Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。日蓮正宗とは一切関係なく私個人の見解です。

「日蓮正宗の夕べの勤行。大体のあらまし・作法仕方・概略説明[非公式見解]」へのコメント

2025年02月12日 00時57分02秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致

注目のコメント

@kunihirofurumori3353
22 時間前(編集済み)

宗教、宗派についてですが、日蓮正宗の法華講員です。 
国籍を問われていますが、先祖は尊王派の郷士といえばおわかりですか。 
私の父は、先の対戦でビルマ戦線で一兵卒として出征しています。 
マラリアや飢餓、戦闘で戦友が亡くなった中で再び日本の土を踏んだようです。 
「死んだら靖国で会おう」とよく聞きますが、出征兵士の皆がそんな勇ましい覚悟があったのでしょうか。 
自分の故郷の父母を思い、妻子を思い、兄弟姉妹の行く末を思いながら無念の死を受け入れた方々が殆どではなかったでしょうか。 
無事に日本の土を踏めた方々の多くは、私の父のように地獄のような戦地のことを思い出したくもなく、多く語ることをしなかったでしょう。 
そもそも、靖国神社は戊辰戦争の討幕軍の戦死者を祀っているとしていますが、その戦没者も幕府軍の戦死者も、先の大戦で散華された英霊も、全て亡くなられたその生命は、「南無妙法蓮華経」の壮大な生命に妙伏しています。 
つまり靖国神社には、戦没者も英霊も いないのです。 
よって、私は戦没者、英霊に限らず、 空襲で亡くなられた戦闘以外で亡くなられた方々に、卒塔婆を供養しているこの動画のアップ主に賛同しているのです。
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返信

@kunihirofurumori3353
2 日前(編集済み)

創価学会2世の方ですか。 創価学会から脱会したときの決意や背景、経緯など教えて下さい。 8月15日戦没者慰霊の卒塔婆供養参考にします。

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1 件の返信


@あきたあき-q4g
1 日前

卒塔婆ですか…意味は分かりますが、学会も日蓮正宗でも引文や経典の説明時以外は得てして使用しない言葉ですね。 
どちらの宗教・宗派ですか?また国籍は? 仮に日本の国籍であっても、生まれた時から日本国籍で、親御さんも生まれから日本国籍ですか?
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返信

@wainai12375
4 分前(編集済み)

@ 両者様へ。普通に「塔婆供養」「卒塔婆」「御塔婆」等々の、言葉は日蓮正宗にもあると私は思いますし、実際、私のお寺にても、これらの言葉で御住職様奥様にも別段不自由なく、通用しています。 それに、@kunihirofurumori3353 様の場合、戦時中にビルマ戦線に「一兵卒」で「尊王派の郷士」と名乗られているのですから、普通に日本軍の日本兵の一兵卒、それも、尊王じゃなく、尊皇だと分りやすかったかも知れません。
しかし別段、尊王も普段使われて居りますし、これもおかしくないです。この方は日本の方です。靖国を真剣に論じられている姿にもその姿勢が伺われます。 
私からは、実は数年前まで、写真画像付きで、当時の安倍元首相の塔婆や終戦の戦没者の慰霊の塔婆を掲げたものをブログ上にUPしていました。しかし、本堂堂内が記念撮影時等以外撮影禁止となり、私もその画像及び文章は記事自体、削除致しました。 
その方は、お寺の重職を現在も担う方であり、確かにあの、安倍元首相狙撃事件があった二〇二二年の八月十五日に、塔婆供養として捧げられて居りました。二本並んで。 
その志を私も遂げてみたいと、これはその年の九月に私は病院に一か月間入院したのですが、確かその年の退院後十月か十一月頃か、私による季節外れの戦没者慰霊の塔婆供養が決行されたのです。 
勿論、御住職様も快諾済みでした。私の場合は、これは今は非常に反省も致しておりますが、何故かあれは去年六月だったか七月だったか。あの日は雨が降り、丁度、裕次郎忌に当たり、私はミーハーにもその時も塔婆を捧げました。
後でだいぶ講頭さんはじめ年配の方々から好奇の目で見られて、どうして私がそんな芸能人になんて塔婆立てたの?聞かれて私も戸惑ったのをおぼえております。 
他にも、私が一時期、高校(栃木県立宇都宮高校)通学時の、住まいのあった西那須野町(現那須塩原市)の地元の有名人にして、同じく宇女高、宇都宮女子高校から、立命館大学へ進学し自ら命を絶った、後のその模様が本「二十歳の原点」となった、高野悦子女史の、塔婆も立てました。実際、邪宗でしたが、お墓参りと、お寺で買ったお樒をも持参で、回向しました。 その墓参りは御住職様には言いませんでしたが、私の第二、第三の故郷の栃木県の郷土の有名人であり、私の住んでいた場所から非常に至近距離に彼女の実家跡があった事を我が日蓮正宗無量山寿海寺の御住職様に言うと、それだけの深い因縁が貴方にあるのならば、高校も進学校で公立男女兄弟姉妹校だった、という事からも、それはやった方が良い、是非に、との判断で行いました。
確かこの高野女史は、去年だかおととしにももう一回、塔婆を捧げました。 私は聞いた事、正宗関連の御本で確か読んだ気がするのです。自分が自分の先祖供養をする。これはまあ、当たり前なんでしょう。
けれども、それ以外の、有縁の方々にも回向して差し上げるのは、これも先祖や末代まで功徳がある。私の石原裕次郎はやり過ぎでしたが。
彼は元々邪教で、私は一、音楽ファン。 この構図は、高野悦子女史とも同じようですが、実際は、宇都宮線で通った電車が馴染みの路線であり、私の通った高校や住んでいた地域性に我が御住職様は感嘆されて、そこに何か、偶然では済まないものを感じ取られたのだと深く思います。 
何だか、戦争、戦没者慰霊とは話がだいぶかけ離れた大風呂敷じみた話とはなってしまいましたが、これにてこのお話は終わりたいと思います。 
最後に私の参考文献として、私のブログのURLアドレスを載せたいと思います。これは私のYouTube動画の表紙と言いますか、1ページ目に載wっています。
https://blog.goo.ne.jp/syousyu-wainai123753(このブログの事)。
以上。よしなに。wainai
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