仲間たちとの裏山歩き、今日も参加者は11名でした。
今日も冷えこんだので、皆さん厚着してスタート。汗かきのタカ長ですが、オオルリ沢からの登りを終わっても汗は出ない状態でした。
そのオオルリ沢からの登りで前を行く3軍に遅れ始めて、それからラストを「一人旅」でした。
それも想定内のことですから、問題にすることは何もありません。
亡くなった古い山とも宅には昨日行き、奥様と息子さんを加えて、山ともの悪口を楽しんできました。
山ともの悪口を言いながらあらためて思うのですが、その頃の山ともが本当に少なくなりました。消息が分かっていて、今でも健在と思われるのは一人か二人の状態です。
この場合の「山とも」は同じ山岳会に所属していた山ともだけではありません。当時は他団体の人と山を歩いていましたから、そのような山ともも含めての消息です。
亡くなった山ともとともに悪口を言って盛り上がっていた、高名な登山家は鬼籍に入りました。山と渓谷社の分県登山ガイドの執筆を担当した山ともは腰を痛めていると聞きました。
その程度の情報でも、その様子が分かっている人が本当に少なくなったのです。
前を行くのは女房殿ですが、考えてみれば、彼女もまたその頃の「山とも」なのです。その山ともと穂高岳の稜線を歩くなど、登山らしい登山をしたこともありますが、いまはご覧の通りの4軍歩きです。
4軍歩きであってもとにかく今も山を歩いています。そのような山ともはいなくなりました。寂しい話ですが、古い山ともと60年以上山を歩いているタカ長たちは例外的なことかも分かりませんね。
考えてみれば幸せなことです。
そのようなことを考えながら天空カフェに到着。
先着していた仲間と、荒谷林道まで行った人を待たないで一足早くコーヒータイムを楽しみました。
全員集合のあとはいつも通りのコーヒータイムを楽しんでから、いつもの駐車場までの4軍歩き。
駐車場に帰ったらタカ長の車だけでした。
今日の記録です。
完全なる4軍歩きですが、それでもYAMAPの記録では「標準ペース」と言うことになっています。前半は完全に「100パーセント」のペースになっていますね。
あれでよいのならまだまだ歩けそうです。
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