若い頃からおだてにめっぽう弱かった。特に女性のおだてに弱い。年甲斐もなくお世辞を真に受け、やに下がってしまう。我ながら情けない。
まあこれは私に限らず、男性に一般のことと承知している。
老生は着ているものを褒められるとイチコロである。敵もそれを察知するのか其処を衝く。現役の頃は、ネクタイを褒められると殊の外嬉しかった。
男性が女性に「綺麗」とか「スタイルが佳い」と褒めるのは、婉曲に相手を好きだと言っているのである。女性が最もこだわっているところを褒めるのは、好意の表明である。
万事に現実的で主観的な女性は、男性に衣装や装身具を褒められるより、ストレートに容姿を褒められる方が嬉しいらしい。服飾は同性の評価の方が的を射ているからだろう。
これに反して客観的な男性は、ボディビルダーなどは別にして、一般的に女性から直接肉体の部分を褒めらるのはあまり好感しないらしい。露骨な関心と受け止めるのだろう。胸やお尻を褒められて欣ぶ女性がいないことに通じる感情だろうか?
女性は専ら男性の服装を褒めるのが無難のようだ。効果が絶大なのだから。適当なことを言っておけば、相手は舞い揚がる。これは、孫娘にレクチャーしておかなくてはいけない。
褒めることは、相手に関心があり、好意があることのメッセージである。
人は相手から好意を向けられると、反射的に同じ感情を返すものである。褒められると、相手を好きになるのである。
其処から明らかになって来るのは、褒めることは、口説きの第一歩であるということ。今頃気づいてももう遅い。顧みて、若いときは異性を褒めることに躊躇があった。好意をもっていると知られることを、異様なまでに怖れていたからである。下心が顕れるのを極度に警戒していたのだろう。シンドロームに近いほどシャイだったのは、想像力が逞しすぎたからで、初心(うぶ)でも純真でも無い。
今でも老生は老妻を毎日褒める。
我ながら素晴らしい褒め言葉と思えるフレーズが泛かぶこともあるが、反応は芳しくない。「巧言令色鮮し仁」。上手すぎると、真実味が薄れるそうだ。褒めるということは、まことに難しい・・・
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