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実は私は、ハーモニカのみじゃなく、電子キーボード・ピアノも大好き!

2023年12月30日 16時45分38秒 | 音楽楽器・演奏・歌・楽典楽譜・カリンバ・ハーモニカ・ギター・電子ピアノキーボード

実は私は、ハーモニカのみじゃなく、電子キーボード・ピアノも大好き!

NEW!2023年12月30日(土)
テーマ:ブログ

※おことわり:この文章は、同時期に、私の裏ブログ、アメブロ、アメーバブログにて掲げて載せたモノの、コピペ、コピーアンドペーストです。そちらのブログの方が、原本です。悪しからず。

 私はこのブログ、アメブロで、ハーモニカが好きと触れた事があったが、実際には、その後に、同じ音楽楽器の、電子ピアノ・電子キーボードにも開眼し、非常に興味を持って、それらのとりことなった。
 
 私は、元々、音楽は聴くのが好きで、演奏は?、演奏は苦手な方だったが、ハーモニカだけは、相性がバッチリであり、これは、私が神奈川県川崎市の当時の小学校でハーモニカを習ったり、私の亡き父が、複音ハーモニカ好きで、私に一日中、吹いて聴かせられたお陰もあって、それに、父との二人で、私が川崎市にいた小学校の二年まで、父が音楽の特別な教師?担当となってくれて、私達父子は、共にハーモニカを介して、共同で音楽を奏でる間柄であったのだ。
 
 それに、うちの母も、我が家の母方の祖母、おばあちゃんが、その親戚は森田姓であるが、その近い親戚の中に、自衛隊の音楽隊にいた、確か隊長か何か重職を任せられた、親戚が居たと言うのを母から聞いた。
 だから母は、うちの血筋は、音楽には非常に強い筈であり、音楽に元々向いた、楽器ならお任せの血を引いているんだから、あんたも自信を持ちなさい、と言って、私を鼓舞した。
 母は、若い頃、三味線や筝、クラシックギター、日本舞踊等を習った口である。
 
 私の子供時代から、音楽は演奏が実際苦手だった。小学校二年生までは、川崎市で、ハーモニカ主体の音楽授業だったのに、小二で福島県郡山市の、郡山市立大槻小学校二年次に転校して来てからというもの、こちらの土地ではハーモニカじゃなくて、鍵盤ハーモニカ、ピアニカ、が主流であったからなのだ。みんなは小学一年でピアニカの基礎を、指使いから何から先生に基本から教え叩き込まれていたのに、私は、そんな教育は皆無であり、それ位知っているだろう、位にしか思われなかった。
 でも、三年かそこらから、縦笛、リコーダーが音楽の時間に取り入れられて、その時は、同じスタートだったので、何とかついては行けた。
 
 しかし、鍵盤ハーモニカの、キータッチ、鍵盤操作には、これは悩まされ、一本足(指)打法をやるも、先生には注意をされ、だったら教えてよとも言えずに、一人苦しんだ。
 とにかく、あの、鍵盤を前にするだけで、緊張感が、冷や汗が出る感じであった。
 
 しかし、クラスメートで、ピアニカ、鍵盤ハーモニカを自由自在に操り、演奏できる者には、非常な憧れと、その音の佇まいに、安堵の念というか、妙な共感を覚えた。
 
 ピアノの音も元々嫌いじゃなく、ピアニカはどちらかというと、オルガンに近い感じの音だが、ピアノの音の歯切れの良さ、打鍵音がオーケストラその他に負けない強靭な自己主張の力が、いつしか、私の心を捉えて離さなかった。
 
 話は変わり、中学一年生の時、クラシックギターを習った。けれども、そこの先生が、教則本の一頁めに、ギターの歴史がたまたま載って居り、それの講義に先生は夢中になり、せっかく私は重たいギターを小さい体で持って行ったのに、空振りに終わった。 その先生は私もおかしいと思ったし、その後その事を母にも言うと、その先生を酷い先生だと、直接は先生には言わなかったが、内心私達は思った。
 それに、そこで習っていた、同じ大槻町内のおじいさんが車で私を送ってあげようとしたら、その先生は「甘やかすな」と言ったが、その時おじいさんが機転を利かせて、可哀想だし、ギターが重そうだからと先生の意見を突っぱねて、私を送ってくれた。
 その事も母に言うと、もう母は大目玉だった。それを機にそのギター教室には通わなくなった。今でも何の罰当たりもせずに、そのWギター教室は続いているのが、私は不思議だ。
 
 ギターとは縁がまたあり、今度は、佐々木ギター教室と言う、郡山市民文化センター近くの、町名が堤下と確か言った、ギター教室に、私は数か月通った。これは、母も以前通った教室だった。
 先生はもうおじいさんで、私の母の事も良く覚えていて懐かしそうで、私の事も、どこか母に似ている、とか、その時ちょうど、持って行った、ギター教則本が、その先生から買ったもので、母の名前が書いてあるのも、先生は気に入っていた。
 そこで、今言ったように、数か月習うのだが、初めに、私がフォークギター、これは高校の時に三万円で買ったギターの際、フォークギターの教則本を、何故かその時そのクラシックギターの教室に持って行った時、先生が面白がって、それじゃあ、ギターで何でも弾ける、伴奏になる、ギターコードの講義をしよう、等と言い始めてしまった。
 私は、ドレミファから、音階からちゃんと習いたかったのに、その先生は独断で、そうなってしまったのだ。
 それも、その課題曲が、私の知らない曲、「トロイカ」。
 この曲を、母に言うと、それはロシア民謡であり、昔は歌声喫茶などで流行ったものだ、と言う。
 私はロシアと聞いて、その先生は、ロシア=ソ連=共産党、なんじゃないのか、と疑ったが真相は分からず仕舞いだった。
 とにかく、その後も、私は、何とか弾くには弾けたが、ギター熱は急速に冷めてしまい、辞めた。
 
 ギターとは違って、本来の趣旨のピアノの話に転ずるが、その後、地元楽器店が運営した、その市民文化センターそばで、ピアノの教室があった。私はこれは時系列が前後するが、高校生時代に、ヤマハの電子ピアノを購入して居り、その楽器を有効利用したくて、大人になってから、ピアノ教室を探すも、どこも大人の男性のピアノ教室というものは無かった。今現代現在ならば、沢山あるのだが、その時は、ピアノ=子供の楽器、と言った図式で、世の中の、それから、音楽業界でも、取り扱われていて、私はうんと苦労した。
 その中で、その先述の、市民文化センターそばの地元楽器店運営のピアノ教室では、特別に、皆、幼稚園生から、高校生くらいまでの人が多いとは言っていたが、私も出来ると言ってくれたので、早速、入会した。
 ところが、そこで、私が所有するピアノが、電子ピアノだと言うと、そこの女性教師が血相を変えて、弦が張ったピアノじゃなきゃ、感覚が掴めない。絶対にダメ、といった風な、私を差別する言動をとり、しまいには、高価なピアノを買うように押し付けて来たので、私はたまらず、一か月を待たずに、辞めて来た。
 
 それからは、その当時、NHKだかどこかで出した、趣味のピアノ講座、のような、CD付きの教則本、母が電子ピアノを買った時買ってくれた、ポピュラーピアノの教則本とカセットテープの通信講座類、その他を私は、持ってはいたが、やる気が持続はしなかった。
 
 母は、クラシックピアノは、堅苦しい練習になるのを見越して、ポピュラーピアノを私に勧めた。一曲ずつ、自分の思い思いの練習法で習得するスタイル、一曲を仕上げてゆく教育法。
 
 そういえば、以前テレビか何かでやっていた、音楽の番組。若しくは、本で読んだかの話。それによれば、クラシックピアノ奏者は、アドリブ、即興的には、音楽をその場では演奏が出来ない。クラシック音楽のみに特化した奏法しか出来ない。これが、ポピュラーピアノ、ジャズピアノ出身者・奏者は、何でも応用が効き、その場での楽々、演奏が楽し気に伴奏を付けたり、演奏で主役・脇役を演じられたり、とにかく、楽しいの一言であった。
 それだけの差が、クラシックと、ポピュラー・ジャズのピアノとは、分け隔てがあり、クラシックは、昔ながらの、旧態依然、決まりきった作法の、型通りの、 狭い世間での、やり方に終始する、一種の凝り固まった、自由さのない、 詰まらなさがあるのだ。
 
 そして、私にとっては、第何波の、又満を持しての、ピアノ熱である。これを逃してなるものかと、今は、気を楽にして、心構えだけは、ちゃんとして、学ぶ姿勢に徹して、今時は、ネット社会に在り、あの時の、無作法な、不幸な時代とは訳が違う。今は最も、私に向いた、時代が後押ししてくれる、今も言った、インターネット社会であり、幾らでも、参考、勉強、勉学の為に成り得る、見本となる、動画等が、この世には遍満し、充満している。あの、ネットの無かった、私の高校生時代とは、訳が違うのだ。
 
 この恵まれた機会、チャンスを逃さずに、時代の追い風を受けて、今度は私なりに、奇策を打ち出してでも、音楽道に精進致す所存である。
以上。よしなに。wainai


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