今日の御退夜御講の帰り際、講頭さんから実は私に対して特別にお話しがあった。
それはこうだ。
私は最近、去年末から今年初頭に至るまでの間、ずっと、影に潜む何者かにより、コメント欄にて炎上を果たして、この窮状を講頭さん、栃木のKさんなどに宛てて、メールで訴えていた。
それに関して、今日、こんな返事を直に講頭さんの口から、御教え頂いた。
私こと、wainai君は、ブログが炎上に遭ってるんだって。
立派な事だ。
ここで私は一気に疑問に思う。疑う。何で私が迫害に遭っているのに、それを講頭さんはそう立派なんていうのか。これが美談でもあるまいし。
理由はこうだった。
その、wainai君は立派に折伏活動を行って来たから、その過去の罪障が顕れて来て、今世で現在の憂き目、というか、それが現実的には、罪障消滅につながり、役に立つと。厄払いの様なもの。だから立派な事をしている証拠、定理、定石だと。
そして、仏様の子、仏子をイジメた相手の奴らはてき面にその罪業悪業罪障の恐ろしい結果果報を受けて、そいつは時には最悪「死ぬ!」ことも辞さず逃れられずに、必ずや、悪果、果実を受け取らなければならないと仰る事実。
気が付くと、そいつは、いつの間にか、いなくなっていた!!この世からも!!
これは、脅しでもなんでもない。とんでもない。正に正宗信徒にとって正論、定石なんです。
それが「法華経」「大聖人様」の御教えの凄さだと。
実際に、講頭さんも既に経験済みで、大体の要領は判っている。それにしても凄い、と。
その、私、wainai君の様な純粋に信心に打ち込む、仏子、仏様の子供をイジメたんだから、叩かれれば叩かれる程、それ相応の、それに見合った、似合った、相当な死に様、死に方、悪業、現罰の出方をそいつらは果たしてするだろう、悲惨な最期を遂げて迎えざるを得ない運命だと強調し訴え仰る。
事実、そうだろう。おそれるに足らず。相手の自滅を待っていれば良い。
それが仏法仏教の「諸行無常」「盛者必衰」の理ことわりだ。
だけれども、wainai君。一つだけ約束がある。それは、この「方程式」は、真面目に信心に取り組んだ人だけに出て来るもの。
大聖人様だって、あれだけの苦難、法難に遭われたのだって、皆、自身の強盛な信心が招き寄せたもの。結果、見事、自身の立派な正義の証明となった。
だから、頑張って、wainai君も信心してゆこう。で講頭さんのお話しは終わった。
それから、お寺の玄関フロアで、私は、他の場所でも、実は、YouTubeの方でもそういった、難というか、迫害というか、難癖付けられて、イジメられているんです、と訴えると、それも自業自得。自分が招いた、過去世からの罪障が出ている証拠。今、wainai君は、盛んに、過去の罪障をそうやって消していってるんだよ。
その、難癖付けた奴らの最期、後生は、凄い事になる。ズバリ、堕地獄だ。この世でその罪障食らって、「死」すら最終的にはそいつらはまっしぐらに覚悟しなければならない。後は、永遠の、未来永劫の最悪の地獄の苦しみが待っているだけ。
それくらい、凄い御教えが、日蓮正宗、日蓮大聖人様の教え、であり、その御弟子の一人に加えられている事は実に素晴らしく、凄い事なのだと。
つまりは、私を口汚く罵り攻撃すればする程、その相手に可哀想な程の罪障罪業悪業因縁が積み上がり重ねられつつ降り掛かる寸法って訳だ。
この場合、哀れみ等一切掛けてやる必要等ない。してあげるとすれば、相手を救う、相手の思った間違いを正す、真心からの慈悲の折伏行だ。事の一念三千だ。実践行だ。実行力だ。正に。
しかして、今日の夜の御退夜御講にて、講頭さんからの実際に私自身に為になるお話し御教えの数々、信徒としての在り方、その振る舞い作法というものを教えて頂き、講頭さん、実に有益なお話し、誠に有難う御座いました。感謝に堪えません。
私はこれからも、前を向いて、正々堂々と、不自惜身命でこの身を捧げて、燃焼し尽くして生きてゆきます。
以上。よしなに。wainai123753より