私は、今からもう何十年前か、神奈川県川崎市中原区の東急東横線元住吉駅の辺りに住んでいた。
それで、母は、或る日、自身が長らくおばあちゃんと住んでいた「中野」の、「中野サンプラザ」前庭で行われた、「子供どじょうすくい大会」に私を連れて、中野駅まで行き、中野サンプラザの前の、池の様な所で、どじょうすくいをやった。
それから、その、すくったドジョウを袋に入れてもらい、帰りは、乗り継いで、東横線で、帰って来たのだが、その途中、東横線の車内で、私は、派手に、歩きながら、その、ドジョウ入りの袋を、おもむろに、落としてしまった。
その時に、直に、そばにいた、中年女性が「キャー」と言って、「ヘビ?」とビックリして母に聞くので、母は、笑って、「ドジョウ!」と言った。
すると、その、中年女性は、意を決したように、それら、車内の、飛び跳ねている、ドジョウを捕まえるのを、この女性も手伝ってくれた。
そうして、我が家に帰って来た。その日からは、このドジョウは、自分でも、飼う積りでいた。
翌日、学校から帰って来ると、ちょうど、ご飯を、父が主に食べていて、そこにいた、ドジョウがいないのを、私は、気づき、お母さんに、ねえ、昨日のドジョウはどこ?と母に聞くと、母はバツが悪そうに、こう答えた。
「パパが、どうしても、ドジョウ鍋が食べたい、というから、パパの為に、鍋にしてしまったわ。貴方は、何をしようとしたの?」と、母は、そう、言った。
私は地団太を踏んで、「僕は、その、ドジョウと今日、遊ぼうとして、急いで帰って来たのに、そんな、酷い」と言って、本当に、地団駄踏んで、泣き出した。
お母さんは、「そんなことで、泣かないの!ドジョウがそんなにいいの?ドジョウと遊びたかった。でも、パパが、食べたがったのだから、しょうがないわよ。もう、忘れなさい」としらを切るように、言った。
私は余計に泣いて、父は、何だか申し訳なさそうにしていて、それでも、その、食事中で、しっかりと、昨日とってきて、もらって来た、ドジョウを噛み締めて、満足そうにして、食事を済ませ、テレビを見に、台所から出て行った。
私にとって、あの、ドジョウは、たった一日の、付き合いだった。
そうして、その、中野サンプラザが、もう、解体され、無くなる報せを、山下達郎氏の、FMラジオの番組の、「サンデーソングブック」にて、先程から、聞いて、聞きつけて、思い出したように、今、この文章を書いた次第だ。
中野サンプラザ。外観からしか、見た事は無かったが、何だか、悲しい。母にとっても、中野に住んでいた事も有り、東京を勝手知ったる我が土地・場所として、母の記憶には、永遠に刻まれているのだろう、と今も、思う。
以上。よしなに。wainai
しかし、鉄筋コンクリートって、そんなに、時代を越えられない、弱いのでしょうか?
古い建築物、木でできたものは、数百年、ともつのに、中野サンプラザは、五十年。その後に出来た、「耐震基準」に沿って、則っていないのかも知れませんが、あっけない程に、あれだけのデザインの、親しみやすい、それから、良く、山下達郎さんが、中野サンプラザを愛用し、利用していた事からも、音響がとても良かった。
惜しい、建築物だと、思います。出来れば、同じ、そっくり同じ建物を、立て直してもらいたい、それは贅沢な注文かも知れませんが、あの建物は、独特でした。
以上。よしなに。wainai
改めて、こんばんは。
Wainai