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「善徳女王」に関連する歴史学者インタビュー

2009-11-16 20:30:23 | 엄태웅
ミシルを中心とした歴史学者の見解がよくわかる記事です。
例によって長いけど・・・。

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“ミシルは新羅に入る鍵”
歴史なのかドラマなのか,イ・ジョンウク西江大総長が話す‘ミシル’

ドラマ「善徳女王」が話題だ。主人公善徳女王(イ・ヨウォン)より、更に大きい関心を引いた配役は政敵ミシルだ。俳優コ・ヒョンジョンが演技したミシルは優れた判断力とカリスマを整えた権力の化身だった。また美色で男たちを思うままにした希代の妖婦であった。去る10日放映分でミシルは国のために権力をあきらめて自決を選ぶ義に徹した人物として描かれた。

それでは、ミシルは誰か。ドラマが作り出した仮想の人物なのか、でなければ実際に存在した人物なのか。 ドラマの中の事件はどこまでが真実なのか。

『花廊世記』でミシルを初めて発見して
イ・ジョンウク(63・写真・歴史学)西江大総長は「ミシルは実際人物だがドラマの内容は事実でない」と話した。 12日本紙とインタビューをしたイ総長は忘れられたミシルを初めて生き返らせた主人公だ。 彼は過去35年間、韓国古代史、特に新羅史研究にまい進してきた。 1999年には花郎の親分の風月主32人の血統を明らかにした『花郎世記』を訳注して(翻訳・注釈・解釈)した。 この花郎世記を土台に真興王・真智王・真平王に順に仕えて絶対的な権力を享受したミシルを捜し出した。 ミシルは『三国史記』や『三国遺事』など他の歴史書物には登場しない。 だが89年初めて筆写本が発見された『花郎世記』に最も多く登場する女性はまさにミシルだった。
イ総長は花郎世記に記録されたミシルの行績を追跡・整理して2005年『色供之臣ミシル』という本を書いた。

-ドラマの何%程度が事実なのか。
「ミシル・ムンノ・セジョン・ソルウォンラン・ハジョン・ポジョンなどは実存した人物だ。 ドラマに出てくる人物の名前や名称中には同一なのが多い。 だが内容は歴史と違う。」

-どんな点が違っているか。
「ミシルと善徳女王が権力を置いて対立したという設定から不可能だ。 ミシルは545年から549年間に生まれたと推定される。 善徳女王が即位当時の632年ミシルの年齢は80代であった。 そしてミシルはクーデターを起こす人物ではない。」

イ総長はミシルが権力を振り回すことができたのはミシルの叔母であり真興王の王侯であったサド(思道)の後援のためだと説明した。 当時にはただ二つ一族の出身だけが王の妻や後宮になることができた。 ‘大元神統’と‘真骨正統’と呼ばれるこの二一族は王の選択を受けるために激しく競争した。
ミシルとサド王后は大元神統出身で一族の勢いを強化するために力を合わせた。
サド王后は夫の真興王に姪のミシルを後宮に推薦した。 またミシルを自身の息子真智王の王后にするために色貢(地位が低い人が偉い人に性を捧げること)を指示した。
孫真平王にまで色貢を納めるようにした。 イ総長は「色貢は単純にエロチシズムの問題でなく高度な政治的行為であった」と話した。 その代価で自身と一族が富貴を得るためだ。 ミシルが王になろうとしたとのことはドラマ的想像力の産物だと一蹴した。

-ドラマ的想像力と歴史的想像力はどのように違っているか。
「 E .H.カーは『歴史とは何か』で歴史小説は歴史と何の関連もない著作物として創作のために過去事実を利用すると説明したことがある。 歴史的事実を利用して現在の話をするのだ。」

-「歴史というのは勝者の記録」という。 勝者でない立場で見た歴史を構成しようとするなら想像力が必要なのではないのか。
「もちろんそうだ。 だが歴史的想像力は歴史的脈絡を基盤とする。 脈絡を無視したまま新しい事件を創造するのではない。 私たちは本当に歴史を通じて人の歴史の本質を暴くことができる。」

-ドラマを通じて新羅に対する関心が高まった。
「関心が高まったのは嬉しいことだ。 ドラマが本当に新羅人の姿を見せようとしたとすれば通訳が必要だっただろう。 新羅人が重要だと考えたことと、今私たちが重要だと考えるのは違う。 現在の話をしてこそ視聴者たちが関心を持たないか。 だがドラマを本当に歴史と考えるようにさせてはいけない。 ドラマ開始の時字幕で‘ドラマの内容は歴史的事実ではありません’と知らせる程度の努力がなければならないと考える。」

近親婚は古代支配層の共通現象
-なぜミシルに注目することになったか。
「ミシル自体が新羅に入る鍵だ。 彼女の一生を通じて新羅王室の作動システムも、その王朝を支えた社会構造が見えるためだ。 新羅王室は王・太子・王侯・後宮をはじめとする支配勢力が近親婚を通じて血縁的に緊密に連結していた。」

-なぜミシルは『三国史記』には登場しないのか。
「『三国史記』を書いた人は高麗の儒学者キム・ブシクだった。 夫についても三人の王を仕えたとか、後宮が王を廃位させたという歴史を記録しないのが当然だ。 『三国史記』はあったことをそのまま記録しようと思った本でなく後世を教育させようとする一種の国史教科書であった。」

彼がミシルの話を捜し出した『花郎世記』とは新羅人キム・テムンが書いたという本で、『三国史記』などにも本の存在自体は言及されている。 この本は89年(32編分量)と95年(184編分量)筆写本が発見された。 一部歴史学界ではこの筆写本がにせ物で小説に過ぎないと見ている。 だがイ総長は「『花郎世記』でこそ新羅王朝の内情を覗いて見ることができる本で決して虚構ではない」と主張する。

-なぜ『花郎世記』が虚構ではないのか。
「『花郎世記』は新羅貴族一族のキム・テムンが当時貴族らの血統を明らかにするために書いた本だ。 新羅の支配階層はその数が多くなかったし近親婚を通じて支配階層の数を制限するということによって権力集中を維持した。 ‘神国’新羅を治める‘生きている神’である王とどれくらい近い関係かにより身分を決めた。
4~5代先祖から明らかにするのだが、王侯の子孫なのか、後宮の子孫なのか、浮気をして産んだ子供かまでを全部明らかにした。 『花郎世記』は後代のためにでなく自分たちの必要によって使われた本だ。 したがって事実に忠実な可能性が大きい。」

-いとこどうし結婚して、1人の女性が何人かの男を率いるということは理解し難い。
「1500年前の新羅を今の倫理的・社会的定規で理解するのは正しくない。 性的に今よりはるかに開放されていたし、支配勢力の親戚間結婚は自然なことだった。 これは世界の色々な地域の古代王国でも共通に発見される現象だ。」

‘民族’という枠組みを捨ててこそ新羅が見える
-新羅の歴史は私たちにとって何か。
「新羅の三国統一は現在の韓国と韓国人を作った歴史の中間地点だ。 解放以後学問権力を掌握した主流歴史学者らは民族という概念を発明して新羅を民族の反逆に追い立てた。 唐を引き込んで高句麗と百済を滅亡させたという理由からだ。 だが当時には民族という概念がなかった。 三個の王国が激しい領土戦いを行っていただけだ。 その戦いで新羅が勝利したのだ。 そして征服者新羅の社会制度が高麗・朝鮮につながって現在の韓国社会の原形になった。 パク氏・キム氏など現在の韓国の大きい姓氏が皆新羅人を先祖ですることだけ見ても知ることが出来るではないか。」

-中国と敵対した誇らしい先祖に高句麗人を挙げる。
「両親が誇らしくないといって両親ではないのではない。 私たちは歴史をありのまま見なければならない。 歴史には数多くの別れ目がある。 高句麗が万一三国を統一したとすれば今の韓国は存在できなかったかも知れない。 軍事的に強大だった高句麗を中国は傍観しなかっただろう。 そうしたとすれば私たちはみな中国語を使って中国服を着ているかも知れない。」

-民族という概念を発明したという話がなじみがうすい。
「民族という1900年代初めの丹斎・シン・チェホ先生を始めとした当時知識人らが日帝侵略に抵抗するために初めて作り出した概念だ。 解放後国史教育を担当した官営歴史学者たちはこの民族という概念で新羅を裁った。 そうするうちに外国の勢力を引き込んだ新羅は恥の対象になった。 一歩進んで米国に頼る韓国政府が恥ずかしくなり、民族の自主性を強調する北朝鮮が正統性を主張する結果まで産むことになるのだ。 私たちは民族という概念から抜け出してありのままの我が国大韓民国を眺める必要がある。」

パク・ヘミン記者

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