Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

ピアノを巡る、訪問看護師さんとの問答と、私なりの答え

2024年04月22日 18時31分31秒 | 音楽楽器演奏・歌・楽典楽譜・ギター・ハーモニカ・カリンバ・ピアノキーボード
 私は、今年の二月に、ヤマハの電子ピアノを、五万円とその前半台の金額で、アマゾンで購入した。
 それ以来、私の心の中で、途中でそろばんを買ってみたりと、変遷があったものの、今は部屋の(台所の)中心部には、でんとピアノが落ち着いてどっかりとその場所、地位を占め続けている。
 今から一か月位前になるだろうか。訪看さん、訪問看護婦の長の方が来られて、私の今、この状態の部屋の様子を見て取り、丁度、その頃、白の化粧板、ホワイトボードも二千円台で購入を済ませて、我が家にそれもどんと置いてあった。
 そうやって、私なりに自分の生活を創造的に、工夫を重ねて私が生きている様子を見ても、その看護師さんは、「私なら、買わないな」「その白の化粧板は、色々とモノが置けて、便利でいいとは思うけど」と一言二言、申された。
 私は反論を試みて、「じゃあ、車になら、百万円、幾らと、当然、お金を出すんでしょう。それとおんなじで、私にとって、車が、電子ピアノに化けただけですよ」と言ったが、看護師さんは「車は移動手段で、ピアノのような趣味とはちょっと違うかなあ」とは言っていた。
 私は、少し残念に思った。この件、電子ピアノについては、私の勇み足と受け取られて、福祉相談室の方にも、以前、文句と言うか、意見を言われた。その時は、私もこのブログで書いたかも知れないが、時期尚早であると。ピアノを実際に習う段階で、その教室で聞いてからでも遅くなかったのに、と。
 しかし、私は警戒した。どうしても、それら、大手のピアノ教室、特に楽器メーカーが主催するピアノ教室や、その加盟する教室と言うのは、おそらく、これは、ノルマのようなものが必ずあると私なりに信用ならぬと睨んでいる。
 そうして、私のような、丸ビ(丸貧)のような人間にも、誰彼関係なしに、アコースティックピアノ、生ピアノをこれは確実に売り付ける、売り付けようとするのだ、必ずに。
 それを私は第一に怖れた。実際に、今回のように、既成事実を作り上げれば、これは、私がもう既に、既成の製品を持っているのだから、これで手を打とう、と出来る。
 それが、相手方には、私の持つ電子ピアノが、そこの会社、メーカー製品ならば尚更、認めてくれるのではないかと、これは私なりの、処世術と言うか、予防線を張ったまでである。
 それでも尚、私に、それら、何十万円単位の高価なピアノを売りつけて来るとしたら、私なりに、そこは潔く辞めにする。それ位の心構えである。
 とにかく、私には、今は余裕、お金がない。これは認めざるを得ない。
 よーく考えると、私の子供の頃からも思い出してみても、ピアノなんて習う家の生徒とは、かなりの実家が裕福か、うーんと大事に育てられていた人達ばかりのようだった気がして来た。それ程、箱入り娘、息子が、皆、ピアノ習得者であり、それらの家庭のレベルは、かなりのハイクオリティーではあったのだろうと、今更ながらに思う。
 そこへの、コロナ禍以来からの、一人家にこもり、独学でピアノを代表とする、習い事を自分一人で習おう、という、機運が、今、これは日本のみならず、おそらく世界中での近年の動きだったのかも知れない。
 私もその時、その動き、気流・時流に乗って、やる事をちゃんとやって、人に自慢出来得る位の何か、資格でもそれら趣味でも学問でも、何にしても、やって置けば悔やみはしなかったろうに、と言う後悔と、まだ間に合う、という悪あがき的、頑張るマン精神に則って、本当に頑張りたいと考えている。

 とにかく、これ以上、誰も私の邪魔立ては出来ない。邪魔をするとすれば、おのれ自身が邪魔をする、怠ける、という事だ。本当に、趣味の世界の事など、その、それら、訪問看護師さんなんて、だって、何一つ分かっちゃいなくて、海のものとも山のものとも、ハッキリとは知らない、世間が狭いのがおそらくは、そういった、医学や看護学の業界の人達の世界なのだろうから、私は私が信じた道を一心に突き進むのみである。

 以上。よしなに。比較的長文失礼。wainai


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