道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

対岸の景色

2024年06月23日 | 随想
人の一生は、大河を泳いで渡るようなものである。大河の流れに逆らうことはできない。水に入った時は対岸の目標地点の景色を目に焼き付けたはずだが、いったん泳ぎ始めると、前に進んでいるようでいて下流に流され続け、漸く対岸に着いて岸に上がってみれば、夢想もしなかった情景を観て絶句する。たじろいでも仕方がない。やり直しは効かない。情況に甘んずるしかないのである。

泳ぎ出す前に見た景色は幻だったのか?と我が目を疑う。幻ではない。観たのは実景である。ただ、景色の違うところまで、遠く流されてしまったのである。迂闊にも流れの力を読まなかっただけのことである。

洵に人生は大河を渡るに似ている。かつて目前に見た対岸に着くには、常に上流に向かって泳ぎ続けていなければならない。流れに逆らうのだから、気力・体力共に充実していなければ到底叶わないことである。誰にでも真似のできることではない。

とてもそんなことは自分に無理だと、初めから流れに身を任せ無理せず泳ぐ人もいる。水中では浮いていることが何よりも肝腎と心得、体力を浪費しない。対岸近くになったら、好さそうな場所に泳ぎ着くほかはない。
これで存外、好ポイントに着くことがあるから人生は面白い。運が半分、努力が半分の世の中である。

自分の狭い視野の中にある景色を目標に定めても、人はその場に泳ぎ着けない。人生という大河の流れは、その人の泳力だけで泳ぎ切るのは難しい。企んでも計らっても、期待どおりの場に泳ぎ着くことは至難の業である。
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