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進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

川崎へ―再掲

2017年07月13日 09時22分04秒 | 福島県・郡山市、他、東北・関東地方・栃木他神奈川東京東海地方・日本全国津々浦々
11/22/15 川崎へ
 父への見舞いは数年続いた。中でもきつかったのが、夏場。わたしは汗っかきで、汗を全身したたらせ、道中ラーメン屋の座敷で一休みし、現在ならば熱中症の一歩手前だった。
 そんな中、川崎へ引っ越しした。父も退院し、家族みんなで暮らせるようになった。
 川崎では、保育園、小学校と通った。
 保育園では、父が毎朝、園まで送ってくれたが、あんな父なのに、別れ際、家族の少ないわたしは毎朝「行かないで」と泣いていたと、その当時の保育園の連絡帳に書いて有った。
 保育園では、当時、人形劇団の「ひとみ座」というのが時々来て演劇をみせていたが、その劇団員の子供と友達だった。
 小学校でも友達がたくさん出来た。
 川崎でも富士山が正月になると見えた。光化学スモッグが晴れて雲がなくなり、開成町よりは小さいが、雪を冠った富士山だった。
 教室に暖房がなくても暖かかった。
 福島へ引っ越すことが決まると、学校の皆が引っ越しへのみやげをくれた。それは引っ越し当日まで続いた。
 福島ならば、決まって引っ越す本人がみやげを配らなければならない。逆だった。まだ神奈川の方がよい。
 
 自分史的なものをここまで綴ってきたが、ブログでは限界がある。福島編はないが、神奈川編はここまでにしたい。ブログで自分史を綴る事には意味がある、と思う。
 神奈川県への漂泊の思いやまず、帰れるものならば、帰りたい。いつか戻れる事を祈念して、筆を置く事にする。

神奈川県開成町へ引っ越す―再掲

2017年07月13日 09時20分28秒 | 福島県・郡山市、他、東北・関東地方・栃木他神奈川東京東海地方・日本全国津々浦々
11/18/15 神奈川県開成町へ引っ越す
 両親は、神奈川県足柄上郡開成町へ引っ越した。子供の私が生まれた。家の前には、東海編物という工場があった。
 ドブが流れていたが、ドブの川の水はきれいで、鯉やフナが泳いでいた。周りは田んぼである。
 窓の外には、富士山が額縁つきの観光写真そのままに見えた。来た親戚は一同、その景観に驚いた。
 小田急線が近くを走っていたが、当時近くに駅はなく遠く、バスを二回乗り換えないと小田急の駅、新松田へは行けず、かなり田舎な土地だった。
 ここで父はゴム会社に勤め出し、何度か仕事も変えたが、落ち着いた。犬は、土佐犬を飼い、幼い私がその犬に乗せられた写真が我が家に残っている。土佐犬は凶暴なので、今から考えると怖い。しかし、我が家の住人の子供の一人だとおそらく犬のほうでもわかっていて、噛まれたりもせずに、大人しかった。犬の名前はダイといった。
 隣の社宅に、一人暮らしの同僚がいて、車で静岡まで連れて行ってもらい、そのおじさんに、帰りに竹でできたうぐいすの笛やへびのおもちゃなどを買ってもらった。
 私が三歳になるかならぬうちに、父は交通事故に遭う。地元の病院に行くがラチが開かず、県北の病院に転院した。
 父はその後病状が悪化し、川崎で寝たきりになる。(後に歩けるまでに回復。)そのお見舞いに、母と幼い私は、毎日のように開成町から川崎まで、最初にバスを二回乗り換え、小田原に出て、余裕のある時は新幹線で新横浜、普段は東海道線で横浜まで行き、乗り換えて川崎の病院まで夏の暑い日も冬の寒い時も見舞い続けた。
 父は我が儘であり、ろくに見舞いに来た私たちにはいい顔もせず、冷たかった。むしろ、あの金はどうした、示談して自分たちで逃げるつもりだろう、とありもしない悪態をつき、私どもを悩ませた。
 開成町の近くの小川に、わたしと母は時々出かけた。わたしは覚えていないが、母によるとわたしも母も泣いていたという。この親子一家に対する過酷な運命の仕打ちを、親子で必死に乗り越えようとしていた。

自伝的なもの、遥かなる神奈川への望郷の念、尽きず―再掲

2017年07月13日 09時17分48秒 | 福島県・郡山市、他、東北・関東地方・栃木他神奈川東京東海地方・日本全国津々浦々

11/18/15 自伝的なもの、遥かなる神奈川への望郷の念、尽きず
 以下は、自分史的な自分語りである。

 昭和四十年半ば、私の両親は、神奈川に近い東京で結婚した。家は持ち家で、女一代で、母が独身時代にお金をコツコツと貯めて買った。父は入り婿、婿養子で、福島県から出稼ぎに来ていた。
 土地を最初に買ったのは母だったが、後から母の姉の夫が土地の半分を譲り受け、姉は立派な家を建て、母にも安く家を建ててもらい、土地代とした。姉妹で隣同士で住んだ。後に姉夫婦は離婚した。
 家を売るときには、同時期に売り、当時の土地高騰の世相の中、母の家も高く売れたが、姉の家はもっと立派な家のおかげで高く売れた。
 そこに母は、おばあちゃんと一緒に住んだ。せめてもの親孝行にと、母が願い、実現したものだった。父は、福島では農家として土地を持っていたが売ってしまい、身寄りもなかった。おばあちゃんは「(親類もいない人と結婚して)背負(しょ)っちゃったね」と娘の身の上を案じたが遅かった。この父は、後々面倒を起こす。
 父は、その当時、包丁やはさみなどの刃物を売る営業、行商をやっていた。それ以前は、農家を辞め、馬の博労などをし、福島じゃ仕事が少なく、東京に出稼ぎに来ていた。
 その父が、神奈川県足柄上郡開成町に福島の知り合いの斡旋で仕事を見つけた。しばらくはそこから通ったが家を売って夫婦は神奈川へ引っ越すことになった。

うつくしま未来博、福島が輝いた日―再掲

2017年07月13日 09時04分28秒 | 福島県・郡山市、他、東北・関東地方・栃木他神奈川東京東海地方・日本全国津々浦々
11/23/15うつくしま未来博、福島が輝いた日
 今から14年くらい前、2001年(平成13年)、夏。福島県須賀川市の郊外で、福島県の博覧会「うつくしま未来博」が開かれた。ふくしま国体に並び、何年も前から計画が練り上げられ、周到な準備の元、開かれた博覧会だった。
 うつくしま未来博へは、母と一緒に行ったが、入場料が割と高かった気がしたのを覚えている。
 中に入ると、とても広かった。とても暑くて母とわたしは、かき氷のストローで差した飲み物を早速買った。
 母は、その時から何か木工だか植物だか陶芸だかに興味があり、そこの場所で何かのブースのコーナーで係りの人に聞くと、その日はたまたまその先生がいない日で、何も聞けずに残念そうだった。
 わたしも、急いで中を早足で駆け巡り、焦っているようで、怒っているようでもあった。その日はわたしはなぜか不機嫌であり、母が勧めるパビリオンには進んでは行かず、わざと混んでいるからと辞退してしまった。
 しかし、帰り際、地元の新聞社、福島民報のパビリオンに入り、少し興味深く見入った。そこでは、昔の新聞紙一面を、日付を言えば無料でもらえるサービスを行っていた。わたしは、母の誕生日の新聞を所望し、母もわたしの誕生日をリクエストした。
 それをじっくり見ると、母の時代は、戦時中の、時代がかった日本の歴史が映し出されていた。しかし、わたしの誕生日といえば、ろくに事件も何もなく、平々凡々とした平和な昭和の、ニュースらしいニュースがない一日だった。ただ、暑い日だったらしい。
 未来博会場で催された音楽・歌謡ショー、臨時ラジオ局などを見て、夏の日を一身に浴びながら、その場を後にした。
 その後、バスで須賀川駅前まで帰り、夜の真っ暗な中、駅前のもう今はないが平凡だが、当日は未来博がえりの客で混んだ店で丼物(どんぶりもの)の夕食を食べて、帰路に着いた。
 佐藤栄佐久県知事と県民が共に成し遂げた未来博。あの頃のふくしまは、間違いなく輝いていた。今は終わらない原発事故の後処理と、悪意の風評被害に悩み苦しむ福島県だが、この地が再び輝きを取り戻し、笑顔あふれるふくしまになって欲しいと念ずるのみ。また、いつでも復活する、復活できると信じている。

 私の家にあった、「うつくしま未来博、公式ガイドブック」。今では貴重品だ。

このブログを再開したきっかけ、訳

2017年07月11日 22時35分01秒 | ブログ論。私の本音。一人語り。物故録。恋愛論。恋話。大いなる自分の好み、嗜み。
このブログを再開したきっかけは、「正しい宗教・正しい信仰に目覚め、戒壇の大御本尊に御目通りしよう」のブログ作者の、ここでは仮にK氏としておくが、Kさんが、私がKさんへのメール等で、かなりの長文で文章を書いたりしていて、私が物を書くのが好きなのを知っているので、何気なく氏が「またブログやってみたら」と言うお誘いを受けたからである。その他、私は、以前、母に、「もしも、いつか私がブログを辞めても、どこか知らない所で、又もやブログを細々と続けているんだろうなア」と冗談交じりに話した手前もある。
 兎に角、片時も文字を綴っているのが性に合って居る。根っからの文字文章綴り屋(笑)。精神安定的にも大変良い効果を持っている。
 時々脱線もするが、自由気ままに思いの述べるままに、縷々、書き綴る。
 やはり前と同じ、GOOブログでのブログ再開となった。
 以前の方法と、同じならば進歩がないが、別段、大上段から構える必要は全くなく、同じ人間だから、偉大なるマンネリで良いと思う。
 新奇をてらい、変わった事をすると、余り良くはないのかな。
 しかし、日蓮正宗に宗旨替えした自分には、君子は豹変す、であり、大改革も必要かも。自分は君子の器じゃないけれど、君子になりたいとは思っている。
 
 またブログを再開出来て、本当に良かったと思う。

納豆は大好きです

2017年07月10日 14時18分03秒 | グルメ
 
『納豆は好き?嫌い?』
2017年7月10日更新
7月10は「納豆の日」。あなたは納豆が好きですか?嫌いですか?
 
 納豆は、子供の時から好きであり、普通に食べていた。
 中でも、母と二人で不動産物件を探しに行っていた小学一年生の時、その旅行で、石岡市や水戸に寄り、ここ、郡山市に寄り、確か宇都宮にも寄り、当時住んでいた川崎に帰った。
 その時、水戸駅で、わらに包まれた水戸納豆を買い、二日後に川崎で家族でご飯と一緒に食べた。
 その水戸納豆は見事に美味でおいしかった。今まで食べて来た納豆は一体何だったんだ、と思う程の衝撃だった。
 あの時以来、あれ程のおいしい納豆には出くわしていない。
 このブログの前の、先代のブログで、私はトライアルの納豆がおいしいと宣伝したことがあったが、その納豆はもう現在ではこの間行ったら売っていなかった。また売るのかわからないが、百円以下で四個パックで売っていて、お得、しかもおいしいと来ているから、正に三拍子揃い、いい商品だっただけに残念だ。
 今は、あづま納豆やミツカン酢のメーカーの納豆を良く買う。おかめ納豆は、余りいつ買ってもおいしく感じないので買わないようにしている。何か、納豆菌の活きが悪い感じがする。
 やはり、あの時の、小学一年生の時の、水戸納豆が最高だ。遠くでも買えるならば、送料を出してでも買いたいと思う。あの味には、あの納豆には、私は魅了されっ放しだ。

懐かしの丸井郡山店、最上階の森永レストランで過ぎし日々、母と食べたパフェ等々

2017年07月09日 21時03分54秒 | グルメ
 在りし日の、丸井郡山店で、最上階に、「森永レストラン」という色々な食事が味わえる、レストランがあった。
 そこで、私は決まって当時珍しかった「パフェ」を注文した。
 当時は昭和五十年~六十年代で、私は小学生~中学生であった。
 「パフェ」の中でも、「フルーツパフェ」、「いちごパフェ」、「チョコレートパフェ」等を(その三つ以外は無かったと記憶しているが)よく食べた。その日の気分で食べる順番が替わる。この日はいちご、ある日はチョコ、といった具合に。
 その丸井から、森永レストランは平成になるかならない内になくなり、丸井にCDショップの、ヴァージンメガストアが郡山に上陸したが、その店もあっという間に撤退。
 丸井自体も平成何年かになくなり、建物も廃墟の後、取り壊され、今はホテルや雑居スペースが建っている。
 あの美味しかったパフェ。母はパフェは食べずに、スパゲッティーやご飯類をよく食べた。
 当時の懐かしい、魂の籠ったような建物がなくなると、自然と頭に記憶は残っているのに、不思議と気持ちが追い付けない。
 丸井最上階の森永レストランは360度大パノラマが覗け、私達はいつも西武や郡山駅が見える席に好んで座った。
 駅の向こうの東口が見え、その眺望は、大郡山を見渡す、まさに雄大な、気分まで晴れ晴れするものだった。
 アーデン希望ヶ丘もなくなって久しい。この郡山市を、何としてでも盛り立てて行きたい。郡山は、必ずや復活するであろう。否、我らの手で、必ず復活させねばなるまい。
 下の画像は2007年6月の頃の丸井郡山店。もう、この頃には、森永レストランはない。おまけに東北書店の閉店の閉まったシャッターのお店前を写した画像も掲載したい。東北書店も、郡山から無くなって久しい。


私の好きなスナック菓子

2017年07月09日 20時32分51秒 | グルメ
 私は、今は余り三食ガッチリ食べているので食べなくなったが、子供の時からスナック菓子をよく食べた。よく、スナックは健康に良くない、と耳にするが、私は、食べ物ならば、ある程度は血になり肉になる、それ程、気に病む必要はないと断ずる。スナック菓子の食品メーカーの「カルビー」とは、元々社名の由来がカルシウムとビタミンからカルビーと名付けた、と聞いて、栄養学的には、問題ない物と私は考える。何事も中庸じゃないのが悪く、摂り過ぎ食べ過ぎが、過ぎたるは猶及ばざるが如し、の譬えで、良くないのだろう。
 さて、私の好きなスナック菓子は、「キャベツ太郎」と言う丸いコーンを揚げた、ソース味の、コーンの周りに青のりが振ってある食べ物だ。
 あれがおいしい。味付けがぞんざいで、濃い部分と普通の部分がある。
 私は、濃い所が好き。しかし、余り濃いばかりでは飽きるから、味の普通の部分で中和して、又、濃い部分を食べるの繰り返し。
 それから、「かっぱえびせん」や普通にポテトチップス、ポテトでは、「ピザポテト」も好きだし、普通ののり塩やコンソメ味、うす塩味でも一向に差し支えない。
 ただ、食べ過ぎが良くない。食べ過ぎて、次の食事に響くようだといけない。やはり、少量にするか、夜食として大目に見て食べる等。
 「ハートチップル」という、ガーリック風味の美味しいハート状の菓子もある。これも好きなお菓子だ。
 「キャラメルコーン」は、袋の中の底の方に塩味の利いたピーナッツが入っていて、はちみつ味のコーンと相まって、とてもおいしい。
 明治製菓の、「カール」と言うチーズ味のオーソドックスなお菓子も好きだ。
 こうして見ると、不思議と色々なスナック菓子が大好きな私がいる。母にはいつもそんなもの買ってきて、と嫌味を言われるが、結局、母も食べる。今は本当にいろいろのお菓子がある。それらを比較検討して食べて行くのもありだろう。
 しかし、先程言った事と矛盾するが、スナック菓子とはファーストフード等と同じく、高カロリー・低栄養の加工食品の、ジャンクフードの類であり、余り健康的とは言えない。あの袋の中に一杯の中身が詰まっているので、何か得体の知れない物体のようにも見える。 
 夜食など、夜、小腹が空いた時や、三時のおやつには持って来いだ。
  
 やはり、仏教でいう、中庸が大事であり、肝要なのだ。食べ過ぎはいかんよー。
 

スタミナアップの食べ物、飲み物…それは、甘酒です

2017年07月09日 20時09分59秒 | グルメ
 今から数年前、NHKラジオ第一で、村上里和アナウンサーが早朝の「ラジオ深夜便」で夏バテ予防に甘酒が良いと話していた。
 以前、かつての先代の私のブログにも書いたのだが、その時、里和アナウンサーは、甘酒は、多くのミネラル分に恵まれ、非常に栄養バランスが良い。「飲む点滴」とも呼ばれていると言う。夏バテ予防の即効薬であり素晴らしい飲み物なので、皆さん是非御飲み下さい、と番組最後に皆に呼び掛けていた。
 私は一日その事が頭から離れずに、とうとう、夜になり、近くのスーパーに缶の甘酒を買いに走った。
 翌日、今も健在で、当時けがで入院中の母の元へゆき、そのラジオの話をして、病室で二人でその甘酒を飲んだ。
 母は、夏にも甘酒が売ってるのだねえと言ったので、私は、元々、甘酒は夏の季語で、江戸時代は、夏の飲み物だとラジオ仕込みの話を言った。
 それがいつの間にか、冬に飲む飲み物になったのだと語った。
 昔日の思い出と共に、今日もマツキヨ(マツモトキヨシ)の薬局チェーンで甘酒を買い求めて先程、母と二人で飲んだ。
 これで暫くは夏バテにも負けずに勝ち抜いて行けそうな予感・直感がする。
 皆様も、夏バテ予防・防止の為、甘酒は如何でしょうか。 

平成二十九年度第十四回法華講夏期講習会第四期六月十七・十八日

2017年07月08日 07時40分55秒 | 日蓮正宗総本山富士大石寺・御宗門・その御教え・教学・信行学
平成二十九年度第十四回法華講夏期講習会第四期、が六月十七・十八日に亘って、日蓮正宗総本山大石寺に於いて行われた。

談合坂SAサービスエリア(山梨県上野原市)はごった返していた。

富士山。

富士大石寺に到着。やがて歩いていくと、その集まった人数の多さにいつもながら驚く。

三大秘法の戒壇の大御本尊に御目通りするために、一路、奉安堂へ。













三門では大改修工事が行われていた。

帰りの車中、雲海たなびく富士山。
富士山は初日から曇りがちでしたが、我々を出迎え見送るように、その姿を現しました。

平成二十九年六月十八日、午前九時には、広布坊に於いて、御法主上人猊下御講義が行われた。

御法主日如上人猊下様は、大聖人様の御金言、聖愚問答抄(御書四〇五頁、一四行目)をお引きになって、
『仏性を開くか、仏性最高の縁に触れなければ、仏性を皆持っていても、戒壇の御本尊を持(たも)たなければ、駄目である。
即ち、南無妙法蓮華経の題目を唱えているならば、救われないという差別はない。
一言一句、を唱えられれば、必ず救われる、仏になる。
一代聖教の教えを集めるんではない、大聖人様の述べ、唱える処の、法華経・妙法蓮華経が開かれて、初めて八万法蔵となる(お経の全て)。
一切の法、一切の仏。
仏や弟子、記別を与えること、受記。 信力・行力が即ち合わさって受持となる。』
又、御法主上人猊下様は、心で読んでも身で読まないと駄目だと、宗祖日蓮大聖人様の御書から引用なさり、重々の爽やかな御説法はここに、締めくくり遊ばされた。
『法華経を余人の読み候は、口ばかりことば(言)ばかりは読めども心は読まず、心は読めども身に読まず、色心二法にあそばされたるこそ貴く候へ。』(土籠御書四八三頁、八行目。日蓮大聖人御書、新編・大石寺)。

泊まり掛けの、二日間にわたった夏期講習会を終えて、無事帰路に着きました。以上。

韓国について

2017年07月07日 06時22分57秒 | 政治政党・左右政党・国際情勢・時代論・護憲改憲憲法論・日蓮正宗から見た政治論
韓国・朝鮮は、お隣の国だが、私にとっては余りに遠い。
 この場合、精神的に遠いという意味である。
 必ず日本を標的にして、デモや焼き討ち等、日本をやり玉に挙げる体質。
 しかし、個人的には、一人一人の韓国人は、そうではなく、ちゃんとして、そんな素振りは見せることは余り珍しいという事を何かで聞いたが、彼らの生みだす文化、映像、音楽等は、目を見張り、感動的であり、私も注目している。
 やはり、私にとって、韓国と言って一番に思い出すのは、ドラマ「冬のソナタ」、孔子様の儒教の国、キムチ(朝鮮漬け)、ビビンバ、焼き肉、という、一般風俗だ。
 冬のソナタを生まれて初めて視聴した時、その美しい映像と美しい音楽、何といっても主役のペヨンジュンの日本人のような寸分違わぬ顔立ち、仕草、雰囲気に魅了された。冬のソナタと言うと、古いと読者の方は言うかもしれないが、あの作品が、今の私にとっては韓国ドラマでは至上であり、最高の作品であり、他の作品は私は余り感心しない。
 NHKの海外ドラマ、韓国ドラマでは、その後、イビョンホンの美しき日々、同じくイビョンホンのオールイン~運命の愛、韓国王朝ドラマのチャングムの誓い等が引き続いて放映されたが、全部見たが、回を追う毎に作風が劣化して行ったのを覚えている。
 やはり、最初の「冬のソナタ」で完全に私はノックアウト、あれが最高であり、感動した。あんなに外国ドラマで泣いた事は今までになかったし、これからもないだろう。作品の全編が全て、一貫して美しさ、はかなさで満たされていて、あんなに素晴らしいドラマは見た事がなかった。
 日本人には到底作れない、韓国人たちの底力、真心を感じた。音楽も素晴らしく、私はその放映された当時、早速輸入盤のサウンドトラックのCDを買い求めた。
 ペヨンジュンは、眼鏡を掛けていて、若い眼鏡を掛けた俳優は、当時としては珍しかった。私も眼鏡を掛けているが、昔から私は、がり勉、近視眼的、遠目の利かない、と、眼鏡に対して非常に劣等感を抱いていた。高校から眼鏡を掛け始めたが、ずっとコンプレックスがあった。
 しかし、ペヨンジュンさんは、臆面もなく、堂々と眼鏡を掛けていて、それが寧ろ魅力というか個性にもなっていて、当時、お笑いでペヨンジュンさんの物真似をする時は、必ず皆、同じ眼鏡を掛けていて、とても微笑ましかった。
 私は、自分のコンプレックスは、取るに足らない、現に、ああやって、眼鏡を掛けていても、ちゃんと俳優業をなさっている方もおられるんだから、と、逆に非常に自信をもつようになった。私にとって眼鏡は、今では完全な、私の外面を繕う武器、小道具、気の利いた日常生活作品の一部となっている。
 その点では、ペヨンジュン氏には非常に感謝してもし尽くせない位、高校生時代からの負い目、コンプレックス、劣等感の解消を果たしてくれた俳優として、私の記憶の中では彼の功績として心に留め残っている。
 親孝行の国、韓国。孔子の論語は私も大好きだ。日本では、儒教は今では宗教と言うより学問、道徳の範疇である。韓国は知らぬが、今も孔子の教えは韓国社会の隅々まで息づいている。孔子を学ぶ人に、悪人は余りいない。論語読みの論語知らずというが、一度でも論語の世界、孔子様の教えの一端に触れたならば、大体の輪郭、素晴らしさは解っている筈で、字を文上で、上っ面でばかり読むからそうなる。日蓮大聖人様の仰るように、文の底、文底(もんてい)から読まないと、つまり、よく言う、行間を読むというやつだ。それも繰り返し、繰り返し、自分の血や肉になる程に読み込む。身で読むのだ。
 韓国は、一度は憧れの国だったが、今は余り違う。少し残念だが、韓国語を学ぶ程ではないが、韓国文化は少しは知ってかじって置いても損はない。韓国のCDにもう一度恋をしてみるか。

功徳

2017年07月03日 19時10分29秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
私は、日蓮正宗に入ってから、功徳と言える物・事が幾つかある。
 まず、体の面、精神の面から。
 脂質異常症、高脂血症、いわゆる、血がドロドロ血、動脈硬化の元になる元凶の、
 
 血液が物凄く以前は、凄い数値、それこそ80~100程度に収まっていなければ
 いけなかったのが、それこそ毎回400~500位と怖ろしく高止まりし、
 どんなに運動をしようが、散歩を毎日の日課として心掛けようが、駄目だった。

 主治医の先生も、毎回呆れて、こんな人、こんな数値の人は、
 当病院始まって以来このかた、見た事がないと匙を投げられて、
 先生は、いつも検査結果の数値の異常な所に赤鉛筆で、こことばかりに、

 赤丸で赤く印を付けて、これ、ここを早く、一刻も早く、
 改善して下さい、と検査結果の紙を手渡された。
 私は怯えながら、苦笑いと言うか、照れ笑いをする。

 すると、「笑い事じゃないんですよ」と仰り、一喝される。
 「もう、動脈硬化のとっくに適齢期、は迎えているんですよ。」
 「長い間、このままいけば、心臓の心筋梗塞、脳だったら脳梗塞の一歩手前に必ず成りますヨ。」と仰った。

 本当に、正に暗黒の時代・半生を十数年、過ごしていた。どんな運動も、
 叶わず、どうしていいか解らなくて半ば諦めていた。
 
 不眠症も困難を極めていて、長年、同じ薬、睡眠導入剤を服用しても、どんどん効かなくなって行き、
 しかし、お医者さんは、増薬してと言っても大変に慎重であり、薬は増やさない主義。
 医者を替えてもっと薬を増量してくれる所を探そうか、とか、ろくな考えが浮かばない。  
 全ては上記の症状も一緒くたに常に悩みの種。

 それが、去年の十二月二十七日の普通車に轢かれる交通事故に遭い、
 「大悪をこれば大善きたる」(御書七九六頁)の正に御金言通りの、
 それがやがて厄落としの契機となって、詰まりは、全部が全部、
 現実に目覚め気付く端緒を開く基(もとい)となり、
 今年の二月にその全ての悩みは、悉く、立ち所に終焉を迎える事になる。
 
 即ち、私は、今年二月八日に、勧誡式を受けて、創価の邪教とは訣別し、
 日蓮正宗の信徒と晴れて成る事が出来た。
 ここから、薄皮を剥いでゆくが如くに、病状・症状が軽減、軽くなっていって、
 後には全快し、眠り薬が要らなくなる。

 まず、三月に初めに血液検査を受け、主治医の先生は、検査用紙のデータを見せて、
 「今回、今度は異常な事、点は全く在りませんでした。」と淡々と仰った。
 私はキョトンとして、当然、何の因果か、今回もどうせ碌な結果じゃないと思ったので、
 
 「私は、一応、色々な所に出歩く機会が増えて、
 それが寧ろ好結果につながったのですかね?」と言って、
 先生の言葉を待った。先生は、
 「いい傾向だと思いますよ。この調子を、ずっと維持して行ってくださいね」と仰り、

 あっさりと、検査結果の発表は終わった。何だか、期待もしていなかったのに、
 福徳、功徳の果実だけは確実に頂いたので、むしろ不思議と言うか、
 自分自身の話だとは、到底思えず、暫く、診察室から出た廊下で、

 しみじみとその検査結果の紙をじっくりと眺めて、
 改めて、本当に本当だア、と小さな声で、
 片手で皆も見ているのに、小さくガッツポーズをしている私がそこにいた。

――――――――――――――――――――

 それから、又もや奇跡と言うか、不思議な事に遭遇する。
 私が寝る前の薬と称した、あの睡眠導入剤を飲んでも、
 頑固に布団に入っても何時まで経ってもいつまでたっても、ちっとも睡魔が訪れない。

 毎日が不安で不安でしょうがなく、丁度、徳永英明にこんな歌がある。
 『眠れない夜』徳永英明 作詞作曲
 (一番)
 『ぼやけた空と太陽が人々を飲み込む、
 だから僕は駆けて行く 街の流れと逆に。

 自由と言う言葉を書いたカバンを抱え、
 現実社会を超える夢を見てほほ笑む。
 ビルの谷間を歩く 暗い目をした子供がいる。
 もう笑えない、誰も愛せなくなる。
 
 ああ、今夜も又僕は、眠れない!ああ、今夜も又僕は、眠れない。

 心の迷いが枕元に 差出人のない叫び』

 (二番)
 『雲の切れ間にのぞく 青い空が見える。
 僕を奇跡に誘う 予感を教えてる。
 
 白と黒の都会に素敵な色を降り注ぐ、
 だけど人々は傘を差し歩き始めた。

 ああ、今夜も又僕は、眠れない!ああ、今夜も又僕は、眠れない。

 時計の針だけが真夜中に眠れない夜を刻んでいる。
 ああ、今夜も又僕は眠れない ああ、今夜も又ぼくは眠れない

 ああ、今夜も又僕は…、ああ、今夜も又僕は……………(以下、繰り返し、リフレイン)』

 とまあ、こんな暗い歌を徳永さんは淡々と、だが情感たっぷりに
 (これを両立させるのが意外と難しい)
 この歌を歌い上げ、締めくくる。この歌を最初に聴いた高校生の頃は、
 面白がって聞いていたが、まさか自分がこの曲の主人公となり果て、

 身につまされる事となるとは、無邪気で何の心配事も特にはその時点で感じていなかったから、
 まあ、恐怖体験、その当時からの自分にとっては大ごとであり、大事件であり、一大事。
  
 今から考えると、当人には悲劇でも、不眠症の治った今改めて考え直すと、
 やっぱりこれは、一人相撲の、悲劇じゃなくて、喜劇じゃないかと、
 新手の詐欺に引っかかって、ていうか、
 振り込め詐欺の手口にまんまと引っかかった孤独な老人、御高齢な御仁を偲ばせるような…。
 お人好しの人は、騙されても騙されても、尚疑わずに、
 今もなお、信じ切り、相手の(泥棒強盗団たちの)心配をしてやり、
 尚、今も可哀想にと信じ続けている。それが、当のご本人が本当は最も可哀想な筈が、
 悲劇なんだけれども、喜劇の役者のような気もするのだ。

 ――――何とも言えぬ感慨がある。

 自分の、不眠症の克服法は、只一つ、

 日蓮正宗の相伝の、正しい御本尊様に対境、只単に境智冥合し、正しいお経本に則り、
 読経唱題を唱和する、只、これだけを毎日毎日、繰り返して行った。これのみに限る。

 すると、不思議にも、いつの間にか、忙しさにかまけて、寝る前の薬を飲むのも忘れて、
 正に飲み忘れる(心身共に薬物が癖になった体質にはこれが重要)状態と共に、
 それが毎日繰り返されて行って、既にお経を、お題目をする前から、もう次第に睡魔が襲い始め、
 読経唱題を終える頃には、もうすっかり眠気が起こり、

 布団へ就くまでの数時間余りを、ゆっくり、その日によって、
 すぐ寝てしまう時もままあるかも知れぬが、過ごして時間をやり過ごす。
 この貴重な時間に、本を読んだり、読みかけの新聞を読んだり、テレビを見たり、
 ラジオを聴いたり、音楽を聴いたりと、自由に、余暇、自由時間を過ごすと、別にこんなことをせずとも、
 着々と眠りへのいざないが起こり、あくびが出て、いざ、就寝。

 あとは、子供時代のように、前後不覚の、バタンキューの、朝まで直行便の、夢の世界へといざなわれる。

 こんな事は、今まで、夢で夢見る程、全く考えられなかった。

 今は、必ず布団に就くと眠れる確信から、逆に夜寝るのが遅くなってしまい、
 悪い習慣だと、思うので、改めたいと、
 御本尊様にご相談、お願いしようかと(まだ願掛けはしてはいない)今、思っている。

 兎に角、日蓮正宗の、正真の御本尊様に祈願を真っ直ぐしていく生活を続けていく内に、
 これが最良の健康法、
 正にこれが噂に聞く、真理が判らぬ武士達には望んでも得られなかった、
 ”法華経の兵法”なのだと最近になって気付き、
 寿海寺の皆さんに聞くと、ある人が、聞きしに勝る「それは初心の功徳と言う」と仰られていて、
 「成程、心得た」、と当意即妙、膝を打ち鳴らした。

 うちの母も、当初、まだらボケと言うのか、時に錯乱状態とまでは行かないが、
 時々おかしな事を言う事があったが、普段は全く正常なのである。
 現在はその回数も、当初の(創価学会の信心をし続けていた頃と比べて)頃とは少しずつ、
 変化を起こしつつある。
 現実にあり得ぬ、うちの奥の部屋に、女が十人以上いた、とか、泥棒がうちに来て皆持って行く、
 と言う被害妄想、物盗られ妄想がキツイ時が段々減って来た。

 まだこのまだらボケは頑固で、中々症状が取れにくいが、不思議と私が朝一の、
 五座の長い勤行を声高らかにして、
 夕べの祈り、三座の祈りの勤行を朗詠する事にこの数か月欠かさず続けた結果、
 それが、その声が仏事を為したのか、
 母が「最近は、余り泥棒が来なくなったわね」と言うようになった。

 当然、一日、朝な夕な、私の場合、朝、一回一時間以上、夕、一回やはり時間をかけて小一時間弱、
 結果として、声を出して必死で祈る訳だから、防犯の意味合いもあるし、
 その部屋の見張りは万全を期している訳だから、
 母も断然、息子の私の声に守られ、「声、仏事を為す」(大聖人様)の通りに、
 まさしく霊験あらたかな、御本尊様の功徳に守られて、勿体なくも、
 我が家は家内安全、無病息災の祈りの恩恵に常日頃、浴し、包まれているのである。

 まだ母自身が物を失くした時などは、警察官僚と弁護士の二足の草鞋を履く、
 努力家の祖父(母の父上、父君)の影響である、
 人を見たら泥棒と思え、という警察独特の思考回路の悪弊・悪影響を娘の母も持ち合わせたお陰で、
 時々今でも物がないとすぐ人のせいにして、しかし、私のせいと、
 私が疑われないのが不幸中の幸い。
 と言っても、私の部屋は年中開けっ放し、

 台所まで所狭しと私の電化製品、ライト電灯、こたつのテーブル、ラジオ類、
 本などの書籍類、筆記用具、パソコン等が
 投げ出すように置いてあり、占領してあるので、全て母の手の内にあるようなもので、
 秘密や隠し事などは一切なく、
 疑いも一切起こらず、無頓着の私の性格も幸いしてか、
 私に疑いが向かった事はかつてから無く、実の息子である為、信用信頼が高く、
 後は私の大事な仏間の仏壇仏具位が私の精神生活の重要重大な位置を占めている。

 母は、台所にまで、私の物が一杯溢れているのが少し不満と言うか、
 男子厨房に入るべからずの古い考えの人なので、ガッカリ感は少し私自身に抱きつつ、
 その点を抜きにすれば、母の安心感は、私との生活に於いては、少しは安息が約束されており、
 偉大なるマンネリ生活ともいえる。

 うちには後期高齢者医療制度の、介護保険も関わる、
 地域包括支援センターの担当職員も時々訪れるが、
 仲良くつつましく私ら親子一家が暮らす様子を見ていてくれて、見守ってくれている。
 最近は余り心配事もなく、少し没交渉気味だが、
 時々電話で連絡を取り合ったりして互いに連携し相談し、鉄壁の信頼関係が保たれている。

 後、特筆すべきは、話が、もう長くなってしまったが
 母の喉の詰まりが消えた事。これが大きい。

 以前、一家で日蓮正宗に入信する前は、数か月に一度、酷い時は一週間に一度は、
 必ずノドが詰まり、掃除機を使って柄(え)を口と喉に突っ込み、
 吸い取って自分で治す(無理やり)という荒療治をしていたのが、キッパリ、
 創価の勤行を毎日やっても治らなかった症状がすっかり取れて無くなり治った。
  
 あれは、あの症状は、ズバリ、創価の罰、現罰、怖ろしい現証、
 業罰に外ならないと、今ではハッキリとその因果の理法、因果応報の、
 今となっては日蓮正宗に全てを賭け、捧げた結果が、家族諸共(もろとも)、
 素晴らしい福運に恵まれた、果報者、となり、
 立派なご本尊を御安置した結果が、これだけの余りある福徳。
 どんなに創価ニセ本尊で幾ら祈って願っても願い続けても怖ろしい罰の現証の数々。

 当初はそれとは罰とは気づかず、創価は日蓮仏教の本流、
 仏意仏勅の団体だと信じ込まされ、
 当の本人(母は除く)、私は本気でそう思い、
 虚しく一座の、方便自我偈を欠かしながら尻切れトンボのような、
 欠陥だらけの経本で呪いのような祈りにもならぬ悲しい祈祷を続けた。
 
 正真の、本物で立派な日蓮正宗の、
 日蓮正宗第六十八世御法主日如上人猊下様の有難い御本尊様を御下附頂き、
 目出度く境智冥合して合掌端座し、
 朝の勤行夜の勤行、五座三座を、私が続けて祈り続ける内、
 時には最近では母も勤行の読経唱題を何十年ぶりかで行い、祈りを捧げている。
 時々炊事洗濯掃除で忙しい母は、ちゃっかり唱題行のみの時もあるが。

 今は一緒に何不自由なく、勤行を親子で行えるのは、創価のまやかしの五分間三分間勤行では考えられない話だ。

 今は、貧しくも幸せな境涯であり、福徳、功徳と言うものが、只単純に、
 こんなにいいもの、恵まれたものとは、と実際、現実的に生まれて実証され初めて気付かされ、分かった。

 今度は、この功徳を、今も謗法の罪障で苦しむ、創価学会や顕正会、神社神道、キリスト、イスラム、霊波之光、手かざし、天理教、霊友会、立正佼成会、オウム教団、伝統宗教と言われるが、その実、鎌倉の日蓮大聖人時代から間違い、国の混乱・他国侵逼難、僭称増上慢、等の難や悪事が露見していた当時の最大の原因元凶の、邪宗の、真言宗や浄土教系や禅宗、律などの既成仏教教団、言わば、既成・新興宗教を問わず、人々を塗炭の苦しみの底に堕とし込む、悪徳宗教を信じ、奉じ、熱心でなくとも、法事や神事などで、初詣でで、クリスマス等の行事でも、形式的でも、それに荷担する者は、一切が謗法であり、その悩み苦しみから救う義理が、この日蓮大聖人の教えの一端を少しでも知った者には、人情に篤く、仏法・仏教・仏様の慈悲の観点からも、そのみ教えを、皆に、分けて与えて、救う救い切る義務・大義がある。そう言う道理だから、慈悲の折伏行・唱題行に日々精進邁進していかねばならない。お題目を、立派に確実に上げ続けた者が、正に実証を示し切れる。

 御祈念
  
 皆様の幸せを、祈らずには居られません。世界よ、この世の一切の苦を和らげ滅し、
 悩み迷いある者を日蓮正宗の、正しい師により正しく教え、導き、化儀、化導しつつ、福徳薫らせ、
 平和の時空を、最上の仏国土を、この世に現出せしめ給え。
 この世の誰もが、その暮らしに見合って、笑って楽しく安楽に真面目に努めて日々を暮らせるよう、
 常楽我浄を目指し衆生所遊楽のこの世の楽園を現世に於いて現出し為さしめ給え。
 御遺命の、世界広宣流布の大願成就を、我らの現在、現実、現世のこの御代に於いて、
 必ずや果たし実現し為さしめ給え。
 
 南無妙法蓮華経。

 私の御祈願。我を日本国の為の有為な人材と成らしめ給え。
 我を福島県、郡山市に於いて、有為な人材と成らしめ給え。
 我を我が今生のあらん限りの生命を救われし大恩、恩義ある、
 日蓮正宗無量山寿海寺の為に有為なる人材と成らしめ給え。
 我が家、我が家族を守り給え、
 家内安全、交通安全、無病息災。
 我、我が家族、並びに全人類が、
 生老病死、一切の苦悩から救い出だされ給え。 
 少しの些細な事に、ぶれず、迷わず、ためらわず、そこで立ち止まらず、
 紛動されずに大道を歩めるように為さしめ給え。
 我を、我が至宝、我が故郷、おん命の大事、
 日蓮大聖人が、一世一代の御魂魄を後世へ血脈相承、法水写瓶、
 唯授一人の為にお遺し留め置かれた、御歴代の御正師により、
 厳護されて来た、三大秘法の戒壇の大御本尊様の御前に捧げ尽くし、
 大事なるこの身命を滅尽し尽くし、心を砕き、
 我が御命題、死身弘法、勇猛精進、渇仰於仏の境智冥合の意気、盛んにして、
 世法仏法に則り、この世を自由闊達に議論出来る太平の世に感謝しつつ、
 我ら日本国の立憲、自由、民主主義を死守しつつ、かくの如くの大精神を、
 大いに未だ独裁に悩む未開の国共にも大いに広め、大いに感化を与えさせ給え。
 願わくば、我、大なる望みなるが故の、
 我を江戸の末期、明治の御代を切り開く端緒となりし先駆けとなりし浪士にして、
 浪人武士、日本国、世界に冠たる人格者、修行者にして、
 勇者武者剣豪・国法の番人、日本国の大恩人・坂本竜馬の如くに為さしめ、
 竜馬の再誕と謳われるよう、相互いに敵対し合う者たちを、
 必ずや無事、見事に、和睦和合一致せしめ、
 万国世界を挺身し長じて、世の為人の為となる有為なる人材為らしめ、
 万書に通じ、万人の鑑となり、我が身を骨身を惜しまず、刻苦勉励しつつ、
 必ずや遍く輝く皇国の栄冠、我が心の王座を占めせしめ、勝利を納めつつ、
 理想を必ずや実現せしめる人材と成りて、以って、人の情けには涙し、
 感謝の念を常に抱き、仏様の御恩、人様の御恩のみならず、
 自然天地万物、森羅万象、畜生等の恩を決して忘れず、
 それら多くの者達に慈悲の心・思いを致し、慈悲を自らも実践し、
 必定、御仏前にて、汗を流し、苦を苦とも決して思わず、
 楽は楽として悟り、人を愛し、決して怒らず、意の赴くまま、
 我が己心の、心を師とせざれの御金言を忠実に守り、
 常に宗祖日蓮大聖人様の御遺徳、御志を忠実に忠義を尽くし、
 衷心から大切に護持し、御守りしつつ、
 心に念じつつ、それらを人にも勧め、
 それら人々と共に泣き、共に喜び、共に笑い、共に思い、
 貧しい時には共に同じき物を分け合いつつ同じ釜の飯を共に食し、
 むやみに貧を嘆かず、富に騒がず、常に分相応であり、
 無い物を嘆かず、有る物を尊び喜び、
 現実を冷静に直視し、常に冷静沈着を、不言実行を鑑み、
 時には有言実行、報告連絡相談を必ず特に目上に、目下に心掛け、
 宇高・生徒指標「和敬信愛、進取究明、質実剛健、自律自治」の、
 下野の国、野州、我が第二、第三の故郷、
 宇都宮の青春の庭で教わりし、
 永遠の理(ことわり)を永久に過(あやま)たず忘れず、
 灯(ともしび)を高らかに掲げ、妙法の旗をなびかせ、
 決戦血戦戦場で見事に勝利し、仏法の冷厳・確実なる実証を示し、
 必ずや我が志を成就為さしめる為、我を鍛え努め励み尊び導き給え。

 願わくは、これらの思い、願い、一切が、虚妄に帰す事無く、
 現実の上で、事の一念三千、大願成就し、実証されん事を。

 南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。

 合掌。恐々謹言。

ご金言は街の中に眠って死蔵されている、その宝の山を掘り出すのは人だが、それを見失う者の何と多い事か?!

2017年07月03日 13時00分15秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
(「一語間違えたら死ぬ」と思ってやる)=ブログ(『正しい宗教・正しい信仰に目覚め、戒壇の大御本尊に御目通りしよう』)の大事な大事な兄のような(私自身一人っ子なので、兄弟がいないので本当の兄とはどんなだか分らぬが)おん人と慕い親しみを込めて思うお方の作のブログの言葉である。普段から大変に心優しいお方で、その性格が持って生まれたものなのか、後世に身に着けたものなのかはわからぬが、兎に角、本当にサバサバとした気持ちのいいお方である。私の高校の先輩でもある。私も色々な場面で、お寺で非常に助けて貰っていて、感謝の念を禁じ得ない。素晴らしい御仁なのだ。こういうお方が日蓮正宗寿海寺郡山市だけでもわんさか居て、多士済々振りを色々な面でも発揮している。法統相続(ほっとうそうぞく)、人材には事欠かない寿海寺だよ。
 まるで詩人のような、しかし、私の心を抉る(えぐる)ような、全般も、あとの後半の記事の言葉の一つ一つの片言隻語も。
 まるで深く私の心に突き刺さってしまった。
 その文の中で、言葉の重要性について、小泉進次郎氏の言葉を借りている。仮にK氏としよう、氏はブログ記事を七月三日現在綴り、自分独自の視点で記事を綴り、仰る。


(以下、ブログ記事、引用、開始)

『「一語間違えたら死ぬ」と思ってやる
 
すごい言葉ですね。
政治家 小泉進次郎さんの言葉だそうです。
 
一流の人間の言うことはすごい。
年令に関係なく尊敬してしまいます。
 
一流の人物には、14歳の棋士でさえ皆さん敬語を使いますね。
(もっとも本人も常に敬語ですが。)
 
 
所属政党や政策については別として、
私はこの政治家に以前から注目しています。
 
どこか違うな、と思っていましたが、
この言葉を聞いて納得しました。
 
これは、ある方が
「聞いていて心を動かされる話ができるのは何故か?」
という質問をしたところ返ってきた言葉だそうです。


私は常々言葉遣いの怖さを経験しています。
昨日もありました。
昼はお寺で。夜は家庭で。
 
お寺は修業の場です。
これを勘違いして、親睦の場だと思っている方がいるようです。
そこで他人の言葉に傷つき嫌な思いを経験をすると、
「学会のほうが良かった。」という思いや言葉が出てくる場合があります。
 
大抵はこれを信心で乗り越えて
本物の法華講員として成長していくのですが、
残念ながら退転していくひともいます。
 
「学会のほうが良かった。」と思うのは魔の囁きです。
人は誰でも過去の多くのことは美化されて記憶に残ります。
昔の学会活動も例外ではありません。
 
また、事実私の場合も良かれ悪しかれ学会時代は楽しいことも多くありました。
学会時代はまだ若かったし、
大勢の仲間と共に活動する歓びも味わったし、
よく飲み会もやりました。
 
なので、なにかあると「学会のほうが良かった。」という気持ち
になることは理解できるつもりです。
 
しかし、ありがたいことに
法華講の信心を永くやり通してきたおかげで
「お寺は修業の場」と捉えて
生涯自分を成長させてくれる場であることが分かるようになりました。
 
 
では、小泉進次郎氏のようにやっているかというと
まだまだ甘い自分自身に気付かされます。
不用意な言葉遣いでどれだけ人を傷つけたり
がっかりさせたりしているか常に反省させられることばかりです。
 
私自身は人から何を言われても、
それに対して怒りの感情や恨みを持ったりすることは殆どありません。
これは、生来の性格ということもあるかもしれませんが、
若い頃から意識してそうなるように鍛えてきたとも言えます。
 
なので、私と違って、
ちょっとした言葉ですぐに怒りの感情や恨みを抱く人に接すると、
驚いたり悲しくなったりすることが普通でした。


ところが、つい最近になってようやく
まだまだ私自身の言葉遣いの足りなさがあることに
気づき始めたというのが正直なところです。
  

「一語間違える」と相手に誤解を与えてしまう。
「一語間違える」と相手の心を傷つけてしまう。
 
慈悲の心が籠もる言葉を発することができますように。
このように祈っていくことにします。
 
さて、
結論は、
「一語」とは、
「南無妙法蓮華経」
のことですよね。            』

(以上、全文引用、ここまで、終わり。出典:ブログ『正しい宗教・正しい信仰に目覚め、戒壇の大御本尊に御目通りしよう』から記事を引用参照しました)。


 私は、かなりの人を今までの過去も、今現在のこの時もこの瞬間も、だいぶ人を傷つける、人の心を痛めつける言葉を投げ掛けてはいなかったか、或いは、今、いないか?。
 先程の今日書いた記事をざっと読み通してみて、これはちょっと言い過ぎかな、余りに汚い品位のない、それが誠から出た言葉であれ下品な言葉使い物言い、ではなかったのか。反省しきりである。
 一応、声に出して読み上げると、母に注意を受けた。曰く、言葉が乱暴で、汚らしく、国の重責を担っている政治家、首相に対する言葉ではなく、最近のあんたの物言いは物凄く乱雑乱暴粗雑に過ぎるとの酷評を受けた。(創価学会については恨みに思うならそれ位言ってやってもいいけど、とも言われた)。それに一々反論していても、母の言う事は当たっているのは当たっているので、人の粗探しをするな、と幾ら私がムキになろうと、この私のブログの午前中前段一個前の文章はそもそも人の粗探しに他ならないから、その通りと不承不承、承った。
 人を言葉で傷つけるのは簡単である。相手の苦しむ言葉を只の一言述べれば、それで全ては終わってしまう。そうして、次からは、その傷つけた人には、誰も近づかなくなり、皆その人の元を去ってゆく。自業自得、天に向かって唾するの譬えと同じである。
 この、『正しい宗教・正しい信仰に目覚め、戒壇の大御本尊に御目通りしよう』と言うブログの後半で、日蓮正宗の寺院を、仏道修行の場、道場ではなしに、遊び戯れる処、レジャー施設レジャーランドと勘違いしている人がいると言うが、これも私の事だろうと思う。
 事実、私は、お寺に来て、携帯用のパソコンの私物をお寺に持ち込んで皆の前でいじったり(お寺にはお寺のパソコンがあり、それは業務、仕事用であり、何もパソコンを使いたいならば、家に帰ればいい)、手持無沙汰だと音楽プレーヤーの小スピーカーで鳴らせて音楽を聴いたり、わがまま気まま勝手放題、のほほんと、お気楽に過ごしていた。修行の場である本来の信心の目的のためのお寺という事を忘れていた。これはやってはいけない、有ってはならぬ事だ。もう二度とすまい。
 お寺のご住職様、奥様がいつも笑顔の和顔施で本当に心優しいのに平気で付け込み、こんな卑劣な真似をしてしまった。実際、皆迷惑していたのだ。やはり血液型B型の、人の花畑を平気で踏ん付ける(さだまさし「恋愛症候群」歌の歌詞の血液型B型の場面の一節)、他人を本人の意図していない所で自身の存ぜぬ所でその私の言葉、行動、考え、思い付き、何気ない一言が人を傷つけている。全く無思慮で、無分別、無配慮の、情けのない、私であった。
 とてもお寺が家庭的アットホームな場所、良い雰囲気で、悪党の頭、私はそれに甘んじ、心優しい人達を無意識で傷つけ、ご住職様、奥様、始め皆様、ご注意ご忠告もしたかったろうにとぞ思ふ。何せ、聞く耳を持たない、人よりも耳の酷使のし過ぎで耳も少し遠く、目の悪い近視眼の私である。ちょっと感覚的にずれている。ちょっと一本、というか三本も十本も、私自身のこころ、あたまもどうかしていて、おかしいとは自分でも判っていて自覚がかなりある。判っていたのに辞められなかったのは自分の不徳と致す処。罪だろう。反省し善処、悔い改めするしかない。
 何より、婦人部女子部の方々が各自、自発的に、身の施し、お寺のお掃除に精を出している最中に、わたしは上記のような態度であり、少しも悪びれる風はなく、知らぬ振りをして、少しもお手伝いを買って申し出る風でもない私に、ご婦人が「音楽の方が楽しいよね!?」とズバリと仰り、ホウキか掃除機を持った手をこまねいて忙しくしているご婦人の気持ちなどには少しの非も自身その時感じなかった、宿業因縁、罪業、罪深い私である。こういう所から、せっかく自分の今まで積んで来た善行・功徳が一瞬にして消えてしまう。
 
 お寺の皆様に、これだけ、こんな失敗、心配ばかりかけている私である。私は、まあ、かなりの(自分で自覚する限りに於いては)問題児、であり、皆様の足手まといに成らぬ事だけをこれからは本気で気を付けて考えて、今日の勤行で御本尊様にぶつけてお祈りしたい、しよう、これからも常に反省をして、し続けて、お祈りをし続けて行こう。

自民党が負けた事の本当の意味

2017年07月03日 07時54分22秒 | 政治政党・左右政党・国際情勢・時代論・護憲改憲憲法論・日蓮正宗から見た政治論
自民党が都議会選挙に於いて、歴史的惨敗を喫した。東京都知事・小池百合子氏勢力が過半数を占め、安倍政権に大打撃を与えることは必至だ。
 自民党は、驕り高ぶり、余りに慢心した。お灸を据える等と言う生半可な民意などではなく、民衆の、常日頃から常々感じて来た鬱屈とした反感が、それが即ち昨日の選挙結果だ。
 どんなにあら捜しをして、負けた理由を小池都知事にぶつけ投げ掛けたとしても、それは負け犬の遠吠え、真摯に謙虚に今回民意を無視した自民党の無慈悲について、心底から根底から考え直し、反省せねばならない。
 大体、あの稲田朋美とか言う議員、大臣はなんだ。この大事な時に、自民の劣勢をバカにするかのように、後ろから蹴り上げて崖から突き落とす真似をしたのはこの大馬鹿女だろう。
 大体安倍が、この女、稲田を重用し過ぎた罰だ。こんなまだ二回生か三回生のペイペイの平議員を、何の知識も経験もない只の頭でっかち東大バカ女を自分が弱小駅弁大学出身だからって、学歴コンプレックス、有名大学コンプレックス、の安倍は、人材コレクションをして喜んでいる。さも女ひでりの男の欲望で、女女女と、女に甘く、女に逆に舐められているのが今の安倍の情けない、ガッカリする姿だ。
 私は、以前から、憲法改正の立場から、このブログの前身のブログ時代から、改憲の立場だったが、敢えて言う。日本国憲法を守れ。大体、あの自民党が以前に出した、憲法改正草案は、あれは何だ。あんなんで、国民に堂々と改憲を訴えている、その神経を疑う。
 大体、あの憲法改正草案では、国民の権利が踏みにじられ、義務ばかりが国民に押し付けられている。これでは本末転倒であり、一歩どころか、千歩も万歩も現日本国憲法よりも後退し、改悪され、一切国民の福祉を切り捨て、自分ら金持ちばかりの支配する、暗黒社会の成立に寄与するだけだ。
 又、天皇主権の時代に逆戻りするつもりか。あの暗黒時代にタイムスリップし、又同じ道を繰り返すと言うのか。あの、第二次世界大戦、太平洋戦争の反省はどこへ行ったのか?又もや、子供たちや我々大人たちは戦場に赴き、命を散らし、無駄死にを強いられるのか。一体、あの戦争は、何だったのか。何の反省もないのならば、あの戦争に、私達が一切学ぶ事を拒絶し、なあなあで、あのほくそ笑んで国会で何かを隠し、含み笑いを浮かべているだけの無慈悲な安倍首相の薄気味悪い顔。その取り巻きの、菅だの稲田・だのの、気取った議事で人を食ったような馬鹿にした態度で国会に臨むおぞましさ。こいつらは、民主党、現民進党にコテンパンにのされて大敗北した時の教訓を忘れ、頭が馬鹿の呆けた感情の鈍麻したでくの坊に成り下がっており、国民不在の、インチキ政治のお先棒を担いでいる。
 森友学園問題・加計学園問題等、安倍首相の周囲は常にスキャンダル、汚職事件、醜聞がプンプンで、もう死に体だ。この政権、安倍も政権何年目になる?歴代内閣、小泉政権を越えた長期政権と聞くが、こうなると、延々、延命を図ろうと、記録を更新するのが至上命題の、ライフワークにでも安倍のバカ御曹司は考えているんだろ。
 子どものつばぜり合い、時間稼ぎ、記録更新、そんな安倍個人の思惑の為に、日本の国が、日本国民が、引いては国民・外敵から守るお役目の大・自民党が、将来ある我らの自民党が、安倍一派の自惚れ自尊心只プライドを守るためだけに滅亡し、自滅し、大敗北を喫してもいいのか、良い筈がないではないか。
 安倍は危険だ。自民党の事を考えているようで、実際は自身の保身ばかりじゃないのか。まだ、病気で辞めた第一次安倍内閣の時の方が、自身、病気の為にもっと謙虚になれた。今は新薬如きに頼り、慢心の極みに陥っている。ゴルフに血道をあげ、ゴルフ三昧の毎日。何なら、国会議員を辞めて、今からプロゴルファーになるべく学校に通うなりなんなりなさり、ご精進なさったら如何か。これが、今日の日本の宰相の姿だとは、泣きたくもなり、情けない限りである。
 国民主権・主権在民を高らかに謳う現日本国憲法の方が、明らかに進歩的で、非戦・平和・人権尊重・国民の権利擁護・象徴天皇制の下、本当に素晴らしいから、今日のここまで日本を発展させ、国体も、天皇陛下も守られ、護持できたし、国民と御皇室が手を取り合って、協調してやって来られた。もしかしたら、戦後、GHQの考えに天皇制廃止の意見が強まっていたならば、今日のような、日本国に、現、今上天皇陛下様を含めて、一二五代も続いた、皇統連綿と続く御皇室の今日の御姿は、御繁栄は、無かったのかも知れない。
 余り現憲法を見くびらない方が良い。この憲法は、美しい日本語としてどうだとか、粗探しをし、そんなチャチャを入れる手合いが必ず居るが、寧ろ翻訳調だなんだと申しても、私は、この憲法が、戦後日本の礎を、土台を築くに十分な、民の声を汲み取り重視した、正に民衆勝利の凱歌、正に憲法に宿る「言霊」のような霊妙な存在を感じざるを得ない。この憲法の底力、威力、威勢、他国へ与える影響力・憲法の存在理由・戦争をいけない事として自己批判、反省の上に立った正しい真実とも言うべき立派な理念が、戦後日本の高度経済成長を支え、日本を世界でも名だたる有為な国家に為さしめた根本原因としての素晴らしさが、国際社会に於いて大いに広まり、これからいや増しに増して行くことは、日蓮大聖人ではないが、「大地を的とするなるべし」であり、時間の問題であろう。世界が、日本国憲法を待ち望んでいる。誰かが、この憲法の理念を世界に推し広げて行かなければいけない。それは、正に私であり、貴方、である。
 それを、何だあの自民の草案は。国民を無視し愚弄し馬鹿にするのもいい加減にしろ!あんなものは、子供の寝小便のように、自分の布団にでも描いて自己満足していれば良いんだ。それを草案だ何だ、とあんな低俗で下らぬ代物を大騒ぎして発表して大見え切って見せびらかす馬鹿があるか。実に下らない。情けない。国民政党の自民も、ここまで成り下がったのか。
 だから、都民が選んだ、都民ファーストの会の大勝利は、正に都民は常日頃から、政治を監視し、良く見ていた。自民が負けたのには理由がある。否、幾つ理由を数え上げた所で、なんにもならず、寧ろ、理由などなく、只何となく、自民がいけ好かない、これだけで良かった。大義名分は自民が嫌いで馬鹿にされたようだったから、これで良い。
 公明党が邪魔な存在だが、あのバカ政党は、時の有利な政党にいっつもくっ付く、二股膏薬の、コウモリ政党だから、「コウモリ党」とでも名前を替えて出直す他はない。本当に邪魔でしかない。池田の臭いどす黒い息の掛かった、池田の意を酌むのだけが存在理由の、池田の私党。何なら「池田党」「池田学会」と、何でも自分の自己顕示欲の虜なんだから、名は体を表す、で本当は名乗りたいのはやまやまだが、そこはそうは問屋が卸さず、詐欺師集団は名前から念入りに周到に考え、それらしい、気の利いた風な実際はおかしな嫌らしい汚らわしい詐欺に見合った名前を考え出す。
 今から考えれば、初代牧口の考えた「創価」なる言葉も、如何にも新興宗教めいた、おかしな、風変わりで、おこがましく、えげつない、何と情けない名前である事か。本当に情けないとしか言い得ず、三代会長池田の格好のすき好む寄る辺になってしまい、詐欺師集団・悪徳新興宗教暴利財務巻き上げネズミ講集団の代表格の名前には本当にお似合い、ピッタリだ。
 「名は体を表す」であり、自分がいわくつきの「創価学会」「創価学会員」と名乗れば名乗る程、自分からハッキリと「私達は堕地獄必定の、詐欺師集団そのものです」「宗教版、ネズミ講です」と情けなくも、自己証明・自己弁護・自己紹介してお先棒担いで歩いているようなものだもんね。
 昔っから、創価学会なんての言うのは「香典泥棒」を平気で働く悪党だと日本国民、世間一般の認識常識であり、一番信用のおけない、嘘ばかりつく酷い人達で通っていた。法華講にまでそのいわれなき被害が及んだ。それがいつの間にか自分ら学会だけでは、世界平和の団体、ヒューマニズム、人間主義の団体、等と称している。
 結局、つまりは、オッサン・植物人間・池田の意を酌んだ、何でも池田センセーの、池田先生に身も心も捧げて、「自分が今、池田センセーであったならばセンセーがどう考え感じ、行動なさるか、それを深く考察し洞察し、自身に照らし合わせて、いついかなる時も、常に心の中心に池田センセーを置いて念じていつも大師匠、池田センセーの事だけを考えていきなさい。題目を唱える時も、常に池田センセに呼吸を預けて合わせて、池田センセに境智冥合して、行いなさい(幹部談)」。これはまさしく狂い切った末期症状の「池田教」だろハッキリ言って。気持ちの悪い新興宗教、創価。
 誰が、公明党の奴らが、本当に「公明正大」な人達が集まって起こした政党だなんて思っているだろうか?只の池田親衛隊・池田私党の存在が、日本を駄目にする。謗法団体・違憲集団・創価学会を支持母体とする公明党が政権にいる限り、ろくな政策は産まれず、自民の足手まといになるだけだ。まだ、折角、維新の会と言う政党が出来上がったのだから、中道なんてのは嘘で、時の権力におもねるだけの、思想的には左翼の手先、公明とは早く手を切って縁を切って、真の仲間、右翼同志、理念の合致する、維新と手を結び、組めば良い。
 自民党も焼きが回って、にっちもさっちも行かず、どうしようもない時に、公明党は都政では自民を裏切り、にべもなく去って行った。今度は国政で自民が公明を裏切り、欺き、訣別する時、番ではないのか。票欲しさに目がくらんで、自民の腰抜け議員共にどこまでそんな気概があるのか。甚だ疑問だがな。
 公明党と組むような、何でもありの、要するにヌエのような存在が今の自民党だから、何でもありで票が欲しくて組んだ妥協の産物がいまの自公政権であり、打算と金と権力と欺瞞に満ちたのが自民党だから、今回のようにボロ負けする。国民に見透かされる。国民は賢いから騙せない。公明が又、自民のマイナスイメージに重なり、加担し、追い打ちを掛けて、公明のようなのでも何でも、数さえありゃいい、数を頼みとして数が欲しい。そこには立党の精神も理念もへったくれもなく、何でも誰とでも組む政党・自民の負のイメージ・負の遺産は、一朝一夕では崩し得ず、改まらない。
 公明党と若しも今の自民党が別れる大英断を下せば、少なくとも良心的な国民ならば必ず自民党に死身弘法してついていくだろう。今の自民党の体たらくじゃ、何ともお粗末で、有難くもない公明票に感覚が麻痺して自助努力を失い、自民党の死、解党へのカウントダウン、を只死するのを座して待っているようで胸糞悪い。自民党勢力政権から、公明の悪勢力の除去が急がれるが、池田と裏で会談までした今の創価ヨイショ安倍では、人物的に見劣りし、駄目であろう。次期自民党政権に早くも期待をする。
 兎に角、今のままでは、数字が全ての、ギネス記録の更新に夢中でいるような、愚かな愚の骨頂の宰相首相のアベなどを奉るイナダ、スガほか、学歴だけが取り柄だけの大学・学校名コンプレックスの、お友達内閣の愚か者たちの烏合の衆、バカが揃いもそろった大馬鹿集団が今の安倍内閣。こんな卑劣で愚かな内閣などは、一日も早く瓦解し、倒閣、総辞職し、退陣なさるが良かろう。

かのようで、○○

2017年07月03日 07時01分18秒 | 日蓮正宗無量山寿海寺・菩提寺・末寺・お寺・僧俗一同・僧俗一致
かのようで、

一、高いようで、低いのが教養
 
二、低いようで、高いのが気位

三、深いようで、浅いのが知識

四、浅いようで、深いのが欲望

五、厚いようで、薄いのが人情

六、薄いようで、厚いのが面皮

七、強いようで、弱いのが根性

八、弱いようで、強いのが自我

九、多いようで、少いのが分別

十、少いようで、多いのが無駄

十一、有るようで、無いのが信心

十二、無いようで、有るのが我見

十三、興味があって皆が好きなのが噂話

十四、聞いて面白いのが他人の失敗

十五、言われて面白くないのが自分の陰口

十六、無いようで、有るのが嫉妬心

十七、有るようで、無いのが協調心

十八、人前に出ると出てくるのが自尊心

十九、人に見られないと無くしてしまうのが生真面目さ

二十、意見が違うのは立場の違い

二十一、隙がなさそうで有るのが心
    
    固いようですぐ変わるのが意志

二十二、いつも気にしているのは他人の目

二十三、いつも忘れているのは仏様の目

二十四、いつも失敗するのは我見・独断・偏見

二十五、最終的に成功するのは仏法に叶うこと



人に言えば、愚痴になる。

仏様に言えば、智慧になる。

自分自身に気が付く。

自分の能力に気が付く。

十界互具、

地獄か畜生か餓鬼、修羅では駄目。

人を救えない。

仏様の使いなんだから、

凡夫に何を言われても良い。甘んじて受ける。

猊下様のご指南に一歩でも二歩でも近づき、

従う。

(二〇一七年平成二十九年七月一日、土曜日、午後十三時、於寿海寺、「法話会」ご住職様御説法)

以下は、郡山市土瓜にある、日蓮正宗無量山寿海寺のお寺の風景(看板石、桜、遠景)