道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

犬の心・猫の心

2022年07月07日 | 飼育・栽培
私は30年以上前にペット(犬と猫)を飼っていた。ある時から、妻のクシャミや鼻水、発疹が酷くなって、それが犬猫の被毛に関係があると判った。
それぞれのペットが18年の寿命を終え旅立ってからは、動物を飼うのを已めた。動物好きがペットを飼えないのは洵に寂しい。
現在娘夫婦が数年前に飼い始めた柴犬だけが、偶に触れることができる動物である。

犬には、人に対する惻隠の心が生まれながらに具わっているように思えてならない。愛犬と離れて何十年にもなるのに、その思いは人様のペット犬を見ていて変わることがない。飼主さんの表情を見つめるあの眼つきの真剣さは、猫の比ではない。クリスチャンの遠藤周作は「犬の眼にイエスキリストの眼を感じる」と、エッセイに書いている。
飼主への関心は並のものでない。

犬と違って、猫にはこちらの気配を察する(空気を読む)ようなところがある。それとなく寄り添ったり離れたりしてくれるのが、飼主にとっては嬉しい。忖度の心を具えているように感じる。
スリスリするのは習性だが、飼主の気を惹こうとしないところがとても好もしい。
池波正太郎は、愛猫と酒を共に飲みながら執筆していたという。

その猫に野生が蘇った時の(つまり狩の時の)、他の何ものをも顧みない集中力には、幾度も愕かされた。どんなに可愛い仔猫にも、私は凄みを感じる。其処が猫の魅力である。これはネコ科の動物

猫の飼育管理がやかましくなって、屋外に放せなくなった。猫と人間との5万年もの関係で、初めてのことだろう。たまに野生に帰る場がなくなった猫のストレスを想うと、大きな不安を感じる。人類との5万年の関係の末が、猫の自由の抑制とは、残念としか言いようがない。

そもそも猫は、人類の敵、ネズミを増やさせない救世主だった。ペストが猖獗を極めた時代には、世界は猫の力に縋ったことだろう。猫の住宅まわりの徘徊は、猫の5万年に及ぶ人類への貢献に対し、受忍すべきものだったと思えてならない。

人は多種の動物をペットにして来たが、ペットとのインタラクティブな関係は、人同士の関係と何ら変わらない。相互の関係性が強まるも弱まるも、こちら次第であるように思う。





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