次第に聴いているうちに慣れて来るのだろう。いつも、柴田淳さんの場合の恒例だ。しかし、例年にないハイトーンボイスだ。そこが女性らしくて良い。
柴田さんの楽曲の特徴として、一番に「慣れ」が必要なのだ。言って見れば、スルメの様な感覚。そう評した私のブログのコメント欄に書いた人がいた。正にその通りである。それら含めた積りで、私は以前、彼女のアマゾンでのアルバムレビュー欄にて、まるでベートーヴェンの創作の森の様な、偉人、天才に例えて語った事がある。
それでも、まだ、音楽だからいい。これが文章ともなると、固い文章は、長い文章は、お断わりの世界となり得る。そこが今風と言えば今風で、何か悲しい。
この風潮が、今しか通用しない代物なのか。それとも、これからのネット社会にとって必須のものとなり得るのか。私には判然としない。
そんな事も、このアルバム「901号室のおばけ」は考えさせる。思えば、しばじゅんさんは、救急救命士国家試験に合格し、どこまで本当なのか、結婚までも果たしていたという話を聞いた。それならば、おめでとう!と言いたい。
私は柴田淳さんの前掲の私のブログ記事では、かなり辛辣に書き過ぎて、決別まで決め込んだが、ここで、私なりのそれへの終息宣言を出したいと思う。非常に申し訳なかったと。私からのご返答はこれである。
私はあの、我が家に来ていた、ヘルパーさんの様に、幾らあの人が初期アリスのファンだったからって、売れたら見向きもしない。私にとっては、柴田淳さんはかけがえのないアーティスト、シンガーソングライター、歌手の一人なのだから。
あのヘルパーさんはあのヘルパーさん。私は私。こう棲み分けが出来ないといけない。
それに、私がブルーレイを掛けたら、それに対して、怒るが如くに不満を漏らしたもう一人のヘルパーさん。こちらも、私は、私が今から考えるのだが、私に対して焼き餅を焼いていたのではないのか。疑似恋愛の如くに。
今ではもう会えないので、全く判り合えないもどかしさがある。その上で申し上げれば、私が何を、別の誰を好きになろうが私の勝手である。それがお節介だった、と両人には申し上げたい。
しかし、アリスのファンのヘルパーさんは話が違うかも知れない。そうだとすれば、非常に申し訳ない。
ちなみに、アマゾンミュージックで、二千円にて、電子音楽をダウンロード購入した。音質もバッチリである。
以上。よしなに。wainai
私も、何度も聞いて柴田淳の凄さに感動して大好きになったのです。聴けば聴くほどさらに魅力的に感じるのが凄いという意味で例えさせていただいたのです。何度聴いても飽きない、むしろ魅力的に感じる人ってなかなかいないという意味です。
とはいえ、私も最近の柴田淳さんの曲には無知になってしまっていましたので、これから再び柴田淳さんのその後の魅力に触れたいと思いました。柴田淳さんのことを再び採り上げていただいて、ありがとございました。
非常に貴重ですね。
「スルメ」の例えは、とても彼女に合っていて、お似合いでしょう。失礼じゃないと思います。
私の身近で言えば、うちに来ていた初期のヘルパーさんが、正にしばじゅんさんのファンでした。
彼女・ヘルパーさんも私と同様、柴田淳さんのCDを何枚も持っていて、二人で柴田淳さんの音楽話でサービス受給中に盛り上がりました。
ヘルパーさんは、ここにこんな所に柴田さんのファンがいたのか、と言って目をみはり、私を見返して、驚き、
二人で柴田淳さんのアルバムをその時しばらく聴いていました。
しかし、そのヘルパーさんも、配置替えにより、高齢者のお風呂入れの作業に従事。
その時に腰を痛めてその事業所を退職。
今では確か私の聞き間違いでなければ夫の転勤でニューヨークに転居。
ヘルパーさんは、私と同年代か私より若干若くて、
短かったですが、非常に楽しい日々を過ごさせて頂いた、
柴田淳さんのファンの方は全て含めて、今も同志と私自身は仰いでいます。
否、今日から改めて仰ぎ直させて頂く、に訂正です。
以上。よしなに。wainai