「慕う」という日本語は、独特の情感溢れる佳い言葉である。英語にこの日本語のニュアンスをもった語はあるだろうか?
この言葉には、そこはかとない尊敬と恋情が綯い交ぜになっているような語感がある。決して強い感情ではない。情熱も感じられない。好く、惚れる、などという粗野な感情とは明らかに違う。愛するという他所行きの言葉とも異なる。体温が感じられる言葉である。
「好きです」というぶっきらぼうな言葉と「お慕いしております」では、響きの上で天と地ほどの開きがあるように思う。この言葉を聴いて舞い揚がらない男はいないだろう。女性からの最大級の恋情表現である。
しかしこれはもっぱら女性の物言いで、男性から女性に対しては使わない。男性が遣うと「思慕の念已み難く」など、殊更不器用な表現があるばかり。口にするのも文にするのも憚られる。
閲してみると、日本語には男性が女性に尊敬と恋情の入り交じった感情を率直に伝える用語がない。ということは、その感情がなかったということか?
調べてみると、奈良・平安の時代までは、男女平等に慕い合っていたみたいだ。万葉集以後の短歌がそれを傍証しているし、源氏物語の男女の交情表現などは、作家が女流であることを差し引いても、慕い合う関係である。古くからの歌の贈答習慣が、男女のイーブンな慕い合いを支えたのだろう。
武家権力が勃興した頃から、日本の男は慕わなくなったのかもしれない。和歌の贈答が女々しく感じられるようになったのだろう。
女性を尊敬の対象と見ない男尊女卑の陋習は、この頃から言葉に顕れるようになったと思う。
「慕う」は、女性が男性に対して用いるとき、女性的な感情を表現するに適した言葉遣いのようだ。「お」を冠するのは、尊敬を明らかにしているのだろう。女は男を慕うもの、それも慎ましやかにという、男にとって甚だ都合の好い男女関係の構図が下絵になっている。反面、男の側には対応する言葉が消えている。男性が女性を慕うなど、男の沽券にかかわるという背景が透けて見える。
本当は、男女は互いに慕い合う関係が望ましい。恋慕に始まり、愛慕に収まるのが望ましい。男性も女性も、慕う相手を見つけられない人生は虚しく寂しい。慕う相手が存在し、その相手に慕われてこそ、人として生まれてきた幸福を感じとることができるのではないかと思う。
それは恋のような一過性の情念とは性質が違う。燃える焔ではなく、火鉢の炭火のような、温かく安らぐ性質のものだ。それこそが愛である。
慕い合うには、互いに相手を理解するための時間を要する。本来継続性がないのが恋だから、文字どおり恋慕から恋情が昇華されなければ、慕い合う関係を構築することはできない。
そうは言っても、男女それぞれの異性を慕う気持には、その実質において微妙な差異があることは否めない。等質でないから、互いにそれを実感し理解するには、長い時間を必要とする。
この男女同権・男女対等の時代、男性の側にも、女性に対して尊敬と恋情の重なった適切な表現が必要になっている。男性が働いて女性を養うという旧来の生活規範は過去のものになり、男性が女性の上位に立つ男尊女卑の旧弊も、敗戦と70年の歳月とを経て、漸く消滅しようとしている。
もうそろそろ、男性が女性を慕う気持ちを率直に伝える日本語が生まれてもよい頃合いだ。言葉というものは、感情があって生まれるものだから・・・
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