私は30年以上前にペット(犬と猫)を飼っていた。ある時から、妻のクシャミや鼻水、発疹が酷くなって、それが犬猫の被毛に関係があると判った。
それぞれのペットが18年の寿命を終え旅立ってからは、動物を飼うのを已めた。動物好きがペットを飼えないのは洵に寂しい。
現在は娘夫婦が数年前に飼い始めた柴犬だけが、偶に触れることができる動物である。
犬と違って、猫にはこちらの気配を察する(空気を読む)ようなところがある。それとなく寄り添ったり離れたりしてくれるのが、飼主にとっては嬉しい。忖度の心を具えているように感じる。
スリスリするのは習性だが、飼主の気を惹こうとしないところがとても好もしい。
池波正太郎は、愛猫と酒を共に飲みながら執筆していたという。
その猫に野生が蘇った時の(つまり狩の時の)、他の何ものをも顧みない集中力には、幾度も愕かされた。どんなに可愛い仔猫にも、私は凄みを感じる。其処が猫の魅力である。これはネコ科の動物
猫の飼育管理がやかましくなって、屋外に放せなくなった。猫と人間との5万年もの関係で、初めてのことだろう。たまに野生に帰る場がなくなった猫のストレスを想うと、大きな不安を感じる。人類との5万年の関係の末が、猫の自由の抑制とは、残念としか言いようがない。
そもそも猫は、人類の敵、ネズミを増やさせない救世主だった。ペストが猖獗を極めた時代には、世界は猫の力に縋ったことだろう。猫の住宅まわりの徘徊は、猫の5万年に及ぶ人類への貢献に対し、受忍すべきものだったと思えてならない。
人は多種の動物をペットにして来たが、ペットとのインタラクティブな関係は、人同士の関係と何ら変わらない。相互の関係性が強まるも弱まるも、こちら次第であるように思う。
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