の御恩返しも出来ていないのを恥じ入るばかり。これを当たり前と受け取っては罰が出て、自身、いけないと思う。心の中で大先輩の彼に感謝するだけでも、御恩に報いる事になるかも、との一縷の望みをいだいて…。

2時間前2025/01/11 土曜日 09:44 栃木のKさんのメール
「 御住職様の御意見を用いるべきなのか」この考えは基本的にまずいと思います。御住職の御意見は、まず「ご指導」と捉えるべきです。あくまでも従うよう努力することが基本です。
そのうえで、私の感想を書かせてもらいます。基本的にwainaiさんのネットでの活動は折伏と言えると思いますが、以下のようなことに留意すべきと思います。

自分がやるべきこと(勤行等)がおろそかにならぬ方法を考える。例えば、

1.長文のコメントを書かない。おそらく、wainaiさんの記事に対して反応・コメントが多い理由の1つは長文で返しているからでしょう。私など滅多にコメントをいただくことはありませんので、ある意味うらやましいくらいです。wainaiさんの文章は挑発的とも言えますが、文体が魅力的という利点があるのだと思います。なので、反応を弱めるにも書く時間を節約するにも長文を避けることが第一です。

2.応対(回答)する相手を一人に絞る。ご住職がご指摘のように、折伏は1対1が基本ですから、もし長文にせざるを得なければコメントの相手を一人に絞ればよいでしょう。他の方へのコメントは無視というか、一人の方との対話が終了するまで(訳を言って)順番待ちにしてもらえばよいと思います。


2025年1月10日(金) 17:49 私wainaiのメール

私のブログにはとみに最近、この手の質問コメントが舞い降りる日々が続いて居ります。

その結果、私の信仰生活、朝夕の勤行になるべく影響しない限りでお応えしていますが、
それでも、時間的に非常にわずらわしく、悩みに悩んでおります。

先日来からの、私の高価なギターアンプ購入による、みなさまのひんしゅくの声を聞くに及び、
身を低く、出来得る限り低姿勢でいる私で現在あります。
この点は、非常に配慮が足りなかったと、自身を猛省反省してもし尽せない限りで御座います。どう詫びたら良いものやらと。
それよりも、金銭上の出入りで、誰よりも何よりも苦しみ、バカを見たのは私自身、そして母御の身の上を考えるに、忍びないです。

それにもまして、今回の、かようなる、私のブログ記事への、果敢なるコメンテーターの方々(一人?多数?)の横暴の数々…。

それを我が菩提寺、日蓮正宗無量山寿海寺の御住職様に先日、お電話でこの事、コメント欄が炎上に近い程、
燃え上がり、私はその事後処理、苦慮に苛まれ、苦痛にあえいでいる、と申し上げると、

だから、そういった、ネットで折伏など止めなさい、出来る訳がないんだから。
そもそも、折伏とは、一対一で、実際に逢ってその場に行き、行うものだ。
そんなに、インターネットで折伏出来るんなら、広宣流布なんかとうの昔に出来上がっている。

だから、辞めときなさい。とこうでした。

私は私なりに、反発する心も持ちながらも、やっぱり御住職様の仰る事にも筋が通っている、とは思いましたが、
栃木のKさんもお寺では日蓮正宗をテーマにしたブログを執筆なされている。私も、と当初から始まった愛すべきブログ・動画等です。

これをどう考えるのか。私は御住職様の御意見を用いるべきなのか。本当にネット時代の折伏の在り方とは何か。その本質に触れたい気もする。

(このまま辞めてしまったら、不信謗法者の、相手の思う壺だ!)

以前、Rさんという、今では交際の絶えてしまったネット上の方が、G県の顕正会の二人の男性を折伏した話を聞いた。その方から直々に。
それが正にネットでの出会いから、そう発展したと。

私もそれを聞いて、その一点に懸ける気ではいる。

しかし、御住職様の御意見にも一理ある。

今までの私のブログの体制が、折伏一辺倒?趣味や実益の事や福祉医療看護の事なども書き過ぎる程書いている。

それにしても、最近の私の所に来るコメンターは調子に乗ってる気がする。

一々、そのコメントにお付き合いしているブロガーさんなんかも散見される。むしろ、そっちのが多い。

私はむしろ、それらコメンターやら、今度はムダとも思える「いいね」等が(煩雑で)煩わしく感じ出している。苦しいと言うのか。

「いいね」を知っている人、方に贈るんならまだ良い。それが見知らぬ赤の他人。

読ませて頂きありがとう、の意味で、皆、いいね等を押すのだろうが、私には時間が幾つあっても足りない。
思えば深夜一時二時などザラだ。
それに加えて、自身のブログ記事への、無作為の、無造作、無礼(不躾)極まるともいえる、『コメント』(の輩の者共達)。

これが腹立たしいったらありゃしない。

これが私のアンガーマネジメント不足、というならば、唯々諾々と従うしかないのであろうか。

それとも単に、私の一人相撲なのでしょうか。

そこが、現代のネット社会の落とし穴、だと思うのですが。

みなさん、どう思いますか?

wainai123753より、長文失礼。何分、昨日の作成した文の為に。