「見仏」と「札所巡り」と「仏教少々」

仏像鑑賞と札所巡りと受け売りの仏教を少し

ネルケ無方 法話 般若心経について

2019-06-15 18:01:03 | 仏教
日本仏教鑽仰会(にほんぶっきょうさんごうかい)の主宰。
中野サンプラザ8階研修室にて。

ネルケ僧侶の動画を見ていたら、東京に来て講演があるというので
出かけていった。

テーマ:わたくしを手放すコツ-心のレシピとして読む般若心経

1000円の入場料。60人ほどの聴衆。
ネルケ僧侶は、曹洞宗の安泰寺の住職でドイツ人。
見た目、動画サイトで見るとおりの顔立ち。長身で、袈裟の姿。

昨年の同じ講演では、自力と他力というテーマで話があったらしい。
今回は、般若心経の解説についてであった。

漢字をたまに書きながら説明。・・・漢字は写さなかった。
真宗や真言宗の考えも少し比較のため話す。・・・
他の宗派も勉強している。真宗にしか使わない門徒という
言葉もでた。
ところどころ、話がそれ気味かなと思ったときはあったが、
それは計算ずくだった。
話につながりがあった。
*******************************************

禅宗は、ダルマによってインドから中国に伝わり
その後日本へ伝えられた。
曹洞宗の開祖、道元禅師は中国に渡り、手ぶらで日本に帰ってきた。
禅宗は、書物を重視しない教えがある。
書物よりも生活の中に教えがある。

とある古い話。生まれてものごころついたときから
頼る人も無く、その日暮らしで、
盗みもするホームレスの男。とあるりっぱな建物に目が入り、
この建物に盗みに入ったらさぞ金目のものがあるだろうと
思った。しかし、怪しまれたためその場を去ろうとした。
ところが、逆に呼び止められた。今人手が足りないから
住み込みで働いてみないか。働くことに。長い間働いて、
その後、その家の主人に死が近づく、するとなんと
その家の息子だった。この教訓は、仏の家に生まれていたのに
仏性のある自分に気づいていなかった。ということ。

この物語は、臨済宗の白隠禅師座禅和賛にも出ている。
衆生本来仏なり、水と氷のごとくにて、水を離れて氷なく、
衆生の外に仏なし、衆生近きを知らずして、遠く求むるはかなさよ。
たとえば水の中にいて、渇を叫ぶがごとくなり。
長者の家の子となりて、貧里に迷うに異ならず・・・


禅宗は、お経をそれほどは読まないが、それでも、般若心経をはじめ
いくつかのお経は読む。お釈迦様も悟りを開くための処方箋として、
多少は自分が書きとめたお経(教え)をとなえただろうと想像される。

安泰寺では、4,5月が一年で一番食料が不足する。そんなとき
山菜を食べる。山菜は悪抜きが必要で、最初はそれを知らずに
師匠に怒られた。悪抜きというレシピ(作り方)が必要だった。

お経には、生きるためのレシピが書いてあっても、
それを自分で実践しなければ意味が無い。
(それ以前にレシピを書いてくれる人が少ない。)

日本には何万(何十万?)というお寺という受け皿がありながら、
お寺としての機能をはたしていない。
(レシピを書いて説明してくれる僧侶が少ない)


般若心経は、観音と一番弟子(舎利子)が登場し、一番弟子が
説教される内容。
観音は実在するとされる存在ではない。

観音は、例えば、親鸞聖人にとって妻のえしんは、
観音様だったのではないだろうか。

かつて、安泰寺の弟子の時代、安泰寺と少し距離をおき、
大阪城でホームレスをしながら座禅会をしていた。当時33歳。
そのとき24歳の彼女ができた。
そんなとき、安泰寺の師匠が事故で亡くなったことを知る。
葬式が終わる。
安泰寺の他の弟子たちは、檀家を持っているお寺の息子ばかり。
安泰寺を継ぐ人間がいない。安泰寺を継ぐ。
当時の彼女にプロポーズ。安泰寺に来てくれ、結婚してくれた。
そんな奥さんは、まさに観音様だった。

しかし、今となっては奥さんは、観音様でなく仁王様になった。
(ここでおおうけ。ネルケ僧侶の鉄板ネタ。)

般若心経の中の観音を自分に置き換えても良い。舎利子に
自分を置き換えても良い。

般若波羅蜜は、自分を手放すこと。
自分が存在していると考えているだけ。
自分が思うように生きていると勘違いしている。

(ないないずくしの内容になっているが、)
無いと理解するより、無限という言葉で、肯定的にとらえる。
苦しみから解放される道は無限にある。・・・

(レジメがあったので、余力があれば書き写したいと思いますが、
 当面は書く予定はありません)

般若心経のぎゃーてーが出てくる部分。
この部分には違和感があった。
自分を手放すという話で終わっても良いのに、
だらに(呪文)で終わらなくてもと思う。
でも、だらにを強調する真言宗の人には
怒られるかもしれないが。

だらに(呪文)の部分は、さあ、いこう。
涅槃に向かってみんなで行こう。とでも
訳せばよいのにと思ったりする。
 

もともとはベジタリアンだった。
ところが、安泰寺では食料そのものが不足。
駆除された鹿や、いのししを村の人から提供されるし
今は、肉は好きになった。

そんな村の人の運動会に呼ばれたりする。
綱引きがある。
村人は、じいさん、ばあさんばかり、こちらは
自分よりもまだ体の大きな弟子もいる。

しかし、綱引きで負ける。
じいさん、ばあさんは、掛け声を掛け合って綱を引く。
いっぽう、こちらは文化も違うし、息があわない。

みんなで、息を合わせて、みんなで涅槃に行こうではないか。
それがぎゃーてーの訳でもよいと思う。

************************
想像通りのよいお話だった。
途中の般若心経の解釈の時間は、細部にあたっては
それほど頭に入らなかったが。

般若心経の解釈も必要だが、それを大部分解釈できたところで、
実践できばければ意味がないと思う。
学問的にそうなんだで終わるのでなく、日ごろから
理解した上での生活、それについて考える。
時には、座禅、瞑想で、より実感できるはずと思うが、
まだ、自分には先かなと思う。



スケジュールなどは、以下のページにでているようです。

いつか、BSテレ東の「ワタシが日本に住む理由」に
出演することを期待する。


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築地本願寺、仏教文化講座2019.1 田畑正久氏

2019-01-26 22:04:25 | 仏教
大分の佐藤第二病院院長、龍谷大学大学院教授でもある。70歳。
講題「医療現場求められる仏教」

今に至る経緯。大分の市民病院に勤務していたとき、
長野の大学のほうで、
講師をしてほしいと頼まれ、片道8時間、5年間通っていた。
その後、京都の龍谷大学で講義を依頼されるようになった。
もともとは、外科医。ある大学の学生時代、仏教青年会に
入った。別に仏教に関心があったわけではなく、
この入会により住居費用がただになるという利点があったから。
その後、とある師に浄土真宗を学んだ。
化学の先生でもあった臨済宗のお弟子さんにも学んだ。

キリスト教や天理教系の病院には、宗教師がいるが、
日本では病院と宗教師は密接な関係はあまりない。
アメリカシカゴの本願寺の別院にいったことがある。
病院に宗教師が出向くことはめずらしいことではない。

現在は、主に大分の国東半島にある病院に主に勤務。
病院内に仏教勉強会を作り、その活動がもう15年になる。
国東半島のこの地は、仏の里と言われている。
しかし、この地でさえ、
お坊さんが病院にくると、まだ、早いと言われる。

龍谷大学では、90分x30日分の講義を持っている。

病気の人は、健康になりたいと思う。

大腸ガンの患者さん。治療により、もう大腸ガンのリスクは
無くなったと医者から言われた。しかし、それから2年後、
肝臓のほうに転移した。黄疸の症状も出ていた。
結果的に、その後、7年で亡くなった。
医療には限界がある。良くなる病気は良くしていく。
しかし、、、、。

あるとき、同級生からメールをもらう。すい臓がんの
ステージ4と言われ、余命半年と言われた。ショック。

これ以上良くならないときは、どうすればよいか。
「悟り」、あるいは、真宗でいうところの「信心」の結果として、
自分の現実を受容することができる。受け止めることができる。

ある先輩が自分の講義を聞きに来てくれたことがある。
そして言ってくれた。
人間の病気の苦しみを取るのに、医療しかないと思っていたが、
違っていた。

誰もがいつかは、老病死につかまる。
アリストテレスは言っている。みんな幸せになりたいと思っている。
プラスを増やし、マイナスを減らしていく。
しかし、幸せを目指しても、最後にはマイナス、不幸の完成。
事実はそうなっている。

大分のローカル新聞に投稿された記事。60過ぎの人が投稿。
40代の知人がガン。頑張れと励ます。がんばってますよと返される。
痛みがつらい、死にたくない。
頑張ってるよねと、言ったほうがよい。

また別の人の投稿について、胃ガンの50代の男性。
ステージ4。
あまり動けない患者。家族に連れられ、
6ヶ所ほどの病院を転々。そのうち、骨転移の痛みがでてきた。
病院側はステージ4をえさにいろんな治療を行う。患者はすがりたい。
そういう状態を続ければ、患者は死ぬまで苦しむ。
緩和ケアをしていく手段も考えたほうがよい。

人間の思考には二種類あると、今は亡くなった宗教師のいっていたこと。
計算的思考と、全体的思考。計算的思考は、プラスを増やし、
マイナスを減らす。損か得か。勝ちか負けか。
全体的思考は、因果応報を認め、縁起を考える。私という存在は生かされている。
死は生の裏表。死は生きている事実を教えてくれる。

70歳と歳をとってきて、頸椎に問題があり、手が少ししびれることがある。
この現実は、私に何を気ずかせようとしているか考えてみる。
毎日を生ききる人は、死に対する心配はない。
生かされているという思いがある。

現実を受容できた例。
岩手県沢内村。
50代のガン患者がつらいとうったえ、落ち込んでいた。
同じ患者のおばあさんが歩み寄り、念仏をすすめる。
すると、笑顔が出てきた。

徐々に、臨床宗教師の活躍も増えてきた。

死が近ずいて来た時、医者とコミュニケーションを
よくとったほうがよい。緩和ケアをしてくれる病院も
探したほうがよい。


最後に
数年前にも、この先生の話を、この場で聞いたことがある。
その時も有意義な話を聞けたと記憶している。
本日は、なかなかよいお話だった。

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築地本願寺、仏教文化講座2018.9長尾氏

2018-09-22 23:33:30 | 仏教
兵庫尼崎で町医者をしています。と自己紹介。
長尾和宏という医者。

「死ぬまでハッピー」という今回のテーマだが、
知人から電話があり、本願寺で講演をするなら、
死んでからもハッピーでしょと言われた。

医師歴35年。2000人以上の死に関わった。今還暦をむかえた。
多くの死に関わってきたけど、最初の死のであいは、父の死。
生まれは香川、父は自衛隊勤務。転勤で関西へ。
自分が中・高生くらいのときから、父はうつ病。
お寺詣りが好きだった父に付き添って、京都のほうに
一緒に旅にでた。京都の河原で、財布を渡され、強制的に別れた。
一週間後、有名な神社で父は自殺していた。ショックだった。
警察官から言われた。よかったですね。何が良かったかというと、
もう少し遅かったら身元不明で焼却するところだったという。

そんなこともあり、ぐれていた。
その後就職してダイハツ工業へ。車を作っていた。
その後、ある人に出会い、医者になる決心。東京の医大を卒業して、
大阪大学に関連する病院に勤務。
末期の患者が多い病院で、2年間で600〜700人の死に立ち合った。
延命治療が常識の時代だった。その結果、患者さんは苦しんでいた。
最初は、病気がそうさせているのだと思っていた。
後でそうでないことに気づく。

阪神大震災がきっかけで、
今は開業した。あの時は圧死が多かった。
開業して、年間120人ほど看取りをしている。
昨日も尼崎で看取りをした。家族から連絡があり、
苦しんでいるから来てくれと言われた。
死の壁というのがある。
穏やかに死ぬ前に半日か1日前に苦しむことがある。
弱い睡眠薬をのませた。
その後、24時間後患者さんは亡くなった。
在宅で亡くなった時は、家族は泣くことはあまりない。
この時は、食事も振る舞われた。

開業してから23年、1200人ほど看取ってきた。
最期まで点滴ということはしない。
ブドウ糖が入っている点滴は、がんの餌になってしまう。
その結果、患者も苦しむ。
緩和医療も広がってきた。精神的にも出来るだけケアしていく。

家で死ぬのは40年前までは、当たり前だったが、
今は病院で亡くなることが多い。

ガンは最期まで動ける。川島なお美さんも一週間前まで
外出していた。
樹木希林さん、最近亡くなったが、普段から自分の死について
語っていた。
小林まおさん、亡くなる間際に愛してると言ったらしい。
しかし、医師しか見れないネットサイトがあるが、
その中では、99%ありえないというコメントがあった。
しかし、自分は経験しているので、事実だろうというのがわかる。
数秒前まで話しているのを見たことがある。

平穏死、尊厳死が主流だが、それでも
家族の意向があったりで延命治療をしてしまう医者もいる。

最期に近ずいて、苦しんでいるとき、軽い睡眠剤、安定剤を投与する。
余命1ヶ月になったら点滴はしない。

ガンでも最期まで食べることもある。星野仙一さんも正月三が日、
ぞうにを食べて、4日目急変して、亡くなった。

認知症の問題。

今後、高齢者の6割が認知症になると言われている。
認知症に対し、抗認知症薬もある。
副作用で、おこりっぽくなったり、食べれなくなる。
日本くらいが、抗認知症薬を使っている。
過剰な抗認知症薬が原因で、さらに強い認知症になる。

もちろん、認知症患者も診ている。
認知症は、そんなに恐れることは無い。
忘れられていいこともある。

認知症でなくなったほうがよいか、
ガンでなくなったほうがよいと思うか。

アンケートでは、8割がガンで死にたいと思う人が多い。

自宅で、ひとり認知症、ひとりガン患者ももちろんいる。
在宅死は、全体の15%というデータ。
半分は孤独死、半分は医者が看取っている。
(孤独死の説明はなかったが、何日も発見されないで
死んだ状態のことをさしていると思う)

孤独死は、60代男性が多い。男性は女性に比べ、
ひきこもりになりやすい。

今、尊厳死協会の副理事もしている。

(最後に、講師は、中島みゆきの糸という歌を
 歌った。)

・・・縦の糸はあなた 横の糸は私・・・

(なかなか感動できる歌。著作権の問題で、
 音楽を流すことはできないのだろう)

(ここで質疑応答からの話の一部)

臨床宗教師といわれる僧侶がいる。
終末期、僧侶の役割を求められることもでてきている。
生前にお経を上げることもある。

医者の在宅医療は、白衣を着ないで診療にあたったりもする。
僧侶も私服ということもある。

死んだら何もなくなるではなく、
死んでも続いていたほうがいいなと思ったほうがよい。
さみしいじゃないですか。

医者の中でも死後の世界があるかないか、意見が分かれている。

死んだらすべて終わると思わないで、・・・
不安を持たないというのが大事。
不安は、病気の元になったりもするし。

******
最後に、話し方も非常にスムーズで、立て板に水。
息つく間が少なかった。
話の内容もよかった。





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築地本願寺、仏教文化講座2018.8しむら氏

2018-08-25 23:39:30 | 仏教
しむらきよえ 「死から学ぶ生」

40代前半くらいの女性が講師。
バースセラピスト。この言葉は一般的ではないが、
彼女が作った造語。

ターミナルケアというのがある。ターミナルを通じて、新しいことが
生み出す。生まれる。そこからバース。

ICUに入っている女性を現在見ていて、今日築地本願寺で講演をしてくると
言ったら、その女性は私達夫婦は、そこで結婚式をあげたのよと言っていた。

10代から90代のみとりをしている。
ボランティアで。
経済的に豊かな人もいれば、豊かでない人もいる。
みとりに入るまえに、お友達になる。
体の苦しみ、痛みよりも、孤独のほうが痛みが大きい。

中学生のしょうごという男の子。妹と弟の世話を小学生の頃からしていた。
自分の存在をラジオで知り、病棟から手紙を送ってきた。
父母は家に帰ってこない。妹や弟が心配。

病院に会いに行った。他人が会うのは制約がある。
親戚とうそをついて会いに行った。
よく来てくれましたと、病院側。父母も親戚も来なかったなんて
ありえなかったという反応だった。
大部屋で少年の顔がわからないので、しょうごくん、
と声をかけて会うことができた。
妹、弟に会いに行ってごはんの作り方を教えてほしいと言われた。
家庭環境がネタにされたりして、学校でからかわれて、それに反抗して暴力。
けんかは強かった。学級崩壊の原因を作った。

妹、弟に会いに行ってホットプレートなど
料理を教えた。


末期になるほど、嫌いな人より好きな人がたくさんいたほうがよい。
そっちのほうが体は苦しいけど幸せ。

しょうごくんからのメール。
人がきらい。
自分は病気が治らなくて死ぬ。死んだら、
お墓参りにも来てくれると行ったね。
、、、、

その後、しょうご君とよく会うようになった後、しょうご君は変わった。
しょうご君はクラスの子や先生ともメールするようになった。
自分が変わったら人も変わった。
縁のうすかった近所の人との関係もよくなった。近所の人の手伝いも必要だった。
お母さんも帰るようになった。
その後、しょうご君は亡くなった。

75才の人を今見ている。まごにどんなことを見せたいの?
→自分の生きざまを見せたい。
別の人。今は亡くなった88才の男性。
死ぬときほとんどの人は、最後に、ありがとうと言う。
恨み辛みでなく、ありがとうで死にたい。
他には例えば、いいアドバイスを言ってくれる。
幸せは自分で決めていいんだよ。後悔してもいいんだよ。
何回もチャレンジすればいい。

みなさん、どんな言葉を残したいか考えておいたほうがよい。
ありがとうと普段から言っておかないと、いざというとき言いにくい。
笑顔も大事。笑顔の練習もしてもらう。
ここで聴衆に向かって、ワークショップ的に、
近くに座っている人と笑顔であいさつしてください。、、、
その気でない人は目を合わせてくれないが、
前の人が振り向いて目であいさつを
してくれお互いにあいさつをした。

自分の場合、
45才の夫がダイビング中に死亡。
ありがとうも言えずに亡くなった経験がある。

笑顔であいさつは、回りの人も幸せにする。

ユニセフが、世界の子供に対して意識調査している。
その中の質問に、孤独を感じているかというのがある。
みなさん、どこの国が一番孤独を感じていると
答えていると思いますか?
それは、日本です。
孤独はとても苦しいもの。

混雑している電車に、乗るときに言っていることばがある。
「仲間にいれてくださ~い。」

自分が変わらないと社会は変わらない。

寝るときは、一生の終わりになるかも。
重い病気の患者さんはそうなる。

後一週間しかもたないだろうという患者さんが
眠くなる。おやすみ、さようならの言葉が
最後かもしれない。

今まで看た患者さんの思い・・・。

病気になって生きることの大切さを知った。
人と比較して自分のほうがましとか、
自分のほうがつらいと考えていた。
今の自分というのを大切に、大事にしておけばよかった。

元気なうちに、愛しているよ・・・とか
よく言っておけばよかった。

元気なとき、自分のことを
まんざらでもないよ。と思えなかった。

亡くなる人たちから伝えてほしいといわれている。
今あることを最大限に感じることが大事。
・・・が痛いけど、・・・は調子いいじゃない。・・・


************
著書も出されているようで、
志村季世恵「いのちのバトン」

この方は自分で看護士の免許があるとか
というのは口にしていない。
不明だった。

病状に関しては、病院の看護士さんに
まかせて、患者と信頼関係を作り
最後に、看取りということを
されているのかもしれない。

目からうろこ的なバースセラピストという
いう名前が変わっているが、その活動に、
感銘を受けた。
 


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築地本願寺、仏教文化講座2018.6

2018-06-23 19:58:42 | 仏教
ひろさちや81才の講座。

元は、インド哲学を勉強。
学生時代、浄土に行くより、地獄で鬼と一緒に酒盛りをしたほうがよい
という学生もいた。

(若干聞き取りにくいところがあったので女性講師が
どういう経緯で登場したのかはわからなかったが)
女性講師に、浄土に行ったら前に生きていた人に会えるといったら
、会えなくてもいいから地獄でもいいと言った。お姑さんや、夫にも
会いたくないので・・・。でも地獄だと誰にも会わないですよというと、
地獄はやっぱり・・・という女性講師の反応。
地獄に行くと、1兆年もい続けなければならない。



おばあさんの定義。
例えば子供がいるが孫がいない。でもおばあさん。

女性を辞書で引くと、子供を生む能力があると書いてある。
では、子供を生む能力がなくなったら女性ではないのか?・・・

イスラエルの学者の説では、生物学的に、
おばあさんがいるのは、ごんどうくじらと人間だけ。
他の動物は、年をとっても子供を産む能力がありつづける。
ごんどうくじらは、群れの母親に代わって子育てもする。

おんぶおばけというのがある。
おんぶして向こう岸まで言ってとたのまれ、着いたのに
いつまでもおんぶしてはなれない。

そんなとき、無理やり振り払って、後で、呪い殺される。
あるいは、まあ、そんなに重くもないし、このままでもいいか・・・。
そのうちに自然にはなれていく。
問題が起きても、日常生活そのまますごす。
貧乏だったら、貧乏のまま生きる。
仏教はそういう生き方を推奨する。

おいしいものを食べるではなく、
おいしくものを食べる。
これが仏教。

浄土とは、心の中にある世界と考えてもよい。

推定と見なし。胎児がお腹の中にいる。
民法上では、人と見なしている。
推定はそれに対し弱い。

浄土は、ほぼあるんだという見なしとして
考えてみてはどうか。


2012 96才で母が他界。母の夫の50回忌をやったという
めずらしい経験も。(夫はシベリアに抑留され死亡)

みなさんも、浄土へ行きますよ。→聴衆(笑)

ぼけたら周りに迷惑をかけるからと、
母がぼけ封じに行ったと聞いて、
母に説教した。
人間は、今生きているだけで迷惑かけてるんですよ。

ぼけるかぼけないか、あみださんにまかせればよい。

浄土は、光にあふれている。
ものが見づらい。

京大時代のかつての生徒が教えてくれた。
南極では、ホワイトアウトといって何も見えないらしい。

光ばかりで影がないから、見えづらい。

浄土に持っていくとしたら、何を持っていけばよいか。

影の部分。悲しんだこと、悩み、苦しみ。
みなさんも悩みを持っていると思いますけど、
しっかり、いいお土産を持っていってください。

この世の中でいい思いをしようとするばかりではダメ。

悩み苦しみをなくしたいとばかり生きていますが、
しっかりと、悩み、苦しみ、悲しんでください。
それらは、浄土に行くお土産。

悲しみを楽しめる。そんな生き方をしてください。

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築地本願寺、仏教文化講座2018.3女医

2018-03-24 22:37:00 | 仏教
「看取り看取られつながる命」

講師は、在宅ホスピス医のふじ内科クリニックの院長、
女医、年齢60すぎくらい。

ガンになって思い病気になっても、自分らしく生き抜いていく
というのがテーマ。

山梨県出身、福島県立医科大学卒業、最初に、東京の三井記念病院へ
27歳ころ勤務し始めた。

そのとき、23才の女性患者を診る。
がんで全身くだがつながれた状態。将来が全く見えない。
39度くらいの熱が続く。
そんな中、今一番何がしたいと聞く。家へ一泊でいいから帰りたい。
(急に病院に入院することになっていて、)
身の回りの整理がしたい。

昔は、99%同じ病院で最後まで、病院で看ていた。
今は違う。治らない病状になったら、やさしいことばながら
出て行ってくれと言われる。

一泊で一時帰宅することに。それが、一泊だけでなく、
3か月家にいることになった。ということもあった。
その後、25歳で亡くなった。当時、ホスピスという言葉が珍しかったときだった。

今、地震対策が盛ん。いつ起きるかどうかわからないのに努力する。
人が生きている間に大きな地震がないかもしれない。
しかし、一方、人は絶対に死ぬということは、勉強しない。


自分で、山梨大使といっている。96歳の母に言われている。富士山は、どこから見てもきれいだけど、
山梨県から見たほうが一番きれいと言ってね。


かんぞう移植のときなどに、命のバトンをつなぐという言葉で言われることがあるが、バトンは短距離。命が短いイメージがある。そういうときは、命のタスキという言葉を使ったほうがよい。
タスキは、長距離の駅伝とかで使われるので。


福島県立医科大で入学して、ホスプスケア(緩和ケア)のほうに進んだ。キリスト教の影響。それもあってイギリスに7年留学した。

がんの人でもその人らしく生きるというテーマがホスピスケア。イギリスでは盛ん。
グループホーム(老人ホーム)ですごしたい。病院ではすごしたくない。

かつて、イギリスでシシリという看護師がいた。
しかし、看護師がああしたらいい、こうしたらいいと、思っても権限がない。
彼女は40歳前にして、医者になった。がん患者を救いたいという思いで。

(このあたりから写真のスライドで患者さんの様子などを撮ったものが
紹介されはじめた。イギリスでなくなる一週間前の椅子に座ったおばあちゃん
の写真も紹介されていた。)


みなさんの医者選び、少し不満はあるかもしれないが、80点あれば合格としてほしい。

ガンは緩和できる病気です。

(甲府の今の病院での話)
43歳の男性が写っている写真を見せながら、
直腸がんで、肺に転移。
お願いされて主治医になった。
最後の誕生会をやろうということになった。最期も近い。
希望に応じて、お酒も飲ませた。その1週間後、男性は亡くなった。

永禄輔とも交流があった。
永さんがなくなる2週間前、こん睡状態。声をかけると反応があった。
そのとき、にこっとしたような口元になった。口元が笑っていた。

マインドフルネスという言葉が流行している。これは仏教から来ている。

エベレストを酸素ボンベなしで上った登山家。
7000mを超えて酸素をつけないと、どうしても必要な酸素は心臓に集まり、
頭のほうには酸素が回って来ない。これが結果的に瞑想状態となった。
デスゾーンを超え、登山家は幸せだった。
デスゾーンは、死ぬ間際。あまり苦しみはないだろうと言われる。

年をとった人にガンを伝えるときは、ご長寿ガンですねと言う。
年をとったら2人に1人がガンになると言われる。
単にガンというよりは気持ちがやわらぐ。

この後も、90を超えてガンになったおばあさんの話。

都会から山梨に戻り、植えただいこんが収穫できるまで
生かせてくれと言ったガンの中年男性。
そして収穫ができた。
その後、昏睡状態になり、家族が口元から酒を飲ませた。
後で聞くと、さんずの川を渡っているときに、船頭さんとさんずの川を渡ろうとしていた。
でもフェリーが見えていて、フェリーには好きな酒があって飲めるだろうと思っていたら、
こん睡状態から目を覚ました。
その1週間後、男性は亡くなった。

スライド写真を見ながら、看取りの話。


今日も公演前は寝むかったが、しっかり聞けた。
有意義な話だった。


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築地本願寺、仏教文化講座2018.1竹之内氏

2018-01-27 22:22:59 | 仏教

静岡大学の竹之内教授。
もともとの専攻は理学部数学科で大学入学。
生い立ち、19才のとき9月のある日、父がガンでなくなった。
その時、死が怖かった。
父が死んだ51に近い、今50になった。


何となく父の生き方とちがう生き方をしていた。
重度障害者のホームへ行きボランティアをした。
筋ジストロフィーになった安部さんという人のボランティアもした。
出会いがあった。
自分は哲学の道に進んだ。死ぬときの状況の練習もした。
ホスピスの安部?氏との出会いもあった。
安部?さんは哲学、宗教えお勉強していなかったが、死と向き合っていた。
安部?さんは晩年文書を書いていた。
晩年、口でマウスを操作して文書を書いていた。

自分のこと。
結婚して子供を授かった。
医者は生んでも助からない可能性があるので
下ろしたほうがよいと言われた。
子供の生命力にかけた。
子供が生まれたがダウン症だった。

耐えられない親は、この子を残して死ねない。
という思いになり無理心中をしたりしてしまう。
スエーデンでホスピスの勉強をしに留学した。
そこではよく、ディスカッションが行われる。
日本に帰ってきてから、死の話をする場がなく、カフェを作った。

、、、とここまではよく聞けた。
しかし、ここからはやや学問的な話になったのか、
疲れがたまっていたのか、思いの外、
ほぼぐっすり寝てしまった。
残念だった。


最後に主観的なことだが、最近、講師の方はレジメを準備する。
レジメを見ながらの説明だと、心に入ってこない。

また、説明されないレジメが残っても、
何が一番大事なのか見えてこないこともある。

できればレジメはないほうがうれしいのであるが、
ただ、これは、一個人の考えなので、
講師の方にお任せしたい。


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築地本願寺、仏教文化講座2017.10堀江氏

2017-10-21 20:58:58 | 仏教
堀江氏。東京大学准教授。見た目、40代半ば。
普段は医療関係者、介護士などに対してセミナーを開催している。
東大の文化系の生徒に教えたりもしている。

生い立ち、
祖母は真宗、祖父は真言宗。宗教戦争状態。
廃仏棄却の波にもまれ、廃寺となった真言宗のお寺。
父は祖父の流れをついで、近くのお寺から僧侶を招き、
お寺を復興させた。
父は檀家のまとめ役。母は元はクリスチャン。
自分は、高校の時から心理学。後に宗教心理学で博士論文。

死後の世界について、著名な人の死生観にも学ぶし、
宗教、身近な人、年取った人などに学んでいる。

医者・僧侶は、人の死に直面して学んでいる。
でもそれは、他者の死について。
学生は、死について関心はあるが、
その反面、死に関わることは少ない。

西洋の心理学者。
死後生を信じていなかったある心理学者。
患者に死んだら幽霊となって出ると医者に言った。
そして、患者の死後エレベータの中で
医者は死んだ患者と出会う。
そういうことがあり、信じてきた医者、学者もいる。

日本ではかつてスピリチュアルブーム。
江原氏について、論文を4つも書いた。
一般の人たちは、死後の世界の有無について、
人に押し付けなくなった。
江原氏が言うように、夢物語として聞いてくださいと占う人に
伝えていたというのにも現れている。

震災後、NHKが「亡き人との再会」という番組を作った。
霊的体験がその中で述べられていた。
故人との霊的体験が癒しになるのであれば問題ない。
いい番組だったというのが大半だった。

現代の仏教教団では、死後の世界の見方が分かれる。
霊魂否定は、浄土真宗、臨済宗妙心寺派、曹洞宗など。
霊魂否定が明確でないのは、
天台宗、高野山真言宗、浄土宗、日蓮宗など。

お葬式をどう思ったかについてアンケートをとったことがある。
お葬式がよかったという人もいれば、
僧侶の言葉に傷ついたという人もいた。
僧侶の言葉でいい葬式だったかどうかという印象に
つながることもある。

死生観の多様性を重視したい。
その人それぞれに、宗派の言葉が合うことがある。
多様性。日本の死生観はいいかげん。つまり、よいかげん。
輪廻、祖先崇拝、、、いろんな地域で仏教感が違う。

死を前にして、いかに生きるか、
どうやって死に向かっていくかが大きなテーマ。

死を前にして、見通しなく死ぬというのは難しいし、つらい。
死が示す物語を示してくれるものがあったほうがよい。

(浄土真宗では、極楽浄土へ行ける。
チベット仏教では、輪廻が信じられ、魂は生まれ変われる。
ブータン仏教では、来世のために現世で得を積み、
来世で幸せになりたいと願う。)

自分に合った死の物語を持っておいたほうがよい。



死に関して、視点の違った興味深い講座だった。

最後に、堀江のりちか、「霊といのち」でネットで検索すると、
論文が読めるようになっているらしい。

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築地本願寺、仏教文化講座2017.9早島氏

2017-09-30 20:00:23 | 仏教
テーマ:わたしのいのち、みんなのいのち


早島という60代くらいの男性。滋賀医科大学名誉教授。
お医者さんと思いきや、そうではない。
実はお寺の住職。そして龍谷大学では文学部の教授というかたがきもある。
もともとは、インド仏教の研究が専門。
では何故医科大学の教授なのか。→大学病院の倫理委員会に所属。
かたよらないように医者以外の意見を聞くため、2人ほど参加している。
いのちについて、医者と看護師に伝えてきた。

生老病死の意味。
死ぬことがわかっているのに、今、生きていることの意味は何ですか?
いのちの尊さ、有難さに気づいていますか?
医学は、生きる意味をおしえることができない。
(例えば、もう短い命と知っている患者に対して、
どう命と向き合えばよいか医者は教えてくれない)

かかりつけのお医者さんが必要なように、かかりつけのお坊さんが必要。
決して、門徒のお坊さんとは限らない。
いのちについて語り合えるお坊さん。

日本の死生観。
東アジアの考え。他界思想。人は死んだら、生きていた延長線上で考える。
例えば、死んでも御墓参りに来てくれて、喜んでくれている。、、、など。

別の死生観のパターンではしんだら終わりという考え。西洋に多い。唯物論。

また、別の死生観では、死んだら魂はまた生まれ変わる。輪廻思想。インドなど。

浄土教では、死ぬと極楽浄土へ阿弥陀さんがつれて行ってくれる。
浄土の世界は、迷いの世界を乗り越えた世界。
いずれにせよ、自分は死んだらどうなるかというイメージは、持っていた方が良い。

ある時、亡くなった人は仏になる。と、日本人の死生観を、
他の東アジアの人たちの前で話したら、一斉に異論の反応が返ってきた。
(日本人の死生観は、他の東アジアとも違うところもある)

西洋的な発想から、アドバンスプランニングという言葉ができている。
自分が将来、病気になって、余命がせまってきたとき、どうしていきたいか
というのを身内とともに事前に決めておくこと。
自分で食べれなくなった時どうするか、点滴か、胃瘻か、そのままか。
どこまで治療するか。どこからはいらないか。
などメモしておくと、それに応じた治療をしてもらう。

数ヶ月の余命と判断されてすごす。限りあるいのちを大切に生きる。
宗教者がそれを示してくれる。いのちの意味を教えてくれる。
宗教者が患者の前にいた方がよいという発想がより多く
生まれてきている。

緩和医療というものも、最近より注目されてきている。
古い時代に比べると画期的なこと。治らないけど、
できるだけ痛みをなくして、最後まで看取りますよという医療。


後記
今回、レジメもたくさん表示しての話。
若干、大学の先生ということもあり、
大学の講座っぽい感じも少しした。
途中居眠りしてしまうこともあった。
でも、まずまず興味深い話が聞けたと思う。
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築地本願寺、スリランカ伝統舞踊の夕べ

2017-06-19 23:23:17 | 仏教
最初に黄土色の衣を着たスリランカ人の僧侶の
スピーチとお経。

スリランカ人の僧侶、
それほどは日本語が流暢ではない。
原稿を読んでのスピーチ。
、、、
日本とスリランカは仏教国同士のつながり。
世界の宗教をみれば神を崇める。
しかし、仏教は違う。哲学。、、、
輪廻の苦しみから抜け出し、涅槃に達するのが目的。

第二次大戦で日本軍に越境をうけた。
日本に対し賠償請求をする権利はあった。
しかし、しなかった。

スピーチの後は、お経の読経があった。

スリランカ大使がきていた。
スリランカ大使は年齢40代くらいの男性で色黒で
スリムで髪がややアフロっぽかった。
日本語は流暢そうだった。

里子制度で今まで日本のCPIという団体が数千人をサポート。
期間は4年間。
貧困ではあるが、踊りがうまい子や学力が優秀な子に
機会を与え、日本に留学させている。

音楽、舞踊の専攻だけでなく
科学(化学?)を主に勉強しているという子も。
ダンスの先生という男子も。
4人が踊り、その合間に1人が歌うという構成。

踊り:シンプルな太鼓のBGM音をバックにした踊り、
原住民の躍りの要素を取り入れ現代の楽器のBGMを入れた踊り、
映画の中のロマンチックなポップな曲風をBGMに入れた踊り。
楽しめた。クオリティも高い。幻想的。

歌:半分くらい日本の曲を歌った。親近感。歌もうまい。

今回の里子のメンバー舞踊の構成は、踊り手:男性21歳、
女性24歳、女性17歳2名。歌い手:女性22歳。
みんなスリムでスタイルがよい。

CPIというプロジェクトでは、里親を募集している。
養育里親という感じなのだろうと思う。
4年間ということなので、
それなりの財力が必要になる。

最近、法話をごぶさたぎみだったが、
前回、聴聞しに行ったときに
今日のイベントのパンフレットが置いてあった。
ご縁に導かれて、いいイベントに出会う事ができた。
ありがとう。

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