マイペースで行こう

キリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、19年目に入りました。

昨日のYouth For Jesus

2006-12-18 12:50:12 | 教会の風景
昨日のYFJもいつもどおり、ゆったりとした雰囲気。
フットサルの練習に励む青年たちは練習に熱が入り、ちょっと遅れてきた。
でも、毎回必ず来てくれている。
みんなにとって、YFJはもう完全にライフスタイルの一部になっている。

昨日も十数名の仲間が集まった。
賛美とショートメッセージのシンプルな集会。
その後のまったりとした時間。
それぞれゲームをしたり、楽器を弾いたり、おしゃべりしたり。
I君の洗礼準備の学びの個人レッスンも8回目を迎えた。

そして、夕食の準備。
昨日は冷凍庫の大掃除?
冷凍にしてあったご飯やピザ、カットステーキなどを使った。
サラダやスパゲティも加えて、豪華な夕食に。



バイキング方式でみんな満足。
ひとつの大きなテーブルを囲んでみんなで楽しく夕食。

片付けも終わり、またゆったりとした時間。
自由解散だが、残った人たちは語り合っていた。
私は途中で眠気を催し、別室で仮眠。
解散は12時過ぎだった。
結局I君に家まで送ってもらった。

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リハーサル

2006-12-18 12:30:34 | 教会の風景
日曜の午後は、クリスマス会のリハーサル。
いよいよ本番を来週に控えて、最後の練習と打合せ。
一通りの流れと人の動きを確認。



流れを見守る教会のみなさん。



東村山のユースによるトーンチャイムの演奏。



クリスマスに関する聖書の記録の朗読も。




最後に聖歌隊の合唱。
手前のN君はもうお疲れ?

早いもので、もう一週間でクリスマス本番。
たくさんの方といっしょに今年のクリスマスを祝いたいな~

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帰るところ→原点=神の約束

2006-12-18 12:16:31 | 教会の風景
聖書箇所:創世記13:1-4

エジプトで失敗を犯したアブラム。
エジプトからネゲブへ移動。
ネゲブからベテルへ移動。

そのベテルは、「以前天幕を張った所」(3節)であり、「最初に祭壇を築いた場所」(4節)である。
彼はそこで「主の御名によって祈った」(4節)。


アブラムの行動の記録に私たちは何を学べるのか?
失敗したことからの気持ちの切換?
「今度はうまくいきますように」というやり直しの意味での祈り?

そういう意味が全くなかったとは言えないが、もっと大事なことがあったのではないだろうか。

彼が地理的に元の所に戻ったことの背後には、原点に帰るという意味合いがあったように思われる。
彼にとっての原点とは、彼に対する主なる神様の約束「わたしが示す地へ行きなさい。あなたを祝福しよう。」だった。
アブラムはその約束を信じて、故郷ウルを出て、一旦落ち着いた土地カランを出たのであった。
やがて、アブラムはカナンの地に入る。
主が彼に現れて「あなたの子孫に、わたしはこの地を与える」という約束の再確認を与えられた。
彼の旅の目的・理由は、すべて主の約束にかかっていた。

彼はエジプトでの失敗の後、与えられていた約束に帰ろうとしたのではないか?
彼には帰るべきところがあった。
彼には拠り所となる神の約束があった。
帰るべきところを持っていることの強みは大きい。

ここで注意することは、神様の約束であること。
私たちが神様にしている約束ではない。
「神様、私はあなたに~するという約束をしましたが、失敗してしまいました。もう一度チャンスをください。」
「今度はうまくやりますから、神様助けて下さい。」
私たちが自分の約束を守ろうとする信仰生活は、決して安定しない。
なぜならば、私たちの努力には限界があるからだ。
結果として、本来私たちが味わうことのできるはずの喜びや安心感を得ることができないでいる。


約束を真実に果たすことのできる方は、神様おひとりだ。
だから、神様の約束に戻ることが重要だと言える。
そうなると、帰るべき神の約束を持っていることの重要性に気付かされるだろう。

主があなたや私に与えて下さった約束とは、どうしたら分かるのだろうか?
聖書には私たちに対する神様の約束に満ちている。
クリスチャンが聖書を大切にして、そこに書いてあることに目を向けるのは、私たちに対する神様の約束を知るためであると言える。

ただ「いかにして生きる?」を学び、「~をしてはいけない。」「~しなければいけない。」というルール、掟に沿って生活するためではない。

恵み深い神様の、私たちに対する数々の約束を知り、それを信じていくのがクリスチャンのライフスタイルであると言えるだろう。
そして生涯をかけて、神様が約束を誠実に果たしてくださることを経験していく。
結果として、生活や考え方の変化が伴うことは言うまでもない。

神様は約束に対して、真実。
約束を信じる者に対して、誠実。
私たちは、この方に信頼していけばいい。
私たちには帰るべきところ、神の約束がある。

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