私は今日、福祉相談室へ行き、実際の内容は、PC教室と言うよりも、悩み事相談、説教(本人、女性室長さんは説教とは違うとは断っていたのだが)を聞きに行ってる様だった。
私が或る事を説明するのに、順を追って、まるで情景を思い描かせる様に話し説明しても、室長さんにはどうもまどろっこしいらしく、最初と最後だけ言えばいい。或いは結論だけでも良い。と、手厳しい。
その事を、市内大槻町、日蓮正宗無量山寿海寺の地区婦人部長O合さんに言うと、その通りだよ。wainai君(私)は、どうしても一言も二言も多すぎるの、と言う。
その通りで、以前、御住職様からは、電話で集中出来るのは、どんなに親しくても、五分から十分。一番いいのは、箇条書きにしてメモした一行書きの文を三つ位にまとめる等。電話は相手の時間を奪うのだから、極短時間にまとめるのが大人のマナーだ、とも言っていた。
それらをO合さんとも話し、 今日は私はお寺にも行ったのだが、O合さんは、私が終わりの五分か十分前に来て、出て来るだけでも偉いとは思うけど、と言う。
それで、wainai君は、女性のそばにいて、耳澄ませて聞いてるでしょ、と来た。
私は、何でも仏道修行だと思って聞いてるんです、と言うと、O合さんは、女性には女性だけの、女性にしか判らない事を話す場合もあるの。そして、wainai君の場合は皆、聞いた事を人にしゃべっちゃうばい。(実際、この場を借りて、私も禁を破っているが…) 。
私(O合さん)も、wainai君のおしゃべり好きで、うんと苦労した事もあるんだよ、と。
私も言った。けれども、皆、普通の人が右の耳から左の耳へと聞き流す所が、私の記憶力で、詰まらない事でもいつまでも覚えているんです。(私も、聞き流せる位ならば、それに越した事はない。むしろ、私のこれは過去世からの業なのか。私もそれで困っている。覚えた事を言わなければ自他共に無害なのだが。一言言わないと済まないと自身で思い考えているのか。もう、ここまで来ると深層心理の世界だ。)
これだけじゃなく、O合さんとは、今日は長時間、色々一杯話せた。O合さんなりに、私がいつも一人なのを気づかい、私(O合さん)もいつもご飯は一人で食べるんだよ、と言うので、私が「本当に?」と言うと、「そうだよ」と言っていた。
O合さんちは大家族で、実際の所は謎だが、そう言う事にして置こう。
私が今日思った事は、福祉相談室の室長さんでも、お寺の信徒のO合さんにしても、皆、立派に、達者に、人生を謳歌している点だ。この点を私も学びたい。
そして、私は、性差、男女差は無いと見ている。
この間も、これは男性の副講頭のB場さんにも、同じ様に、私がその場にいると、自分らが言った事が口外、筒抜けになる事を、講中、否、福祉関係者さえも、非常に怖れる、と言うよりも、非情に迷惑と感じている。
ここまで嫌われる自分って一体、何なんだろう。自分の胸に手を当てて考えると、自身の軽はずみな愚かさがあぶり出されて来る。
第一に、軽率に物事を取り扱い、口が軽い。その尻軽さ。軽はずみ。
第二に、秘密を守れない、誰にでも信用して話す迂闊(うかつ)さ。
どこの企業、家庭、組織にも、(企業)秘密、機密、という不文律がある。
この掟を破れば、どんな悲劇が待っているかを、世の中を知らない私はきっと知らない。
そこに落とし穴がある。
今、問題になっている、「オレオレ詐欺」「ロマンス詐欺」etc…。の詐欺の類いも、国家間での組織、特に自衛隊、政治家等の、色気仕掛けの「ハニートラップ」も、同類項、同根、皆同じである。
今日、O合さんは、何か、私が、女々しいと言うか、ナヨナヨしていて、すぐ女性同志の会話に入り込もうと言う、何か違和感の様なものをいだいたらしい。
しかし、私はまるっきり、その意見に賛同、と言う訳じゃない。それは、男性B場さん、女性O合さん、いずれも古い昭和の初期中期の世代だ。福祉相談室室長さんも若干。
これが清新な若年層ではどうなのか。反応が楽しみではある。
だが、何事も、「君子の交わりは水の如し」であり、相手を追い詰めたり問い詰めたり、束縛し、追い込むやり方は誰にも嫌われる。
その、微妙なさじ加減なんです、人生上の人間関係も。
人情に冷たかったり、人情に薄いのも基本ダメ。
しかし、相手ベッタリ、他人の事などお構い無し。これら両極端もダメ。
人としての、基本的なルールが出来ていれば、それがいちばん。
じゃあ、「基本的なルール」って、何 ? と聞くのはルール違反、この稿では。
今まで述べて来た言葉の事柄で、その全ては推し量って頂きましょう。
とにかく、私は、自分の定時の決まった時刻の勤行、或る一定量の唱題が自分には一番に足りてはいない事に、やがて、いつかは気付くのでしょう。
そして、その時初めて、人生の醍醐味の何たるかを味わい尽くすのでしょう。
その時の境涯こそが、正に心も身体も、波乗りの様な、心技体、一体となった、夢見心地であっても、決して現実を忘れぬ、人生を誠実に生き得る人になっている事でしょう。
それらが達成され得るのは、地道な自行化他行にわたる、事の一念三千の、勤行唱題に叶うものに他ならないのだと、気付くのには、私は後どれ位の年月が必要なのでしょうか。
私は余りに幸せ者で、幸せ過ぎて、その作法さえ忘れてしまった、逆説的に不幸者なのかも知れません。或いは字は違いますが、親不孝者なのか。
余り考え過ぎるな、とも言っておられました。
今日、O合さんから伺った、反省だけでもダメ。猛省し、気付いたら、その時点で即、実行 ! の言葉がまぶしく私の目に映り、光ります。至言、その通りだと思います。
これだけの指導を、福祉、宗教の日蓮正宗、問わず、ほとんどが市井の、一般の、一市民、及び、一信仰者が取り行っているというのだから、これは本当に驚きです。
では、また。ごきげんよろしゅう。
以上。よしなに。長文失礼。wainai