先ほど投稿にも書いた読書のことです。
深田久弥の本を読んでいることは紹介しましたが、それだけではありません。
他にも何冊も手元において読んでいます。
何でそんなに読めるのか、と思われる人がおられるかも分かりませんが、その答えは簡単なことです。
それらの本の中で、その日気に入ったところを適当に読んでいるからです。本当に気ままな読書です。
百名山紀行の「秋の穂高・槍」を読んだかと思えば、すぐその後に「石鎚山」に飛んでいく、というような具合です。
とにかく気ままな読みかたをしているのですが、いま読んでいるのは深田久弥の本だけではありません。
このような、山岳遭難を扱った本も読んでいます。
これらの本のすべては最近買ったものではなくて、前に買った本を読み返しているのですが、、、、
それはそれで面白いのです。
最初に読んだ時には気づかなかったことが、2回目3回目に気づかされて、何かの知見を得るというような経験をすることがあるのです。
また、それらの本を横断的に読んで気づくこともあります。
例えばこの本の著者。
別の本で取り上げられている、白馬岳の遭難事故の当事者ではないの???
そのようなことに気づかされると、その本の読みかたも変わってきます。
一つの本を1回だけ読む読書では見えないものが、気ままな読書を積み重ねていると見えてくるような気がするのです。
そのような読みかたをするのは自分なりの理由があります。
プロガイドの角谷道弘氏がこの本の最初に書かれている認識はタカ長の認識とまったく同じです。
大自然の中には、数多くの危険がひそんでいます。「絶対安全な登山」はありえません。どんなベテラン、山のプロでも事故に遭うリスクはあるのです。逆に、自然はビギナーにもベテランと同じように接します。ビギナーだから手加減してくれるものではありません。
角谷ガイドは関西の人です。関西の人の裏山とも言える六甲山について、、、、
たとえ六甲山といっても「絶対安全な登山」はありえません。
と明言しています。
タカ長も仲間たちの前で、裏山でも死亡事故は起こり得る、と明言したこともあります。
わが裏山で事故が起こるのは10,000回で1回かも分かりません。しかし、その1回は9,999回の次にやって来るわけではありません。
30回目の登山の次に、10,000回で1回のことが起こるかも分からないのです。だから、注意は怠れないのです。
その感覚を忘れないためにも、遭難ものともいえる、この種の本も読んでいるのです。
深田久弥の本を読んでいることは紹介しましたが、それだけではありません。
他にも何冊も手元において読んでいます。
何でそんなに読めるのか、と思われる人がおられるかも分かりませんが、その答えは簡単なことです。
それらの本の中で、その日気に入ったところを適当に読んでいるからです。本当に気ままな読書です。
百名山紀行の「秋の穂高・槍」を読んだかと思えば、すぐその後に「石鎚山」に飛んでいく、というような具合です。
とにかく気ままな読みかたをしているのですが、いま読んでいるのは深田久弥の本だけではありません。
このような、山岳遭難を扱った本も読んでいます。
これらの本のすべては最近買ったものではなくて、前に買った本を読み返しているのですが、、、、
それはそれで面白いのです。
最初に読んだ時には気づかなかったことが、2回目3回目に気づかされて、何かの知見を得るというような経験をすることがあるのです。
また、それらの本を横断的に読んで気づくこともあります。
例えばこの本の著者。
別の本で取り上げられている、白馬岳の遭難事故の当事者ではないの???
そのようなことに気づかされると、その本の読みかたも変わってきます。
一つの本を1回だけ読む読書では見えないものが、気ままな読書を積み重ねていると見えてくるような気がするのです。
そのような読みかたをするのは自分なりの理由があります。
プロガイドの角谷道弘氏がこの本の最初に書かれている認識はタカ長の認識とまったく同じです。
大自然の中には、数多くの危険がひそんでいます。「絶対安全な登山」はありえません。どんなベテラン、山のプロでも事故に遭うリスクはあるのです。逆に、自然はビギナーにもベテランと同じように接します。ビギナーだから手加減してくれるものではありません。
角谷ガイドは関西の人です。関西の人の裏山とも言える六甲山について、、、、
たとえ六甲山といっても「絶対安全な登山」はありえません。
と明言しています。
タカ長も仲間たちの前で、裏山でも死亡事故は起こり得る、と明言したこともあります。
わが裏山で事故が起こるのは10,000回で1回かも分かりません。しかし、その1回は9,999回の次にやって来るわけではありません。
30回目の登山の次に、10,000回で1回のことが起こるかも分からないのです。だから、注意は怠れないのです。
その感覚を忘れないためにも、遭難ものともいえる、この種の本も読んでいるのです。
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