短歌教室、歌会が、おおつきふれあいセンター(大槻公民館)にて、2024年令和六年1月14日、日曜日午前十時から昼まで行われた。
トランプの破れをテープに繕へりひとりの部屋の卓上にして
短歌は題材にしても何を歌っても良い。
先生のお父さんの歌。
几帳面な、孤独な感じがする(生徒さん談)
昭和40年代に、大槻小学校校長を退職する。確かに退職後は孤独。今までの教職についていた時の誰もそれ以来、家を訪れる人は皆無。
しかし、短歌会をこの頃主催する。
昭和46年に大病(胃がん)。その後、会を辞め、妻(先生の母)が後を継ぐ。病の実際は歌には書かなかったが、その後の死生観を反映した歌を作っている。この作品は大病の前の作。
私の作。
郡山大郡山郡山 我が福島の中心部に在り
まず、「郡山大郡山郡山」がくどい(本人は芭蕉の「松島やあゝ松島や松島や」を気取った積り)。人が読んでも分からない。「具体性」がない。奇をてらいすぎ、とこれはボツとして、私も認めざるを得なかった。
先生のお話し。
郡山に関連して、先生は、時々、開成山公園にも散策に出かける事があるという。季節季節で違った風景。桜(古木・ソメイヨシノ)百年が寿命。先生は、いけない事だがが、その桜の根っこには近づいて、踏んではいけない事に後で気づいた。しかし、それら桜には、タグが木の幹には付いていて、ちょうど先生が見たタグには、「1030」という、タグがあったという。もっとあるかも知れない。まさしく「開成山の千本桜」「開成山」の古木の桜。
先生の観察。人が見ていないものをみる。古木。老い桜の中で新しい桜が生えていた。何か「孫」を「古木」が守っているような様子。
あそこで凄いのが根っこ。隆起している。「荒根」(先生の表現)。
桜の幹に空洞があり、そこに「竹」が生えていた。
臥す母の龍がいるよといふ窓に梅の古木は冬芽(つぼみ)持ちたり
先生の歌。(正月・春・冬の)歌。冬芽=つぼみ=花芽の事。花芽から冬芽に変えた。
介護の歌。三句切れ。今年の正月に詠んだ。
寝ているような、目線でしか分からない。実際先生がかがんで見ると、青空にその前年に剪定した梅の木に青空を背景にした、本物の龍に見えた。
なんとなく明るい感じの歌。色々思い浮かべて自分が病気だという事を感じさせない歌。
母「が」家(体言)=文語体では母「の」。母が持っている家(本)。
(現代語)母「が」歩む。
(文語体)母「の」歩む。
主格を表す場合、古語では文語体「の」となる。
文語体は、何回か作っている内に、わかってくる(先生談)。
先生の母は97歳。
現実にあるものを表すのが「写生・写実」。真実に迫ってゆく。
短歌も俳句も同じ。
母がこうだとか、「説明」も入れない。
「具体的であれ!」
「写実」とは説明ではない。
作者の「解釈」ではない。
本質を見る。
答えは出さない。
本質を見ていても安易にそれは出さない。盛り込まない。答えは要らない。
自分が表したい事だけ表す。
「単純化」=なるべく平易な言葉。難しい、言葉、漢字を使わない。
ここで、私の作った別の歌がこの日再度登場。
音楽に好き嫌いは全くなしベートーベンもビートルズも好き(!)
ここで先生から、短歌はカギ括弧「」はあるが、ズバリマーク!はない、と指摘される。
(先生)単純化という意味では単純で読みやすい。
(生徒さん)五七五七七、にこだわる立場から、この作は、五六六七八(!を入れると九)であり、ちょっと気分が良くはない、と。
(先生)流れとしては悪くない。推敲を重ねればもっと良くなるかも。
私の歌は、上の句でもう答えを言っちゃっている。上・下、どっちかで、わかっちゃっている。下の句で「説明」に入ってしまっている。三句切れ。
けれども、しょうがなく、今回、短歌結社機関雑誌「群山(むらやま)」にはこのままで、私の作は出す事となった。
基本的に、短歌というのは、「叙情歌」『歌は強くつよく出る。前へ進み出る。』
感動・共感・思いの強さ。「強さ」これが薄い歌は「成程」で終わってしまう。
子規・茂吉の作風。当たり前に歌っても正岡子規の情景が浮かぶ。
何に感動したのか?どういう思いをしたのか。
「工夫」もっと歌を作る教えられたままじゃ成長しない。自分で作って初めて成長する。
事実をそのまま詠むとそこに何があるのか、そこを詠み込めば、もっと良くなる。
感じたまま、そのままで良い。
作ろうとしたら、バツ、ダメ。
作者が見たそのままで良い。
(自分の見たままを自分の感じたままで作る、単純に。それが短歌の基本)。
この日の短歌教室の概要を、私の短歌ノートから、かいつまんで、要録だけを抄出致しました。
以上。よしなに。長文につき了とせられたし。wainai