道々の枝折

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酒について

2017年09月28日 | 随想
酒と食が絶妙な関係にあることに気づき、双方にかぎりない愛着を覚えるのは、皮肉なことに、老年になって酒があまり飲めなくなり、食の量も減って来てからのこと。万事、盛りを過ぎてからでないと物事の本質が見えてこないのは、凡夫の凡夫たる所以か?
 
風土が凝縮されているのがその土地の酒であるなら、その風土の産物を活かして味に工夫を凝らすのが料理であろう。美味佳肴は酒が育てるものと言っても過言ではない。ここで謂う酒とは無論日本酒のことである。酒と料理は大昔から相互に補完しあい協調する関係にある。どちらが欠けても、理想の食事からは遠くなる。
 
酒づくりの仕事は、微生物利用のバルク生産であって、製法の伝統主義や杜氏との関係もあり本来は小回りが効かない。今日では、どんなに小規模な蔵元でも、消費者の好みに合わせ多種生産が当たり前になっているが、戦前まではその蔵元の代表銘柄は限られていた。
 
対する料理はバラエティに富み、無限の発展性を秘めている。自由自在に食材を組み合わせ、新たな味をつくりだす。保守的でありながら極めて進取の性質を備えているのが料理というものだろう。 
 
また、料理は本来少量を多種つくるもの、品数を多くつくれることは料理人の腕の証しでもある。融通無碍に酒に合わせることができる。したがって、古くは酒に料理が添うのが互いの関係だった。酒が主で肴が従である。これは、どこの土地でも同じで、その土地ごとに代表的銘酒が連綿と続いている。
 
料理が主になって、数ある銘柄の酒の中からその料理に最適の酒を選び出すなどというのは、西洋の貴族の趣味であって、日本の伝統の食文化にそのような趣味が普及した形跡はない。酒の種類が豊富になって、西洋風を真似るようになったのはごく最近のこと、これも西洋文化を率先して倣うわが国風俗のひとつである。
 
人が風土の産物に満足して、生涯それらをごく単純な方法で調理していた時代、酒は庶民には高価で滅多に飲めるものでなく、飲めるのは神を迎える祭礼や祝事の機会しかなかった。その時代は、間違いなく酒が主役で肴は脇役という本来の関係が保たれていたことだろう。
 
ところが、雁屋哲氏原作のマンガ「美味しんぼ」が刊行され、料理の世界、料理人の仕事への世の関心が高まると、テレビがこれに飛びついて、カリスマ料理人が脚光を浴びた。
 
料理は職人の手仕事だから、腕利き、上手、名人が生まれるのは必然。名人ともなると自分の料理が最高と考えるだろうし世間も雷同する。そして有名な料亭、割烹、レストランの料理人の株が上がる。
彼らは自分たちの技倆にプライドをもち自負心が強いから、自分のつくる料理を特別のものと看做し、量産品の酒を軽視するに至るのは当然の成り行きだ。
 
しかしそれでは商売が成り立たない。そこで、生産量のごく少ない希少で評判の高い地酒銘酒を選び、料理とのマリアージュを喧伝するようになった。その結果銘酒ブームが到来した。
 
目下の主流は酒に有利となってい
る。現代は、厳しく長期間の徒弟奉公が嫌われ、料理人を目指す若者は調理学校で料理を学ぶ。料理の腕はOJTでしか磨かれないものだから、その方法では優れた料理人の供給が細る。本来技能とは、すべてそういうものだろう。
 
他方酒の方はというと、地道な研究と技術の進展が、日本酒の質を高め地位を確実に押し上げている。吟醸酒は酒の国際化に大いに寄与し、海外への輸出量も着実に増え、酒はかつての王座を取り戻そうとしているかに見える。
 
この辺で、醸造酒と蒸留酒のことに触れてみたい。醸造酒は、日本酒もワインもビールも、発酵過程で産生する微量な化学成分が含まれるから、料理の素材のもつ成分との間に相互の化学反応による調和不調和が生じる。つまり相性が発生する。そこは、気化によってアルコール純度を上げる蒸留酒と大きく違うところだ。
 
どの料理にはこれこれの酒と定めるほど窮屈なことはないが、醸造酒と食材には上記事情によって合理的な組み合わせを考える必要が生じる。大雑把に言って、魚介を生で食べる刺し身にには、日本酒を措いてほかに好適な酒はないようだ。日本のビールは、生魚に合うよう設計されているが、本場のビールやエールでは刺身を旨く食べられない。
 
西洋の料理にはやはりワインが最適であることに異存のある人はいない。和食でもルーツが西洋にある天ぷらは、塩で食べるなら白ワイン、天つゆで食べるなら日本酒というのが無難だ。理由は天つゆにある。ワインと天つゆに使われる醤油が不仲なのだ。天ぷらを岩塩など塩で食べることが普及したのは、合わせる酒が替わり、食べ方が先祖返りしたものといえるかもしれない。
 
酒、醤油、味噌、米酢は、東南アジアに濃密に棲息する麹菌を活用した優れた食品群で、麹菌はデンプンの糖化に無くてはならないものだ。だが、ブドウの果実に付着している酵母は、本来この麹菌と共存しない。
 
麹菌とワイン酵母とは、未来永劫に和合しない不仲の微生物なのだ。微生物と雖も生理的な好悪はある。ワインの醸造中に麹菌が、日本酒の醸造過程でブドウ酵母が混入すれば、どのような結果が生じるかは、誰でも容易に想像できるだろう。にもかかわらず、和食に合うワインがあるかのごとく妄説を撒き散らす専門家?が後を絶たない。
 
次に酒の度数について。歴史的に見れば、人類は醸造酒をつくり出した後に、蒸留によってアルコール度数を高める製法を考案し、保存性が高く、少量で酔える酒、蒸留酒をつくりだした。人類は原初は酔うための酒を必要とした。食べるための酒、食事をより豊かにする酒は、社会が飢えから解放されてから発達したものだろう。
 
大航海時代には、給金のほかにラム
1日にどれだけ飲ませるかを条件に、帆船の乗組員を募ったという。当時のイギリス海軍では、士官はジン、水兵はラムと決まっていたらしい。どちらも度数は40度ぐらい、孰れにしても酔うための酒である。
 
総じて白人は体格が良く、アルコー
ルの分解能力にも遺伝的に恵まれている。アルコール分解能が極端に劣る黄色人種に比べれば、白人は酒に強いだろう。ジン、ウォッカ、ラム、ブランデー、ウイスキーなど40度前後の酒が西洋に多種あるのは、彼ら白人たちには少量で酩酊するための酒が必要だったことを示すものだ。彼らにとって、ワイン、ビールはアルコール度数が酔うに足りない。ソフトドリンクに近い。しかしいくらアルコール分解能が高く肝臓が丈夫だからといっても、脳神経はこの薬物には脆弱だ。アル中患者は強い酒を飲む白人の国々に多かった。また、強い酒は、喉や食道にもダメージを与える。
 
ヨーロッパ人は醸造酒を蒸留することで醸留酒をつくり出した。その方法は東南アジアに伝えられ、中国、琉球を経て日本でも焼酎という蒸留酒がつくられるようになった。だが、東アジアの焼酎は蒸留の目的が西欧とはやや違っている。
 
古来九州以南では、平均気温の関係で、酒づくりで雑菌の繁殖を抑えることが困難だった。低温醸造が実現するまで、現地で良質な日本酒をつくるのは至難であり、良い酒はつくれないものとされていた。蒸留することで醸造酒を精製できることを知り、これらの地での酒造りは焼酎が主流となった。
 
原料の米、麦、蕎麦、サツマイモなどは我々の常食だから、微かに残る原料の風味も和食によく合い好まれる。また、この地の人々は、日本人全体の平均よりも遺伝的にアルコール分解能が高かったことも、焼酎文化の基盤になつているとも言われている。
 
生活習慣病には焼酎の方が無難という一種の迷信が日本中に蔓延し、中高年になって焼酎を薄めて飲む人が多い。糖分を避ける目的には適うのだが、中には医師が奨めたかのように勘違いする粗忽者も多くいて、安心して多量飲酒に陥る例もある。
 
彼らが需要を底堅く支えているから、焼酎の王座は当面揺るがないだろう。だが、いくら薄めて飲んでいても、量を過ごせば有害であることは他の酒と全く変わらない。

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