@wainai12375
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青葉と言えば、仙台市の青葉城。私は、当時、福島県立安積高校の二年次留年中休学中に、一人、宮城県に憧れて、松島に行ったり、松島の行きは東北線だったか、帰りは仙石線だったか、で電車が全てで、松島の旅行をした。 単純に、中一の頃の、学習旅行にもう一度触れたかったからだ。
それから、真夏の仙台市も探検?した。仙台駅を降りて、ペデストリアンデッキからもおりて、西へ西へと、何と、私は当時から落ちこぼれと自分の自信のなさから、そんな学校、大学は行けないな、と最初から諦めてはいたが、その名を、我が安積高でもとどろかせていた、「東北大学」のキャンパス構内を、一人、大学生に交じり、歩いた。
それから更に西に歩き、最終的に、青葉城で、そこの坂道を上り、頂上で、仙台市内を眺めた。下には確か、広瀬川も流れていたのか。 その頂上には、かっこいい、三日月よりも細長い形をした、兜をかぶった、伊達政宗公が、馬上で、凛々しく、仙台市を見つめて、見守っているように見えた。
それにしても、仙台市の都市の規模は大きい。いつか、その後、母を案内して、私と母とで、買ったばかりの中古車に乗って、仙台市まで、国道四号線で、郡山から泊りがけで行ったが、母は、仙台って、確かに大きな街だけれども、私(母)から言わせれば、東京の、渋谷とか新宿、池袋の、その一部の駅の規模が、仙台市、仙台駅、と言えるのではないか、と疑問を呈していたが、私などは、それでも凄いじゃん、と言っていた。
夏の仙台は暑く、私は九時十時開店のデパートやら書店に急いで駆け込み、そこでクーラーに当たって、肌を冷やした。
先程の、青葉城では、そこの石碑を私はよーくと読んでみた。すると、元々は、仙台は、地名が「千代(せんだい)」という土地名であり、それを戦国武将の伊達政宗公が、「仙台」と、威厳のある地名として名前変えして、現在に至る、とあった。凄い古くからの歴史がある街だと思った。
それが現在の、人口でも、経済力でも、購買力でも、何でもかんでも、東北一位の地位を不動にしている、東北の王者、仙台の実態なんだな、と。
その当時の私にとって、仙台市とは、大学は東北大学や東北学院大などあるが行く気は毛頭も無かったが、街全体の魅力としては、定禅寺通りや、一番町通りやら、街全体に、巨木の街路樹が植えられていて、道路も区画整理されていて、きちんとした街づくりが為されていて、郡山は負けてるな、と一人、羨ましがったものだ。
仙台に移住したかった程、当時は心底、憧れた。 私が入院する一年位前の、私による旅は、それ以外の、私の生まれは神奈川県足柄上郡開成町だが、育った故郷、神奈川県川崎市へのこれも単独一人旅行、と打ち続き、その熱が止んだ頃の、私の入院生活となった。
それ以来、私は一人旅は、出来なくなった。というのか、出来得る限り、避けてしまう自分がいる。これが情けないが、自分の現状でこそあるのだ。
以上。よしなに。wainai