Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

持論自論反論、縦横無尽な独演会。我が家に起きた災難、我が内乱外敵について

2024年07月09日 18時08分35秒 | 人生訓・人生論・人の生き様・年末年始賀正・正月祝・祝誕生日・記念日・祝祭日旗日
持論自論反論、縦横無尽な独演会。我が家に起きた災難、我が内乱外敵について この日、詰まりは、7月8日午前AM1時15分頃、私の家の窓に、卵が叩きつけられるという事件被害があり、早速110番通報にて、郡山警察署に急遽、来て頂いた話。その他、私の病院の若い女医先生の名医の名医たる由縁のお話。去年の総本山富士大石寺の奉安堂での、私のかなりの大きな声での読経唱題の唱和について。元々私の耳が悪かった事、その因果関係についての、仕事、学校時代等々からの過去の経緯を述べた。この場を借りて私の好きなように振舞わせて頂き、数々の話で滞りなく溢れた。 
その時の、「卵」が窓にぶつけられて、粉々に殻やら黄身、白身が付着した私の家の散乱状態。こんな事が毎度起こっている。普通の一般生活で、考えられるであろうか。これは私に対する怨恨で、根が深い、相当なる恨みを持った者の犯行だ。警察にはしょっちゅう来てもらっている。どんな手を使ってでも、何とか犯人を捜し出したいと思う。

※編集後記
 当時、私達寿海寺の人達は、去年の11月登山の時、この動画では、二、三列目、などと吹聴していますが、実際は、真ん中の最前列にいた、の誤りでした。今日の電話で、郡山市大槻町の地区婦人部長のOさんから聞いて思い出し、判明致しました。相当私の声も、大きな声でとどろき、響かせてしまった事だろうと、非常に反省しきりです。
以上。よしなに。wainai

私の高校時代休学中の時、憧れの杜の都・仙台市一人旅の想い出~ユーチューブ動画私自身のコメントから

2024年07月09日 11時25分32秒 | 福島県・郡山市、他、東北・関東地方・栃木他神奈川東京東海地方・日本全国津々浦々
@wainai12375
• 0 秒前
 青葉と言えば、仙台市の青葉城。私は、当時、福島県立安積高校の二年次留年中休学中に、一人、宮城県に憧れて、松島に行ったり、松島の行きは東北線だったか、帰りは仙石線だったか、で電車が全てで、松島の旅行をした。 単純に、中一の頃の、学習旅行にもう一度触れたかったからだ。
 それから、真夏の仙台市も探検?した。仙台駅を降りて、ペデストリアンデッキからもおりて、西へ西へと、何と、私は当時から落ちこぼれと自分の自信のなさから、そんな学校、大学は行けないな、と最初から諦めてはいたが、その名を、我が安積高でもとどろかせていた、「東北大学」のキャンパス構内を、一人、大学生に交じり、歩いた。
 それから更に西に歩き、最終的に、青葉城で、そこの坂道を上り、頂上で、仙台市内を眺めた。下には確か、広瀬川も流れていたのか。 その頂上には、かっこいい、三日月よりも細長い形をした、兜をかぶった、伊達政宗公が、馬上で、凛々しく、仙台市を見つめて、見守っているように見えた。
 それにしても、仙台市の都市の規模は大きい。いつか、その後、母を案内して、私と母とで、買ったばかりの中古車に乗って、仙台市まで、国道四号線で、郡山から泊りがけで行ったが、母は、仙台って、確かに大きな街だけれども、私(母)から言わせれば、東京の、渋谷とか新宿、池袋の、その一部の駅の規模が、仙台市、仙台駅、と言えるのではないか、と疑問を呈していたが、私などは、それでも凄いじゃん、と言っていた。
 夏の仙台は暑く、私は九時十時開店のデパートやら書店に急いで駆け込み、そこでクーラーに当たって、肌を冷やした。
 先程の、青葉城では、そこの石碑を私はよーくと読んでみた。すると、元々は、仙台は、地名が「千代(せんだい)」という土地名であり、それを戦国武将の伊達政宗公が、「仙台」と、威厳のある地名として名前変えして、現在に至る、とあった。凄い古くからの歴史がある街だと思った。
 それが現在の、人口でも、経済力でも、購買力でも、何でもかんでも、東北一位の地位を不動にしている、東北の王者、仙台の実態なんだな、と。
 その当時の私にとって、仙台市とは、大学は東北大学や東北学院大などあるが行く気は毛頭も無かったが、街全体の魅力としては、定禅寺通りや、一番町通りやら、街全体に、巨木の街路樹が植えられていて、道路も区画整理されていて、きちんとした街づくりが為されていて、郡山は負けてるな、と一人、羨ましがったものだ。
 仙台に移住したかった程、当時は心底、憧れた。 私が入院する一年位前の、私による旅は、それ以外の、私の生まれは神奈川県足柄上郡開成町だが、育った故郷、神奈川県川崎市へのこれも単独一人旅行、と打ち続き、その熱が止んだ頃の、私の入院生活となった。
 それ以来、私は一人旅は、出来なくなった。というのか、出来得る限り、避けてしまう自分がいる。これが情けないが、自分の現状でこそあるのだ。
以上。よしなに。wainai