日曜日の夕方は、10名ほどでYouth For Jesusの集会。
いっしょに賛美を歌い、聖書を読むひととき。
聖書はヨハネの福音書11章1-6節を読んだ。
「主のみこころとは?」
友人ラザロが病気との知らせを受けた。
「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。」(4節)と語るイエス様。
そして、聖書はイエス様の心をこのように説明している。
「イエスはマルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。」
ラザロとその姉妹たちは、イエス様にとって大切な友人たちであった。
その後、イエス様が取った行動は・・・?
「そのようなわけで、イエスは、ラザロが病んでいることを聞かれたときも、そのおられた所になお二日とどまられた。」
大切な人が病気なのに、すぐに行かない?
むしろ、彼の病が死に至ることをほのめかしている。
イエス様はここまですでに多くの病人のために祈り癒すという奇蹟を行っていた。
おそらくラザロの姉妹たちもイエス様に祈ってもらうために知らせたはず。
けれど、イエス様は動かない。
主のお考えは、時として人の思いと異なる。
クリスチャンの間では「みこころ」という言葉で表現される。
私たちはあることを願う。
確かに聖書は「祈り」「願い」を奨励している。
しかし、多くの場合、私たちは自分の思い描いたことを、自分の思い描いたタイミングで、自分の思い描いたプロセスを経て、祈りが聞かれることを願う。
私たちは思い通りにならないことで戸惑い、いらだつことがある。
でも、私たちの思い描くことと「みこころ」がいつも一致するとは限らない。
はっきり言えることは、主のみこころは、私たちの思いよりはるかに深く、善意と配慮に満ちたものであるということ。
集会後はゆっくり交わり。
手伝ってもらいながら夕食はいつもより少し早めに準備。
メニューはチキンカツ。
夕食を食べる人数が少なめだったこともあり、しかもおいしかったので食べ過ぎたかな~
夕食後は、マックへ行ってサンデー(100円)を買って食べた。
そして早めの解散。
いっしょに賛美を歌い、聖書を読むひととき。
聖書はヨハネの福音書11章1-6節を読んだ。
「主のみこころとは?」
友人ラザロが病気との知らせを受けた。
「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです。」(4節)と語るイエス様。
そして、聖書はイエス様の心をこのように説明している。
「イエスはマルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。」
ラザロとその姉妹たちは、イエス様にとって大切な友人たちであった。
その後、イエス様が取った行動は・・・?
「そのようなわけで、イエスは、ラザロが病んでいることを聞かれたときも、そのおられた所になお二日とどまられた。」
大切な人が病気なのに、すぐに行かない?
むしろ、彼の病が死に至ることをほのめかしている。
イエス様はここまですでに多くの病人のために祈り癒すという奇蹟を行っていた。
おそらくラザロの姉妹たちもイエス様に祈ってもらうために知らせたはず。
けれど、イエス様は動かない。
主のお考えは、時として人の思いと異なる。
クリスチャンの間では「みこころ」という言葉で表現される。
私たちはあることを願う。
確かに聖書は「祈り」「願い」を奨励している。
しかし、多くの場合、私たちは自分の思い描いたことを、自分の思い描いたタイミングで、自分の思い描いたプロセスを経て、祈りが聞かれることを願う。
私たちは思い通りにならないことで戸惑い、いらだつことがある。
でも、私たちの思い描くことと「みこころ」がいつも一致するとは限らない。
はっきり言えることは、主のみこころは、私たちの思いよりはるかに深く、善意と配慮に満ちたものであるということ。
集会後はゆっくり交わり。
手伝ってもらいながら夕食はいつもより少し早めに準備。
メニューはチキンカツ。
夕食を食べる人数が少なめだったこともあり、しかもおいしかったので食べ過ぎたかな~
夕食後は、マックへ行ってサンデー(100円)を買って食べた。
そして早めの解散。