今の創価は、過去の日蓮正宗宗門への外護の功績を自ら無にする行動が目立つ。
以前の平成二年以前の創価自身の御宗門への関わりを否定し尽している。
例えば、血脈相承が絶えた、と今現在創価は盛んに吹聴するが、自身が破門されるまでは、永年日顕上人の相承をその時は否定していなかった。自分が認められなくなると、手の平を返したように正反対のことを言う。
挙句は戒壇の大御本尊様の否定。三宝破壊の魔に満ち満ちた創価。三宝とは、仏法僧を言う。この全てを創価は破壊し尽くした。
過去の栄光に自ら泥を塗る。過去の学会員達は、御法主上人猊下と共にあり、日蓮正宗を疑うこと等絶対に無かった。
本尊自体もニセ本尊。本物にどこまでも似せて作り上げても、ニセはニセ。むしろ、手の込んだニセ札は悪意に満ちた、本物と迷わせる精巧さは、罪が重い。
池田大作って、そんなに創価が言う程、偉大じゃない。張りぼてのような、作為に作為を重ねた強大な妄想が作り上げた創価張りぼて教学。故に私は池田を邪師と呼ぶ。池田の俗物根性、醜い権力欲と名誉欲に取り付かれた様は、私も学会員時代から気付いていた。
その池田も今は見る影もない。表舞台から去って今年で十年位経つだろうか。
早く創価のまやかしに学会員の皆さんは気付いて欲しい。いつまでも時間と金と労力を、人生を無駄にする必要など、どこにもない。