道々の枝折

好奇心の趣くままに、見たこと・聞いたこと・思ったこと・為たこと、そして考えたこと・・・

了簡

2019年09月16日 | 人文考察

日本人は一般に、中国の儒教文化の影響に禍いされた教育によって、了簡が狭くなってしまった。
ひと昔前は野球と政治の話は人の集まりで出さないことが不文律だった。議論の嫌いな国民性と言われる所以である。
欧米人のように、議論・論争を好み、異なる意見を尊重する文化をもっていない。ディベートなどもっての外だ。

プライドが強く恥に敏感で、論争を根に持ち時には刃傷沙汰に及ぶことも多い。あおり運転など、どこかでこの特性と繋がっているのではないかと感じることもある。

この国ではとにかく議論は禁物、少数の談合で暗黙のうちに合意形成が謀られる。人が多数集会しようものなら、時の権力からは叛意を疑われた。庶民が自由に集まることが許されるのは、祭り・盆踊り・冠婚葬祭に限られた。数人集まっても一揆を疑われた。それが他人の視線や評判を異様なまでに気にし、自分の意見を言わない社会を作り上げた。

ところが不思議なことに、文化のお手本中国の人々は違う。何かあると集合し姦しいほどに喚き立て、意見を主張する。香港のデモのスケールの大きさには驚くほかない。英国統治の影響だろうか?統治時代、香港政庁はデモには寛容だったのだろうか?中国本土では、決してあのようにはならないだろう。まして現中国共産党政権では。

了簡は広く保ちたいものだ。寛容な国民性の国になるよう、常にこれを目標に据えていなければならない。習い性に成るまで。
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