斎藤茂吉「白き山」から、「紅色の靄」昭和二十一年二月十四日早朝
雪降りて白き山よりいづる日の光に今朝は照らされてゐぬ(=「ゐる」とやりがちなのを「ゐぬ」とした)
きさらぎの日いづるときに紅色(こうしょく)の靄(もや)こそうごけ(已然形・命令形ではない)最上川より
川もやは黄にかがやきぬ(出した)朝日子(あさひこ=太陽の事、余り使わない、万葉集にちょこっと出て来る)ののぼるがまにま(のぼるにつれて=万葉集から)わが立ち見れば(=斎藤茂吉は平仮名で書く事が多い)
最上川の川上(かはかみ)の方(かた)にたちわたる狭霧(さぎり)のうづも常ならなくに(万葉集から)
最上川の川の面(おも)より立ちのぼるうすくれなゐのさ霧のうづは
(連作)斎藤茂吉の歌から
生徒さんの歌
繰り返し自業自得と思へども老いて独りに逝きし人はも(詠嘆)
(最期は病院で亡くなったのだが、その方は長い事、独り暮らしをされていた)
先生=市営住宅でもそうだが、独居老人が多い。私の母もそうだ。母と私は近所だからいいが。これはむずかしい。よくわかる。これは知人。若い人と年寄りは反りが合わない。婆ちゃんがいた頃はクッションになってくれていたが、じいちゃんと嫁が仲が悪く、じいちゃんは一人に。老いては人に従え、か。
嫁。お母さんに従わないと。私はどちらかというと、体を動かせてやっている。肝に銘じて。
生徒さん=一人というのは、考えてみると、自然かも。動物も同じ。最期は一人(一匹)。大勢の人に囲まれても人生は幸せだったのか、と。
先生=福島市で、指圧マッサージをやっていた。妻認知症初期。お父さん帰って来て、と娘に言われて、郡山にやって来た。家族が増えたのは、孫もいてうれしかったが、やっぱりつらい。しばらくして慣れたが。
「群山」の中でも「孫」と住んでいる人はいない。恵まれた事。
考え方、受け取り方次第、で幸せの形は変わる。
人間の場合は、お葬式とかがある。動物は最期は残らず、他の動物に食べられたり。人間は最期が大事。どう最期を迎えるか。
先生=老人ホームでボランティアをしていた。職員の方がいい人。しっかりしている。籍も、夫婦そろって、いつでもどうぞ、と言われている。
暑き日の夜半(よは)を蟋蟀(こおろぎ)なくきけば秋さりたりとわれは思はな
なくきけば(=花咲く見れば、等、名歌に多い形)
さりたり(去る+たり<完了形>断定の助動詞~だ、~である)
基本「い(ゆ)く」が季節・時節・時間は「来る」となる
先生=この用法、多分、短歌の世界だけかも知れない、との事。
動詞「去る」四段活用ラ行自動詞(かな?)
未然ら(ず)、連用り(て)、終止る、連体る(時・人)、已然れ(ば)、命令れ
生徒さん=「われは」はない方がよいのでは。
先生は、余り深い意味はない。語調を整える。歌によっては浮き出てていい。
「群山」では、「けり」過去形だと思っている人がいる。古文でも、そう。
しかし「短歌」では「詠歎」。
先生は、「夫」と書いて、「つま」と。最初に詠んだ人が広めていった。
「群山」扇畑先生は、それはダメという。
「娘」も「こ」と詠む人がいる。娘にも人格があるんだから、「むすめ」でいいんじゃないか。(先生)
生徒さんの歌。
齢(よわい)かさねミスもかさねて寝られぬ夜(よ)星群団に上弦の月
男性から見ると勇ましく見える(が)、
女性から見ればもっとやさしくできないのかなあ、と。「星群団」が特に。
先生=どの句をとっても、独立した作品ができそう。女性が作った歌。文語か口語か。
星群団に=現代語だと「と」場所を表す。古典の場合、色々取れて、面白い。(先生)
理由付け。作者が置かれた状態。
先生=歌全体としてはわかる。しかし味わいとしてはうすくなっちゃってる。
写生の中・作者・心
齢かさね・寝られぬ夜=読者の共感。と思わせておいて、「星群団」以下へと誘う。
(私)「星群団」を「秋の星座に」もしくは、秋でも夏でも何でもいいんだが、というと。=これだと、「秋」「夏」が中心になってしまう。
(生徒さん)「我が身をてらす」⇒これだと、色んな意味が出て来る。「孤独感」が出て来る。半年後に、時間が経ってから見直せば新たな発見があるので、作品の断片は捨てないで取って置いて下さい(先生)。
(私の作)
「里の秋」歌ひし(老健)施設にて感極まりし女性職員
(生徒さん)厳しく言うと、散文的かな。「感極まりし」は使わない方が良いのでは。例えば「涙ぐみたる」とか。
(生徒さん)そのままその場所にいる感じ。
(先生)見方によっては、「施設にて」の「にて」は、「状態」を言ってるに過ぎない。自分の親が施設に入っている事をにおわせていれば良いのでは。「自分」が関連した事が入っていれば。
(再度、先生)あえて、ここは作者のいう通り、「涙ぐみたる」よりも、「感極まりし」のままで良いのでは。
(私がその時に涙ぐんでた女性職員さんが、二、三十代の太めのふくよかでぽっちゃりとした女性だった事を言うと)
(先生)世の中では、事務的に仕事をしてゆく人がいるが、この場合、二十代~三十代の人が、特に三十代にもなれば、経験豊富で様々な体験を積み、色々体験をして感ずるものがその人なりにある。
「老健施設」を、「母の施設」でも良い、と私から提案すると、それも良い、との先生生徒さんの声も。
先生からは、「『里の秋』歌ひし」までをと、最後尾の句の、「女性職員」を交換する方法もあると。
[今回の教え・教訓]
言葉選び=辞書を引いて、自分で言葉を身に付けてゆく方法。
推敲=句を入れ替えて、歌をかえてみる。
斎藤茂吉
先生は「白き山」を参考に歌を作っている。
真似も勉強になる。
先生の茂吉の好きな歌。
先生は最上川を「阿武隈川」に変えて真似した事もある。果たして阿武隈川に逆白浪(さかしらなみ)が立つかは疑問。「なりにけるかも」は多用させて頂いた、と仰る。
最上川逆白浪のたつまでにふぶくゆうべとなりにけるかも
「なりにけるかも」(万葉調・「なったなあ」)
「かも」なっているなあ。ここに「心」がある。あとは「写生」。
逆白浪=この言葉、ここまで出来上がるまでに一年かかる。その前後にこの語を使った人はいない。使えば茂吉の盗用となる。
「自分で作って置いた歌は取って置いてください」(先生)
来年(一月)郡山文学の森。三月短歌出品。一人二首。去年もそうだった。今年も自由。短冊。
今度の歌会。12月7日土曜日、第一土曜。
以上。よしなに。長文になり失礼。wainai