道々の枝折

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放射能対策庁

2013年07月12日 | 随想
今国民が最も気懸かりで、しかも本当のことを詳しく知ることを避けたい問題がある。海に空気にいつまでも放射性物質を撒き散らしている福島第一原発のことである。

全然収束していない。収束とは、放射能が漏れ出ない状況になって初めて使える言葉だが。当時の民主党政権の野田首相は、早々に収束と云う言葉を使い、放射性物質の物性にいかに無知であるかをさらけ出した。

3.11を以て、日本という国は一過性でない、収束不可能な、恒久的国難を抱えこんだと云ってよいと思う。原発事故を除く、東北の地震・津波による災害の復興は可能であろうが、原発事故に起因する被害を旧に復すことは、放射能の性質からいってほとんど不可能だ。ごく少数の科学者を除き、知識階級の大多数は知っていてそれを言わない。

厳密に云えば、日本の自然は変質し、3.11以前の状態には永久に復旧しない。日本の世界に誇るべき素晴らしい自然(それは海山と言い換えてよい)は、永遠に失われた。日本の自然は、外見はともかく、その内実において、それ以前のそれとは変異してしまったと言える。

天文学的数字の放射能が、国土に拡散したという事実がその原因だ。福島からはるかに遠い西南日本でも、データを取れば、植物や土壌の放射線は、事故前と事故後で有意な差を示すはずだ。ことは東北周辺だけの問題ではない。列島に降下した放射性物質の放射能の半減期の長さを考えると、日本の自然が旧に戻らない

という認識は誤っていないだろう。現代人の子孫の平均余命を、数百世代にわたり短くする方向に働く環境因子を背負いこんだ事実は思い。なのに、国内の自然科学の学部を有する全大学は、データを公開しないし、警告を発しない。

3.11の後、時の民主党政権は、復興庁をつくった。この時、地震・津波災害の復興と、原発事故による放射能被害対策を共に復興庁の所管にしたのは明らかに誤りだ。

福島第一原発からの放射性物質の漏出は今もとまらない。いつになったら収束するのか、できるのか、当事者にも分からないのが本音だろう。地震・津波被害は、どんなに激甚であっても、一過性であり復興は可能だ。しかし、京という兆の1000倍もの天文学的数字の線量の放射能汚染は一過性ではない。私たちの国土には、除去も中和もできない放射性物質が常在することになってしまった。国民の放射線被曝量は、事故前と事故後では明らかに増加しているはずだ。

つまり、日本人の生活が、国土に降り積もった放射性物質の影響下での生活に変わったということだ。何10万年か前にこの列島に祖先が住み着いて以来の、劇的な変化を蒙ったということである。

この放射能の問題は、恒久的に対処し続けなければならないものであり、復興庁という一過性災害への対策を担う役所では処理しきれない。既存省庁とは別の、放射能対策専門の役所、たとえば放射能対策庁のようなものをつくって、未来永劫、この国が続くかぎり、国民の被爆対策をはじめ様々な派生問題に対応し続けなければならない。すくなくとも、一刻も早く放射性物質の環境への漏出を完全に止めさせるとともに、滞留している汚染水や廃棄物質の処分を一元的に管理監督しなければならない。

復興法のどんぶりの中に、一過性の地震・津波被害対策と、恒久性の放射能被害対策を混合してしまったことは、いかにも場当たり的で不合理である。7年後の東京オリンピックと、遅々として進まない汚染水漏れを考えると、もうこの国は待ったなしで放射能対策庁を設置しなければならない。

そもそも、事故原発の放射能拡散対策に集中投下させるべき金額をオリンピックに費やす愚には、唖然として言葉を失う。対応できるリーダーを数の力で排除した政治は、この国家的被災に対処できない。問題意識の欠落は、放射性ブルームのように、この国を覆い尽くしている。

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