ブナは冷温帯の多雪地を本拠とする樹木と云われる。本州中部では、標高800mから1500mまでに生えるそうだ。太平洋側では、丹沢山地や伊豆天城のブナ林が、貴重な植生として大切にされている。そのブナが、温暖な浜松の市街地から車で2時間足らずの、龍山町白倉山1027mの尾根上に10本近く生育していた。
ブナの魅力はいくつかあるが、私は灰白色の滑らかな樹皮と、堅く充実した幹、そして小さく締まった葉に惹かれる。
その尾根にはブナのほかに、ブナより温暖な気候で生育するクリやイヌシデ、アカシデ、カエデ類などの落葉広葉樹も多くあって、それらの中には大樹に育っているものや実生林を形成しているものもあった。それにしても、天竜美林の名で知られるスギ・ヒノキの植林山の稜線に、ブナをはじめ雑木の林があるとは?・・・
この山域で長く林業に携わってきた土地の古老(知人の父君)の話を聴き、その謎が解けた。
山にスギ・ヒノキを植えて造林する場合、昔から尾根稜線部の幅50mの範囲は、雑木(落葉広葉樹)を残したり植えたりして、雑木で覆うのが古くから伝わるスギ・ヒノキ造林の手法だったという。雑木は根を地中に広く深く張って、強風にも倒れず尾根の土壌の流失を防ぐ。また、雑木の落葉が堆積してできた腐葉土が保水層を形成し、山腹の植林地を涵養するとともに、植林樹への肥料の供給源にもなる。
昔の人は、スギ・ヒノキの人工林には、尾根上を落葉広葉樹林で覆うことが、営林のために不可欠であることを、長い間の経験によって知っていた。その伝来の方法を続けたことによって、江戸期以来、各地のスギ・ヒノキの美林は保たれていたという。現代では、尾根の上までスギ・ヒノキの苗を植えているようだが、それには経緯がある。
戦後の復興期、都市の木材需要が急増して価額は高騰、都市に近いスギ・ヒノキ林の乱伐を招いた。その結果、早急に植林面積を拡大する必要に迫られ、古来から伝わる造林方法が見捨てられた。
それまで尾根上を占めていた落葉樹林を伐採抜根し、その跡にスギ・ヒノキの苗が植えられた。スギ・ヒノキなど針葉樹の根は浅く、広がりがない。尾根上の針葉樹は、台風などに遭えばひとたまりもなく倒れる。
しかも、針葉樹の落葉の量は落葉樹に較べはるかに少なく、しかもその葉は樹脂を多く含み腐り難く、容易に腐植化しない。落葉ではあっても、雑木のそれとは、保水力も肥料分も劣る。降雨は尾根に貯えられることなく山腹を流下して、山肌の土を剥ぎとり、山は次第に荒廃する。
この山で見つけた稜線のブナその他の雑木は、古くから伝わる造林法の名残りとして貴重な存在だ。30年以上前までは、この山稜も冬には積雪があり、ブナの生育環境は辛うじて保たれていた。だが、その後の地球温暖化の進行が、ブナにとって過酷な環境をもたらしていることは想像するに難くない。ブナの若木に立ち枯れが目だっていたのが気に懸かる。
龍山の尾根上のブナの木は、有用針葉樹と落葉広葉樹が共生する営林こそ、合理的な自然の活用法であることを、辛うじて今に伝える貴重な文化遺産である。
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