日蓮大聖人様の「御書」を読むと、仏教各派の話は結構、微に入り細に入り、書かれている。しかし、神の話となると、立正安国論には、「神天上の法門」の初期の形が説かれ、大体、神は天界に留まり、この地上から、鎌倉時代の悲惨な災害、天変地異の打ち続く世の中で、神々は、神社等の、社(やしろ)からは逃げられて、天上へ帰られたと説く。これが、「神天上の法門」の原型である。
しかし、法華経を説かれた釈尊の時代には、釈尊自身が、法華経を守る神々の代表として、諸天善神、大梵天王、帝釈天王、大日天王、大月天王、大明星天王、等々の、神々を配置し、それらがこの経典を守る誓いをする儀式が既に法華経に書いてある。だから、それら法華経を守る神々には、我々日蓮正宗信徒は、朝の勤行時には、五座の内の、第一座、初座に於いて、東方、東の方を向いて、拝礼し、方便品一遍、寿量品自我偈一遍を唱えて、御観念文に目を通し、祈りを捧げる。
以前の、昭和初期の、創価教育学会当時、それから、昭和二十年代の、古い、おそらくは、戸田会長が会長職に就いたばかりの頃の、古い時期の創価学会、及び日蓮正宗御宗門では、古い経本を使い、その、梵天、帝釈等々と、もう二つ、それらに加えて、天照大神、八幡大菩薩、を加えて、それに、天皇陛下の文字まで入れて拝んでいた時期が、戦前戦時中から戦後にかけて、あった。
大聖人様の御本尊を拝し奉ると、その御右側下方には、天照大神、御左側下方には、八幡大菩薩、と、認(したた)められている。
これは、この宗教、日蓮正宗が、日本生まれの、日本発の宗教であるという認識で宜しいと断ずる。沖縄に行けば、日蓮正宗などは、多分「ヤマト神」の一派と断ぜられるであろう。
しかし、これら、御本尊には、釈尊、多宝如来、インドの神・王、中国の高僧(天台・妙楽大師等)、日本のそうした神々が配置されて居るが、一切、ギリシア神話の神、ローマ神話の神、等々は、多神教のそれらならば、日本の神々を祀ってある御本尊様ならば、配置されてもいいのではないか、とも思うが、どうか。やはり、ダメであろう。
その頃の、鎌倉時代の世相、国際宗教事情とは、そんなもので、まだ、未知の世界が、西洋であったと言える。
その、西洋や、アラビア諸国では、とっくに、この時代、世界大宗教の、キリスト教・イスラム教が跋扈し、世界を席巻し始める兆候が伺えたが、鎌倉時代は、日本はまだ安閑として居られたのであろう。
中国では、この、鎌倉時代の前の、西暦600年代から、既に首都長安にて、景教(キリスト教異端・ネストリウス派の一派)が布教、伝道を開始し、700年代には、寺が立てられたりして、一大勢力として、中国全土を覆うが、時の皇帝にこれを阻まれ、仏教禁教禁制と共に、一緒にこの、景教も禁教され、急速に衰えた。
と、このような経緯を、鎌倉時代の、生年が1222年、没年が1282年の、日蓮大聖人様が知らなかったのは、御書のどこにも、キリスト教についての記述が無いのが物語っている。全く、キリスト教、イスラム教については、無知だと言える。
これが、未だに世界中をこの当時から覆い、今も世界の不幸の原因、遠因なのに、肝心の、大聖人様は、お知りになられない。
だから、大聖人様の御書をもってして、キリスト教を破折する時は、大聖人様の、五重相対の、内外相対、内道(仏教)と、外道(仏教以外の宗教)として扱い、それらを破折するか、浄土教、念仏の教えの、極楽思想が、キリスト・イスラム教の、天国思想と酷似している為、それをもってして、破折、となる。
いわゆる、応用技である。それ、そのもの、その本体の、本物の教えに対する、大聖人様直接の、お教え、破折法は、無かった。
その後に、歴代の猊下様方が、キリスト教などの、一神教に接し、その過ちに触れ、独自の一神教への日蓮正宗独自の破折論が編まれていったのであろう。
その後、日本にも、キリスト教が、戦国時代に伝来し(1549年、イエズス会のフランシスコ=ザビエルにより鹿児島上陸、カトリック教が日本に初伝道)、以来、日本では、キリスト教、及び、南蛮文化が発達し、キリスト教(カトリック)が教勢を広げた。
しかし、これが、時の支配者・為政者、特に、日本の全国統一を果たした、豊臣秀吉、徳川家康のその後の後継者の江戸幕府は、これら、キリスト教・カトリックが、非常に危険で、日本の統治支配の、秩序を乱し、人心を混乱、荒廃させるものだと、喝破、見抜いたうえでの、キリスト教禁教令が、秀吉・家康、安土桃山(戦国時代)と、江戸時代には、成立・完成されていった。
これで、このまま、このキリスト教が、以前の昔に、日本全土に、日本国の大勢多数が、キリスト信徒になって居たら、どうなってしまっていたか?後から、西洋の軍隊、船に乗った大群の兵士たちが、特に、ポルトガルやスペイン等による悲劇が、南アメリカ・南米で起こったような悲惨な出来事が、ここ、日本でも起こり兼ねなかった。
それは、まず、キリスト教の神父が最初に上陸してきて、まずは、人心掌握、心、精神の支配化を進めてゆく。それから、その、心服随従する姿を見た後、あとから、西洋の軍隊が、日本を目指して進んで攻めて来る。詰まりは、日本の西洋による、属国化、植民地化である。それは、幕末、明治の御代の興る前にも、続いた。
この国の文化は、根こそぎ失われ、それら、植民地宗主国に支配され、奪われ、搾取・簒奪され、日本の人民は、奴隷化されたり、殺される。これらの運命を未然に防いだのが、豊臣秀吉、徳川幕府であったのである。
今日現在、日本に於けるキリスト教徒の数は、日本総人口一億二千万人とも、一億一千万人とも言われる中の、たった、1%いるかいないかの、弱小教団たちに成り下がった。これは、勿論、キリシタン対策の、豊臣・徳川政権の武勲、功を褒めるべきでもあるが、実際は、日蓮大聖人様も御書の中で散々仰られているように、大乗教、大乗仏教が成り立った国に於いて、元々、この国、日本国は、大乗仏教の国なのである。そんな国に、元々外道の宗教、キリスト教や、ましてやイスラム教などが、馴染み、流布する余地など、微塵もないのである。
だから、我々は、安心して、日本の国文学に親しみ、日本語もちゃんと、昔ながらの、日本伝統の、漢字・平仮名・片仮名の文字を使い、そんな、南米の様な、ポルトガル語やらスペイン語やらの、外国語に、地元の、元々あった南米独自の文明、文化、言語を失ってまで、キリスト教を弘めてしまった最悪の事態は、何とか、あの、戦国・江戸時代の、時の権力・支配者の先人の方々たちの高名な、非常に高くして、先見の明のある見方、筋を通した眼力で、全てを見通して、今の現代日本の礎を築いて下さったのである。
それが、結局、仏教界にとっては、宗門改め、寺請制度に代表される、「葬式仏教化」を招く因となるが、一人、「日蓮正宗」のみは、現代に生きる、現実世界に活躍し輝き続ける「伝統仏教」として、頑張って今日も活動的に、邪宗邪教の折伏教化、破折に勤しみ励んでいる昨今なのである。
以上。よしなに。wainai