私の今年からの新たな軽量で小型、小回りの利く、記憶容量も1TB、1000GBある、日本製のパナソニックのレッツノートを、私の午後の訪看さんが我が家から帰った後、急な話だが今から行くと母の施設と土壇場でアポ取り、面会の予約を取り、母の施設に自転車でリュックにPCを入れて背負って持って行った。
母の施設では、いまだに、面会時間が十五分間と、コロナ以降から、制限されている。こちらも、訪問の際は、マスク必着、という不自然さ。
それでも、母に会うと、母は自分の部屋のテレビで、たしか、NHKテレビの、みんなの歌、というのがやっていて、それに夢中みたいで、一緒に声を合わせて、楽し気に歌っていた。
私もしばらくそれを見ていた。そうして、その時間のちょっきりの、午後三時か四時位には、ニュースの時間であり、そこでは、石川県能登半島での、心痛む、能登半島地震での、死亡者が確認されたとの、悲痛なニュースが流れていた。
テレビを消して、母との、法華経方便品と寿量品自我偈の、日蓮正宗の簡略な読経唱題のお祈りを済ませ、母と一緒に、それら、地震被害者たちへのご冥福とその復興を一心に願った。母も少したどたどしいが、一緒にお経、お題目を唱えた。
それから、私が持って行った、その前述のPCを母の机というか、用具・物入れのテレビが載っている台で、私のごく軽量でかさばらない、パナソニックのレッツノートを置いて、そこで、私はiTunesの、音楽を掛けた。ビートルズの音楽である。
母もその場で聞いていたが、特に感想などはなかったが、パソコンを開くとき、画面にアルファベットで「Panasonic」と映ったのを見て、母も「パナソニック!」という声を上げていた。
そのビートルズ音楽は、たった十五分間という、短い時間に掛ける音楽などたかが知れている。だから私は、ビートルズの代表曲の、「レットイットビー」「イエスタデイ」「ペニーレイン」の三曲の、誰でも知っている曲を掛けた。
ビートルズで悲しいのは、ビートルズの代表曲といえば、必ず、ポールマッカートニーの作詞作曲に限られてしまうことだ。他の、ジョンレノンやら、ジョージハリスンの曲じゃない。しかし、彼らも頑張ってはいるのだが…。
しかし、彼らが解散して、ソロとして独立した時、ジョージハリスンは真っ先にソロ活動、レコード発売に踏み切り、彼らの中では、第一番にスタートを誰よりも早く切った。そこで「マイスウィートロード」などの傑作群の楽曲を生み出した。
ジョンレノンも、今は平和を願う歌として、必ず人々の脳裏に刻まれている「イマジン」、クリスマスシーズンによく流れている「ハッピークリスマス(戦争は終わった)」等々、ビートルズ時代よりもその活躍の場を広げ、ポールマッカートニーもソロ時代は名曲は多かったが、これらジョンレノンの代表曲には、少し見劣りもする感じだ。何てったって、代表曲という第一点で、ポールは皆、平板無難な曲、魅力的な曲ばかりがポールの真骨頂であるが、今いち、彼の代表曲といえば、やはり、ビートルズ時代が最高潮であったと言えまいか。
クリスマスソングを、ジョンもポールも作っているが、その軍配は当然にジョンレノンに上がる。ジョンのクリスマス曲は、二十世紀のクリスマスソングの中でも、最大一の、優秀な楽曲だ。これに類するポールのクリスマス曲は、何だか、ジョンの曲を聴いていると、かすんでしまう。
とにかく、母の施設では、職員さんのお話だと昨日はお餅が振舞われ、それも今は、のどに詰まりにくい、口の中で程よく溶ける、それでも、お餅を食べた感覚が味わえる、特殊なお餅、たしかお雑煮が振舞われたとか。母が大事に職員さん、施設の中で大切に取り扱われているのを見て感じて、安堵安心した。
今年の初めは、今回は、母のところに日蓮正宗無量山寿海寺と東邦銀行のカレンダーと、途中の自販機で買った、ホットレモンと、ホットココア二本を、それとゆったりめの母の肌着を母のところに届けて来た。正に良い、空もそれに増して暖かく晴れた、正月を寿ぐにふさわしい、絶好の一日であった。
以上。よしなに。wainai