道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

常套語句と美辞麗句

2022年07月27日 | 随想
常套語・常套句というものがある。いつもきまって使う語句。紋切り型、定まり語句である。

常套語句は押し並べて陳腐である。陳腐嫌いの私は、常套語句を聞くことも語ることも苦手である。
「僭越ではございますが」などの常套句を聞くと、身の毛がよだつ。自らを卑下・謙遜していることを強調して聴き苦しいこと甚だしい。

謙遜とは反対に、問答無用の上目線の常套句もある。
こんなキャッチコピーがあった。某新聞社の出版物の帯に書かれでいた。
日本を代表する政治学者が、イラストを豊富に使いながらやさしい言葉で解説します」
「〇〇を代表する」はよく使われる常套句である。「〇〇の第一人者」もこれと同じ意味で多く使われる。
この常套句を使うことによって、コピーライターは著者の専門家としてのステイタスに関して「問答無用」「議論の余地はない」と暗に言っている。その分野の専門家でもないのに、そう言い切っているのである。このコピーの押し付けがましさは、本体を読む気を失わせる。

学術・芸術の分野は多岐に亘り、誰か1人が代表できるような単純なものではない。それに携わる才能は無数に存在する。研究や創作は時々刻々進歩し滞ることは無い。いつどの時点で、専門家のだれそれを指して、代表者とか第一人者と断定できるようなものではない。

多様に網の目のように分かれた学術・芸術の各分野の業績を的確に評価することは、門外漢には出来ないことである。専門家からの受け売りか、マスメディアに取り上げられた頻度をもって、推断することになるだろう。

「日本一」「世界一」とか「日本有数」「世界有数」などという言葉を多用する人には気をつけなければならない。彼は絶対観の持ち主で、他に比較するものや対立するものがないのである。絶対主義者は確信が強い。反論されると深く恨むに違いない。この手の人間とは、自由で闊達な論議や意見交換は難しいかもしれない。

日本の与党政治家の常套語句の多用には、耳を塞ぎたくなる。彼らのステイトメントやスピーチは、官僚が予め用意した原稿を含め、常套語句の連発で成り立っている。数え挙げたらキリがないので、此処では列挙しないが、政治用語としての常套語句がかくも多いのは、真剣に自分の頭で考えて発言していない証左である。

美辞麗句もほとんど常套語句化しているものが多いが、耳にして爽やかな気持ちにはなれない。
戦時中には、兵士や国民を鼓舞・督励する為に、漢籍由来(漢籍に特有)の美辞麗句を政府や軍部、マスコミが多用した。これらの膨大な美辞麗句を検索すると、古代中国人インテリのオベンチャラ体質が理解できる。美辞麗句は、真意や真実を隠すためや、扇動と胡魔化しのために専ら用いられる。

常套語句は、真率な気持ちを相手に伝えるのには避けた方がよさそうだ。逆に、心の籠っていないスピーチを早く知るには、常套語句と美辞麗句に注意していることである。




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