マイペースで行こう

キリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、19年目に入りました。

今日から来客

2006-12-09 02:18:57 | お客さん
今日から我が家に来客。
昨日は、家の掃除だった。
妻の片付けモードのスイッチが入り、プチ大掃除に発展した。
半日は掃除と片付けを付き合い、それから本屋へ出かけたのだった。

さて、今日来たのは、Oさんファミリーの奥さんと息子のR君、6月に一度我が家に泊まっている。
明日(厳密に言えば今日)、ご主人も我が家に宿泊する予定。
そして、日曜日には東村山の教会の礼拝に出席してくださるそうだ。
ちなみにOさんの奥さんと私の妻が、アメリカのバイブルカレッジで同期だった。

R君も二度目に会うので覚えているのか、すぐに慣れてくれた。
教会の食堂で二人で遊んでいた。
これと言って何もないのだが、長机の下を行ったり来たりして、追いかけっこ。

ちょうど、今日Oさん親子が来る直前に、N君から誕生日のプレゼントとしてもらったカバのマッサージ機?がR君にとって格好のおもちゃになった。


背中の辺りを押すとブーンとバイブを始める。
かなりの振動がする。
しかも防水になっているらしく、お風呂で使えるらしい。
でも未確認情報。
「感電したらごめんなさい。」とのこと。
あと一緒に写したカエルのゴムの人形も味がある。
N君のセンスが光る。
ありがとう!

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レポートのため本を購入

2006-12-09 02:01:45 | 最近の読書
来週の水曜日に教会史のレポートを提出することになっている。
昨日の午後、御茶ノ水のCLCで参考にする本を買ってきた。
めぼしいものがあったので良かった。
正直、書店で本を決めるまで、誰について書こうかも迷っていた。

 

今回はマルチン・ルターを選んで書くことにした。
店頭でサッと目を通した感じ、分かりやすくまとめてあるように思われた。
内容も難し過ぎず、簡略すぎずといったところ。
牧師室に戻り、講義の案内を見たら、2冊ともU先生の選んだ参考図書の中に紹介されていた。
初めに確認してなかったけれど、本の選択は良かったようだ。
早速、昨日の夜から読み始め、今日の午後少しまとめ始めた。
なんとか週明け頃にはまとめたい。

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復活の希望

2006-12-04 11:16:27 | 聖書通読
「もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通してきたからです。すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。しかし、おのおのにその順番があります。まず初穂であるキリスト、次にキリストの再臨のときキリストに属している者です。」(コリントⅠ 15:19-23)



聖書は、復活の希望を大胆に語っている。


単に「こうだったらいいのに!」という意味での希望ではなく、やがて確実に起こる出来事として復活を説いている。
聖書は、その復活の根拠を、キリストが復活されたという事実に置いている。
もし、キリストが十字架の死の後、三日目に復活していなかったとしたら、当然聖書の教える死者の復活は空論になってしまう。


初代の教会のメッセージにおいて、大切なポイントとなっていた「キリストの復活」「イエスが今も生きている」ということは、現代の私たちにも決して無関係ではない。
それどころか、「自分のこの世での生と死を見つめる」うえで決して無視することのできない事柄である。
私たちは「永遠に眠る」のではなく、やがてキリストの再臨のときに新しい体で「復活する」のである。
私たちにとって、死は終わりではなく、通過点に過ぎない。
聖書はその先があると示している。


キリストを信じる者には復活の希望がある。
「イエスが死者の中からよみがえられた」と信じる者に、主は永遠のいのちを与えると約束している。


「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。」(ローマ10:9)


いのちは、信じた瞬間にその人の内に与えられる。
そのいのちが、私たちと神様との親しい関係を生み出す。
そのいのちが、私たちの人格や品性にも新たな影響を与え始める。
そのいのちが、私たちの心(時には身体をも)をいやす。


「キリストによってすべての人が生かされるからです。」(22節)


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慌しくUターン

2006-12-03 23:30:53 | お客さん
今日は、Youth For Jesusが終わった後、しばらくS君と二人で話した。
S君は時々YFJに来てくれる。
楽しみにしてくれているようだ。

いつもは夜までゆっくりみんなと過ごすのだが、今日は来客のため、東村山へ戻る。
7時に東村山駅でTさんと待ち合わせだった。
所沢教会でゲストとして招かれていたので、帰り際に東村山に寄って下さるとのことだった。
事前にメールで連絡を取っておいた。

Tさんには豊橋にいる頃、随分お世話になった。
私が教会に通い始めた当初からのことだから15年以上にもなるんだなぁ。
そう考えると月日の経つのは早いものだと今さらながら思う。

Tさんを駅で迎え、先に夕食へ。
何だかここ一週間は外食が続く。
今日は、教会の近くの小さなカレー屋 MARU に行った。
前から一度入ってみようと思ってたところ。
店の前を通ると、おいしそうなカレーの香りが漂ってくる。


今日はチキンカレーを注文。
¥800
サラダと漬物付
おいしかった。

店の雰囲気も落ち着いた感じで良かった。
ご主人や奥さんの人柄から出てるのかな。
ちなみに、カレーの他にはパスタもメニューにあったが、品数は多いとは言えない。
でも、また行ってみようと思えるような感じ。
他の種類のカレーも食べてみたいな。

Tさんとは短い時間だったが、話すことができて良かった。
食事が済んだら、教会へご案内。
会堂や食堂、裏のプレハブ、牧師室など見てもらった。
教会でもしばらく話す時間があった。
東村山に来てからの感謝や教えられたこと、今日一日の中での感謝なども・・・思い返してみると私ばかり話していたような・・・。

8時半にはTさんを駅まで見送り。
よく考えてみたら、もう一ヶ月ほどしたら帰省するかもしれないんだっけ。
一ヶ月なんて、あっという間に来るんじゃないかな。

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礼拝者のこころ

2006-12-03 22:32:29 | 教会の風景
< 本日の礼拝説教 >
 創世記12:5-9

「そのころ、主がアブラムに現れ、そして『あなたの子孫に、わたしはこの地を与える。』と仰せられた。アブラムは自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。」(創世記12:7)


■「主がアブラムに現れ」
聖書の中で「主が現れ」という表現が使われた最初の箇所。
主の贖いの計画の最初を担う人物に「主が現れ」という言い方が使われていることに注目。
その後の聖書の記録の中で、イサクやヤコブ、モーセやソロモンにも「主が現れ」たとされる。


主は選んだ人にご自分を現される。
救いを受ける人の側近くにいることをアピールしている。
主は選んだ人を決して忘れていない。
「救い」を受けるとは、主の臨在の中に入れられること。


聖書を見ていくと、主がご自分の存在を現す時、その方法は非常にバラエティに富んでいる。
この聖書箇所では詳しいことは分からないが、ある時は、夢や幻で、またある時は雲や火の柱で、まぶしい光の中で、またある時はかすかな声で。
形式は違っても、選びの民に主はご自身を何度も現された。



■「『あなたの子孫にこの地を与える』と仰せられた」
この言葉の背後にも神様の心の内を垣間見ることができる。
かつて、アブラムはウルでの最初の召命に従うことに失敗していた。
しかし、ハランで再度のチャレンジを受け、カナンへ向けて一歩を踏みだした。
そして、その約束の地となるカナンに到着。
神様としては「良かった!よくやった!アブラム」という歓喜を込めて語りかけたのではないだろうか?


私たちが主のみこころに従うことを、主は喜んでくださる。
信じて従う者を主は喜んでくださる。
私たちの関心や注意を、主のみこころに向けたい。
主のみこころを知ったら、そのみこころに生きることに全力を注ぎたい。
主が今何を私に求めておられるのか、それが行動の判断基準。



■「アブラムは自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。」
自分に現れてくださった主に対しての感動がアブラムを動かした。
アブラムに祭壇を築かせるという行為を促したのは、主が自分に現れてくださったという驚きと喜びだった。


主の臨在の中で、御言葉からの語りかけを聞くことに感動があるだろうか?
主との交わりの中に喜びや驚きがあるだろうか?
御言葉に向かう中で、こころからの賛美や礼拝へと導かれているだろうか?
主は確かに今も私たちに御言葉を通して語ってくださる。
主が私に語ってくださるという期待感を抱いて聖書に向かいたい。
それが自然な礼拝者の姿につながるだろう。



■創世記のこの箇所までに見られる礼拝者の姿
アベル:自分の仕事の祝福、必要が満たされたことへの感謝
ノア:大洪水(神様の怒り・裁き)からの救いへの感謝
アブラム:主の臨在と語りかけに対しての感謝


「アブラムは自分に現れてくださった主のために、そこに祭壇を築いた。」(12:7)

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